この本を読んでみたくなったのは、12月30日の新潟日報紙の「日報抄」で紹介されていたからだ。
近づいた箱根駅伝の話題で、題材にした小説が多いといい、池井戸潤の「俺たちの箱根駅伝」や三浦しをんの「風が強く吹いている」という作品にふれていた。
そのほかに紹介されていたのが、黒木亮の「冬の喝采」という小説だった。
著者は、経済小説家として有名だが、大学時代は競走部に所属していた。
そして、2度箱根駅伝に出場した。
1979年の大会では、あの瀬古利彦からたすきを受けて走ってもいたとも書いてあった。
三浦しをんの「風が強く吹いている」は、過去に読んだことがあったし、池井戸潤の「俺たちの箱根駅伝」は今後単行本として刊行が予定されていると知ったから、いつか読みたいと思った。
気になったのは、「冬の喝采」である。
今までこの本に関しては、聞いたことがなかった。
本書は、自伝的長編とも書いてあった。
瀬古利彦は、1956年7月生まれ。
学年でいえば、私と同学年になる。
同じ時代のヒーローの一人である。
モスクワ五輪のころ絶頂期だったが、残念ながら、日本のボイコットによって参加できず不運だったが…。
著者が、その瀬古からたすきを受けて走ったということに興味を持ち、本書を読んでみたくなった。
最寄りの図書館に本書があるか調べてみたら、残念ながら、なかった。
県立図書館にはあるようだが、そこまで行くのは遠いから、借りるのはあきらめた。
新たに本を購入して増やさないようにしたいと思っていたが、仕方がないから、アマゾン等をチェックしてみた。
今は、講談社文庫や幻冬舎文庫で、上下巻2冊の文庫本で売られている。
だが、古本の単行本だと1冊ですむ。
結局送料の方が高いが、古い単行本で注文をした。
正月が過ぎて、手元に届いたのは、620ページを超える分厚いハードカバーの1冊だった。
本書のプロローグは、瀬古からたすきをわたされる駅伝のシーンから始まっていた。
そのプロローグから、描写が細かい。
風景から、周囲の風景、走るときの自身の身体の様子、心の有りようなどが非常に詳しく書かれていた。
たすきを受け取ってから、任された区間の疾走の記述が終わらないうちに、本章に移っていった。
本章は、著者が中学3年だったときから始まる。
そこから、走ることについて、著者の体験が語られていく。
登場する人物が、すべて実名で語られていくので、これはまさにドキュメンタリー小説であった。
中学・高校時代から、大学時代の終了と共に競技生活を終えるまでのことを、時間を追って描いている。
だから、プロローグの最後の27ページで箱根駅伝を走っている続きのシーンは、第9章の406ページまで、380ページも後になるのである。
ただ、ラストのエピローグでは、走ることに関してだけでなく、著者の出生の真実に関することも書かれていた。
この本は、自伝的長編というよりも、長編の自伝と言った方が正確だと思った。
読み終えて、というより読んでいるときに感心したこと、驚いたことは3つほどあった。
1つめは、著者の選手生活は、とにかくけが・故障との戦っていたということだ。
高校2年から大学2年まで、けがで満足に走れなかったなかでも、自分にできることをやって走れるようになりたいと思ってがんばっていたということ。
そして、走れるようになった大学2年以降もけがや故障が頻発しながら、箱根駅伝に2度の出場を果たしたのは、なみなみならぬ努力があったからだと分かる。
日ごとにどんな練習をしたかも、細かく書かれている。
そのけがや痛みの程度やその変化の様子も、非常に細かく表現されているのだから、すごいものだ。
高校時代にせよ大学時代にせよ、毎日の細かい練習内容がきちんと書かれていることは、きっと練習ノートを欠かさず書いていたからなのだろう。
とにかく日々起こる細かい描写に感心した。
2つ目は、あの瀬古を育てた中村清監督の人物像についての驚きである。
名伯楽と言われたが、傍若無人なその実情が描かれている。
暴力こそ振るわないが、かなり頑固で無茶苦茶な物言いに、部員たちが相当振り回され困った話が包み隠さず披露されている。
横柄で独善的な態度に、読んでいて腹が立つほどだ。
だが、こういう人はあの頃たくさんいたなあ、と思う。
様々な理不尽さを突き付けられながらも、耐えるしかない時代だったな、ということを思う。
著者は、その折々の現実と自分の気持ちを偽らずに淡々と書いている。
中村監督の実像に迫ることができた。
3つ目は、エピローグで紹介されたことが驚きの実話であったことだ。
養子として育てられた著者が、競技をやめた後、実父も箱根を走ったランナーだったことを知る。
読む方にとっても、大きな驚きであった。
実の親と思っていた父母が、養父母であり、自分が養子と知ったのは大学に入るときだったが、実父母を知ろうとしたのは30歳のときであった。
実父も箱根を2度走っており、その区間が著者と同じ3区と8区というのも不思議な縁であった。
最後は、1度だけ実父の家を訪ねたときの様子が描かれ、小説は終わりとなっている。
人生のつながりと運命の不思議さに、驚くやらうなずくやらであった。
「事実は小説より奇なり」というが、奇なる事実の小説であった。
ハラハラドキドキの物語とは違って、淡々と著者の体験が綴られている。
こういう事実の中で生きていたのだなあ、と共感をもって読んだ。
話のあちこちに、当時起こったことやエピソードがはさみ込まれている。
それらは、私と同じ年の生まれである著者に、同時代を生きていたのだなあと親近感を抱かせる。
自分の生活に身近な場所も出てきていたりした。
そのことについても書いておきたいのだが、ちょっと長くなるので、後日述べることにしたい。
ともかく、買ってまで読んだのは、正解だった。