今から6年前の2月のことだった。
「これ、今度の六送会で歌いますから、覚えてきてください。」
と、一番若い職員から言われ、受け取ったのがこのCD-ROMだった。

「いのちの歌」と書かれたそれは、そのひと月ほど前に、竹内まりやが改めてシングルとして出した曲だった。
竹内まりやの歌は嫌いではなく、むしろ好きな方で、何枚かアルバムを買ったものだったが、その頃は、ちょっとご無沙汰となっていた。
それは、東日本大震災から1年近くがたとうとしていたときだった。
その歌が出されたのは、未曽有の災害を受けた人々を励まそうというねらいがあったと聞いた。
聴きなれない歌を、車を運転しながら何度も聴いた。
職場への行き帰りの車中で、歌えるように何度も何度も声を出して歌った。
「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」で始まる歌。
歌えるようになると、詩をいろいろと考えるようになった。
卒業する6年生たちに、職員が合唱して歌ううたにふさわしい。
その歌を選んでくれた若い女性職員に感謝したい気持ちになった。
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
…本当にそうだと思う。
いい日ばかりではない。
本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
…この部分の詩などは、COVID-19 の感染流行で苦しむ私たちが日々感じるようになっていることだろう。
いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう この命にありがとう
歌詞には、「この星」という表現がある。
世界的な感染流行で、誰もが命の危険にさらされている。
まさに、「この星」全体だ。
昨年末の紅白歌合戦で竹内まりやがこの「いのちの歌」を歌った時には、まさか新たな年が、世界中でこんなに命の危険が迫ることになるとは、誰も思っていなかった。
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
かけがえのない喜びを感じられるのも、生きていてこそ。
生きている。
そのことを、本当に貴重なことだと考え、日々を大切に過ごしていきたいものだ。

「これ、今度の六送会で歌いますから、覚えてきてください。」
と、一番若い職員から言われ、受け取ったのがこのCD-ROMだった。

「いのちの歌」と書かれたそれは、そのひと月ほど前に、竹内まりやが改めてシングルとして出した曲だった。
竹内まりやの歌は嫌いではなく、むしろ好きな方で、何枚かアルバムを買ったものだったが、その頃は、ちょっとご無沙汰となっていた。
それは、東日本大震災から1年近くがたとうとしていたときだった。
その歌が出されたのは、未曽有の災害を受けた人々を励まそうというねらいがあったと聞いた。
聴きなれない歌を、車を運転しながら何度も聴いた。
職場への行き帰りの車中で、歌えるように何度も何度も声を出して歌った。
「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」で始まる歌。
歌えるようになると、詩をいろいろと考えるようになった。
卒業する6年生たちに、職員が合唱して歌ううたにふさわしい。
その歌を選んでくれた若い女性職員に感謝したい気持ちになった。
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
…本当にそうだと思う。
いい日ばかりではない。
本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
…この部分の詩などは、COVID-19 の感染流行で苦しむ私たちが日々感じるようになっていることだろう。
いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう この命にありがとう
歌詞には、「この星」という表現がある。
世界的な感染流行で、誰もが命の危険にさらされている。
まさに、「この星」全体だ。
昨年末の紅白歌合戦で竹内まりやがこの「いのちの歌」を歌った時には、まさか新たな年が、世界中でこんなに命の危険が迫ることになるとは、誰も思っていなかった。
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある
かけがえのない喜びを感じられるのも、生きていてこそ。
生きている。
そのことを、本当に貴重なことだと考え、日々を大切に過ごしていきたいものだ。
