ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

人間としてのつながりを断ち切るCOVID-19

2020-06-07 21:58:39 | 生き方
高校を終えて、大学に入ったばかりのころはまだ多感な時代だったから、読む本や聴く歌の影響をたくさん受けたものだった。
ただ、最も大きいのはやはり人との出会いではなかっただろうか?
人と会い、語り、自分の思いを出し合って同じ時間を過ごすうちに、ほっとする関係がしだいにできていく。
若い頃は、そうした関係ができるかできないかで、穏やかな気持ちになったり不安な気持ちになったりした時代でもあった。

ある日(6月の今ごろだったと思うが…)、授業に出る気がせず、さぼって一日中下宿で本を読んでいたら、孤独を感じてどんどんどんどん寂しくなった。
無性に人に会いたくて会いたくてたまらなくなってしまった。
それで、下宿を飛び出して大学まで走っていったことがあった。
着いたときは、もう午後6時近くで、講義もほとんど終わろうとしていたが、知っている(と言っても、まだ知ってから1,2か月しかたっていない)同級生の顔を2,3見つけて、無理やり話しかけ、ホッとした気分になったのを覚えている。

こうして感染症COVID-19 の蔓延で、ずっと授業がストップしたり、直接会うことができなかったりしているなかで、昔の私と同じような年齢の人たちは、今どうしているのだろうと思う。
もっとも、あのころと違って、今はSNSでつながれる時代だから、実際に会えない寂しさというのは感じないのかもしれない。
あのころは、電話は固定電話しかなかったし、学生でありながら自分で固定電話をもっているなんぞというのは、実家がよっぽどの金持ちでもなければ、まずなかった。
だからこそ、実際に会って、言葉を交わす、同じ時間を共有するということはとても大切な意味があったと、思っている。
SNSがあるといっても、今の学生など若い人たちは大丈夫なのだろうか、孤独感にさいなまれてはいないだろうか、と不安になってしまう。

大学に入学してどころか、卒業してから早くも40年が経過してしまった。
あのころのような感じやすく繊細な心は、その後の人生を経てだいぶ鈍く図太くなってしまったかもしれないが、やはり人と人との心の通じ合いを求めていることは変わらない。

心の通じ合いには、人間じかに会うということが欠かせないと思うのだが、このパンデミックは人と人のつながりを断ち切ってしまう。
なぜなら、密接や密集によってウイルス感染してしまうから、人と人は離れよ、というわけである。
離れてしまっても、人間が人間らしくいられるか、ということが、今私たちには突き付けられているような気がする。
そんな不安の中で、若い女子プロレスラーの自死の件とか、アメリカの黒人暴行死の件とかが起こっている。
COVID-19 というパンデミックが起こっている時代に、人間として生きていく中で大切なものは何なのかが問われているようにも思えるのである。
コメント
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