50年以上も前にベストセラーとなったことを知っていたが、読まずにいた。
それは、自分が若かったからだし、老人を描いた小説なんて読みたくなかった。
なにしろ、1972年の作品だったから、その頃自分は高校1年生。
恋バナとかもっとワクワクするものを読みたかったのである。
だが、自分が高齢者となって、読まずにおいてはいけない気がして、今回初めて読んでみた。
それが、この有吉佐和子の「恍惚の人」。
姑の突然の死によって、認知症になってしまっていた舅を、家族として介護せざるを得なくなってしまった主人公の昭子。
1972年の頃であれば、たしかに嫁が老いた舅の世話をしなければいけない時代であった。
時代を反映するように、話の始まりから、人が亡くなった時に家庭で一般にどのような手順を踏んでどんなことを行いながら葬式まで行うか、まったく知らなかった昭子を追いながら、それらを示していく。
今は、葬儀会社に連絡すれば、つつがなく行ってくれはするが、あの時代はまだ各家庭で行っていたのだった。
そんなふうに時代を感じながら、読み進んでいった。
途中途中ではさまる情報が、当時の様子を伝え、と未来(われわれが生きている現在)の姿を示唆してくれていた。
例えば、会話に現れる、当時の平均寿命。
「なるほど、女の方が平均寿命が長いんですからな。七十歳でしたかね」
「七十四歳ですよ、あなた」
(略)
「男の平均寿命は何歳でしたかな」
「六十九歳」
…そういえば、このくらいだった。
現在では、2022(令和4)年のデータで、日本人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳というから、ずいぶん長命になったものだ。
そして、1970年頃には、明治時代に生まれた人間も元気な人が多かった。
明治生れが全人口の三パーセントに減少しているというのに、我々の会社は未だにこの三パーセント族に押さえこまれているではないかと一人が嘆けば、日本人口の老齢化が我が社においても顕著であると一人が和す。
本当か嘘か知らないが、今から何十年後の日本では、六十歳以上の老人が全人口の八十パーセントを占めるという。
昭和八十年には六十歳以上の人口が三千万人を超え、日本は超老人国になる運命をもっているという。
文明が発達し、医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき超老大国が出現することを予告していた。
そして、現にほとんどそれに近い形になっている。
現在、年老いて長生きすることは、幸福につながっているのだろうか。
物語で、昭子の息子の高校生敏は、祖父にあたる茂造の姿を見るたびによく言うのであった。
「パパも、ママも、こんなに長生きしないでね」
小説では、時間の経過とともに認知症の程度が深まる舅の茂造の様子が、具体的で詳しく書かれてあった。
そして、介護に取り組む嫁の昭子のかかわり方や心の移り変わりも。
本書では、認知症となった高齢者の症状や、その介護についての問題、嫁姑の問題、夫婦間の問題、働く女性の家庭との両立の問題など、たくさんの問題があぶり出されていた。
それらの問題は、50年たった今でも、少しも色あせずに残っているのが何とも言えない。
本質的な問題は、何も変わっていないのだ。
昔この本を読んでも、ちっともピンとは来なかったかもしれない。
だが、自分も60代後半まで生きて経験を重ねてきたから、今になって本書の登場人物の心情がわかるようになったと思うことも多くあった。
幸い自分の場合、自分の両親も妻の両親も、認知症の問題には直面せずに済んだ。
齢を重ねることは誰でも経験することだが、さて、自分は今後どうなる?
昭子が茂造の様々な行動に疲れ切ってしまいながらも、しっかりと対応していたのは立派であった。
私自身はどうだろう?そんな訳の分からない状態になったら、彼女のような対応を周囲の人にしてもらえる自信がない。
自分の身に置き換えて、様々なことを考えさせられた。
とにもかくにも、ずっと気になっていた「恍惚の人」という小説を読み終えることができた。
「恍惚の人」にならないようにするには、どうすればよいのかは分からないが、自分なりに「終活」を意識しながら、日々生活を充実させて生きていきたいものだとは思うのだが…。