「冬の喝采」の大学時代の4年間は、私の4年間とまったく重なる時期だ。
同じ時代、いや同じ時期に東京の空の下にいたのだなと、改めて思う。
そして、忘れていたことを懐かしく思い出す文章がいくつもあって、私の心の中でキラキラと輝いた。
だからなおさら、読んでよかったと思っている。
例えば、ということで、今回はいくつか挙げてみる。
まずは、著者の高校時代だが、私は早生まれだったので著者は私よりも1年下になるが、やはり懐かしさはある。
▶著者が高校3年の7月。
「むーぎわーらー。ぼうしはぁー、もぉ消ぃえぇたー…」
(略)
「田んぼの蛙はー、もう消ぃえぇたー」
聴いたこともない歌だった。のんびりした調子で、音色も変わっていて、東京の人たちはこんな歌を歌うのかと不思議な気がした。ずいぶん後になって知ったが、前年にヒットした吉田拓郎の「夏休み」という歌だった。
…そう。「前年」は、私の高3時代。同級生たちでフォークソングが好きな奴らが、よく歌っていたっけ…。その頃の私は、歌にも吉田拓郎にもあまり関心を持っていなかったけどね。
▶高校3年1月下旬
「えーと……じゃあ、イルカの『なごり雪』歌います」
(略)全員で聴き入った。
旅立ちと別れを歌った曲は胸に沁みた。
…イルカの歌でこれが流行った頃、私は自宅浪人生であったが、私学受験の真っ最中だったと記憶している。当時東京に住んでいたいとこのアパートに転がり込んで、受験に行ったのだった。
その一浪後は、大学入学を果たしたので、著者と学年はぴったりと重なる。
▶大学2年7月
この頃はまだ、中長距離ブロックで飲みに行くことがあった。入部直後にも、新宿の「セントラルパーク」というパブに、瀬古もまじえてみんなで出かけたことがある。
…「セントラルパーク」。これは、池袋にもあった。あの頃は、ロサ会館にあったと思う。池袋の大学に行っていた私は、何度か池袋店に行った。あの当時は、20歳にならなくても、大学生となれば飲酒して当然というのが世間の常識(?)だったから、たまにサークルの先輩後輩たちと行ったものだ。
▶大学2年8月
筋力トレーニングをやる以外は、アパートで昼寝をしたり、英語の勉強をしたり、巷で話題の森村誠一の『人間の証明』やスタインベックの『怒りのぶどう』といった小説を読んで過ごした。
…森村誠一の「証明シリーズ」が、角川映画になり、ヒットした。「人間の証明」は、ジョー山中の英語で歌う主題歌が話題となり、「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね…」のセリフはずいぶん流行ったことを思い出す。
▶大学2年3月
「チャーン・チャ・チャーン、チャーン・チャ・チャーン…」
ジャージー姿の寺内が、アントニオ猪木の顔真似をしながら、猪木のテーマを歌い出した。
…言わずと知れた、「猪木ボンバイエ」。盛んに猪木が異種格闘技戦を繰り広げていた頃だった。今も、この曲を聴くと元気が出てくる私だ。
▶大学3年5月
振り返ると、瀬古だった。水色のジャージーを着ていた。
「ちょっと喫茶店いこう、喫茶店」
駅前の「ルノアール」という大きな喫茶店に連れていかれた。
…「ルノアール」は、喫茶店のチェーン店だった。ちょっと大きい駅周辺には必ずあって、入りやすかった。池袋にもあって、サークルでよく利用していた。コーヒー1杯300円で、あの頃は、他店と比べて安いわけではなかったと記憶している。
▶大学3年7月
その夏は、とりわけ暑くて、長かった。
ラジオをひねると、矢沢永吉の「時間よ止まれ」がよく流れていた。資生堂の夏のキャンペーンソングだ。
…あの頃は、資生堂とカネボウは、春・夏・秋と、キャンペーンソングを対抗するようにして商品を売ろうとしていたっけ。ちなみに、同時期のカネボウは、サーカスの「Mr.サマータイム」であった。他の時期は、柳ジョージ&レイニーウッド「微笑の法則」対桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」対渡辺真知子「唇よ熱く君を語れ」などが印象深い。
▶大学3年9月
芸能欄に、アイドル歌手の木之内みどりが、作曲家の後藤次利と失踪し、芸能界を引退する見込みだと書かれていた。わたしと同い年で、細面できれいな女性だったので、自分には関係ないが、何となくがっかりした。
…そんなこともあったなあ。木之内みどりは、歌は上手くなかったけれど、それがかえって魅力的だった。「横浜いれぶん」はとても好きだったし、「硝子坂」はその後高田みずえが歌ってヒットした。
▶大学3年1月
昨日、ラグビーの日本選手権で、新日鉄釜石が24対0で日体大に勝った。
…この試合を、私は大学の同じゼミの仲間たちと一緒に見に行った。黒いジャージの日体大が、松尾率いる赤い釜石にコテンパンにされたのを覚えている。1月15日に行われる決勝は、3度見に行った。毎回新日鉄釜石の優勝。その最強の時代であった。
▶大学3年2月
頭の中で、「のーんびり行こうおーよ、おーれぇたちはー」と鈴木ヒロミツが歌ってヒットした、モービル石油のコマーシャルソング(昭和46年)を歌いながら行った。
…「車は、ガソリンで動くのです」という決めゼリフもあったなあ。「モービル石油」も今やENEOSに吸収されてしまって久しい。
▶大学4年11月
夕暮れの迎賓館の周回コース(1周約3.4㎞)を走りながら、太田裕美の「九月の雨」のメロディーを頭の中でリフレインしていた。
…「September Rain,Rain」のくり返しが特徴的な歌だった。あの当時、ラジカセで自分の好きな歌を録音したものだ。私は、この曲を録音した後、入れていたカセットテープを間違えていたことに気づいたことがあった。もっと気に入って大切にしていた内容の歌が入っていたのに…。この歌を聴くたびに、「ああ、しくじったなあ…」と思い出すのである。
こんなふうに、学生時代の自分の思い出を呼び覚ますのに十分な文章にたくさん出合えた。
著者は、その時代を走ることに費やしたわけだが、私自身は…???
まあ、とりあえずこの本を読んだから、いろいろな懐かしさを感じられたので、細かいことは言わないでおくことにしよう。
この本を読んでよかったことが、実はもう一つあるのだが、それはまた次の機会にしよう。