この前、ふっと、頭の中にメロディーが浮かんできた歌があった。
なぜ、この歌が浮かんできたのか、自分でもわからない。
その歌は、学生のころに聴いた、「君に捧げるラブ・ソング」。
「フォークの神様」岡林信康の歌う曲だった。
私が岡林信康を聴くようになったころには、もう彼が「フォークソングの神様」と呼ばれる表舞台から姿を消しているころだった。
岡林信康について書き始めると、簡単には終わらないだろうと思うので、そこは省略。
歌だけに限定したい。
この歌が出たのは、1980年。
「Gの祈り」というレコードのB面だった。
でも、この歌が大ヒットしたとかそういう話ではない。
この歌をしみじみいい歌だなと思ったのは、フジ系の歌番組「夜のヒットスタジオ」に、岡林信康が出演して、彼がこの「君に捧げるラブ・ソング」を歌ったことがあったからだ。
今から30数年前のことなのに、その番組を見て曲を聴いた時の驚きは、よく覚えている。
詩の内容がいかにも愛に悩み苦しむ人の姿をよく歌い上げているように思えた。
しみじみと歌い上げる姿も、とても共感を覚えた。
「悲しみにうなだれる君を前にして そうさ何も出来ないでいるのがとてもつらい」
「君の痛みの深さはわかるはずもない 何か二人遠くなる 目の前にいるというのに そうさ僕は僕 君になれはしない」
「二人は試されてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら僕は君の何だった」
…分かり合えるようで、分かり合えない。
いかにも深い愛の歌だと思った。
ところが、後日、この歌は親しい人が重い病になって厳しい状況になり、何もできずに弱っていくのをそのまま見守るしかできなくなったことをもとにして作られた歌だったことを知った。
そんな背景などは知らなくても、純粋な愛の歌だとして聴いても、十分せつなくなる。
その曲を検索してみたら、YOUTUBEに、「夜のヒットスタジオ」に岡林が出演して歌った時の映像があるのを知った。
先日、30何年かぶりに、その映像を見た。
しみじみと、心にしみ込んでくる、いい歌だと思った.。
隠れた名曲であることは間違いない。
そう思っている。
なぜ、この歌が浮かんできたのか、自分でもわからない。
その歌は、学生のころに聴いた、「君に捧げるラブ・ソング」。
「フォークの神様」岡林信康の歌う曲だった。
私が岡林信康を聴くようになったころには、もう彼が「フォークソングの神様」と呼ばれる表舞台から姿を消しているころだった。
岡林信康について書き始めると、簡単には終わらないだろうと思うので、そこは省略。
歌だけに限定したい。
この歌が出たのは、1980年。
「Gの祈り」というレコードのB面だった。
でも、この歌が大ヒットしたとかそういう話ではない。
この歌をしみじみいい歌だなと思ったのは、フジ系の歌番組「夜のヒットスタジオ」に、岡林信康が出演して、彼がこの「君に捧げるラブ・ソング」を歌ったことがあったからだ。
今から30数年前のことなのに、その番組を見て曲を聴いた時の驚きは、よく覚えている。
詩の内容がいかにも愛に悩み苦しむ人の姿をよく歌い上げているように思えた。
しみじみと歌い上げる姿も、とても共感を覚えた。
「悲しみにうなだれる君を前にして そうさ何も出来ないでいるのがとてもつらい」
「君の痛みの深さはわかるはずもない 何か二人遠くなる 目の前にいるというのに そうさ僕は僕 君になれはしない」
「二人は試されてるの 君は僕の何 これで壊れてゆくなら僕は君の何だった」
…分かり合えるようで、分かり合えない。
いかにも深い愛の歌だと思った。
ところが、後日、この歌は親しい人が重い病になって厳しい状況になり、何もできずに弱っていくのをそのまま見守るしかできなくなったことをもとにして作られた歌だったことを知った。
そんな背景などは知らなくても、純粋な愛の歌だとして聴いても、十分せつなくなる。
その曲を検索してみたら、YOUTUBEに、「夜のヒットスタジオ」に岡林が出演して歌った時の映像があるのを知った。
先日、30何年かぶりに、その映像を見た。
しみじみと、心にしみ込んでくる、いい歌だと思った.。
隠れた名曲であることは間違いない。
そう思っている。