ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

76歳パワーに元気をもらい、意外にも走り抜けた ~2024燕さくらマラソン~【後編】

2024-04-07 11:01:52 | RUN

水分補給して、バナナを口にして、「よし、あと半分!」と思うと、そんなにきつい気分ではなくなった。

ふと気づくと、76歳ランナーは、私より少し遅れて走るようになったようだ。

11㎞ポイントを過ぎると、スタート地点が近づいてくる。

ここから土手側の方には、三三五五、家族や知り合いを応援する人たちが声を出したり拍手したりして、いい感じ。

両側に桜がつぼみを赤くしているのだが、開花していないのは残念だ。

後ろについていた76歳ランナーさんも、「開花はまだだな」と声を出していた。

 

やがて両側桜の並木を抜けると、JR越後線のガードをくぐるために、一度下っていく。

そして、ガード下をくぐると、また土手道に上がるために、急な上り坂となる。

そこで12㎞。

ちょっときつい。

太ももがつらくなった。

ここで、76歳ランナーが、「いやあ、きつくなった」と声を上げた。

私は、その回復に時間がかからなかったが、彼はこの辺りから少し失速していったようだ。

「ようだ」というのは、私にも、後ろを振り返るまでの余裕はなかったからだ。

 

13kmそして14㎞へと土手道は、国上山や弥彦山に向かって走る感じ。

少し向かい風なのだが、この辺から走るのでなく歩く人の姿も目にするようになってきた。

 

淡々と15㎞通過。

折り返してきたランナーの中に知り合いが2人いて、すれ違った。

1人は、このブログでよく紹介する同級生ランナーのSIさん。

去年は笹川流れマラソンで一緒に走った。

フルマラソン100回は達成したのかなあ。

相変わらず速いや。

もう1人は、7,8年前の職場関係で知り合った、40代のT氏。

あの頃はぷっくら貫禄があったのに、今はスリムになって、大会で会うたびに私との差をどんどん開いて走力を向上させている。

ひげ面はあの頃と同じなのだが、今は貫禄よりもたくましさを増した感じですな。

向こうの方から私を見つけて、声をかけてくれるのは、ありがたい。

 

土手道を降りて、石湊交差点近くの第2折り返しに近づいていく。

16㎞地点のこの道は、40年ほど前の通勤路の一部。

あの頃誕生した娘は、1歳になる前だった。

近くには、良寛の「夕日の丘」があったっけ。

第2折り返し近くに知り合いがいるかもと思ったが、いませんでしたね。

ここからまた土手道に上がっていく。

上り坂は自分では苦手だと思っていたが、今回大会では土手への上りで何人か抜くことができた。

そのことから、脚が上がらない不細工な走りでも休まないからいいのだな、と自信が持てた。

 

そして、17㎞、18㎞と疲れたランナーを抜いて行く。

写真に撮れなかったが、今年も土手に少しだけハナダイコンの花も見られたのがうれしかった。

いよいよ19㎞まできた。

あと2㎞だ。

土手から降りて、この後、少しだけまた一般道を行く。

 

少し前から前方に、「20」の白いアウェイユニのランナーが走っていた。

「20」は島田譲選手の背番号だし、白い「ユズくん」のレプユニは珍しい。

なんとか追いつきたいと思った。

最後の給水ポイント。

給水してから、前にいた「ユズくん」に近づいたら、彼は道端に移動してストレッチを始めた。

抜いて行くときに、「アルビ、ユズくん、ガンバです!」と声をかけたら、「ありがとうございます」との声。

「明日の試合も勝ちましょう!」と振り向きながら、通り過ぎた。

 

調子よくそんなことを言った後、20㎞ポイントで、少し動悸が激しくなってきた気がしたので、少し歩きながら深呼吸した。

夫婦かというカップルが、私を抜いて行ったが、ダンナの方が奥さんに、何度もアドバイスの声をかけながら走っているのが、なんだか微笑ましかった。

 

さあ、ラスト。カッコつけたラストスパートなんかはしないが、リズムよくゴールを目指す。

ここは、翌日おいらん道中でおいらんが歩く道。

桜満開の下でやりたかったのに、明日ではまだようやく開花するかどうかくらいですね。

 

ついにフィニッシュゲートまで来た。

やったあ。やはりゴールはうれしい。

まったくの練習不足なのに、体が走り方を覚えていたということだね。

あの時のような荒天ではなかったとはいえ、終盤土手へのアップダウンが何度か繰り返されたコースを、6分13秒から6分51秒までのすべてキロ6分台で走り切れた。

走る前は、「途中から『遠足』になってもいいぞ大作戦」のつもりでいたのに、淡々と走り切ることができるとは、われながらオドロキであった。

 

これは、7kmからの約5kmを、あの76歳ランナーと同走して刺激を受けたからに他ならないな、きっと。

彼の6分30秒/㎞のペースは、私の走るペースを整えてくれたのだ。

もし、彼との話が楽しくなければ、「『遠足』になってもいいぞ大作戦」が発動されていたかもしれないと思う。

 

件の76歳ランナーは、私よりも4分ほど遅れたものの、ちゃんとゴールした。

「ありがとうございました!」と礼を言った。

これで、本当に明日の笹川流れマラソンも走れるのかな?

ゴールした私は、筋肉痛やら関節痛やらでヘロヘロだし、例によってまた目の前が白くチカチカしているというのに。

 

ネットタイムの2時間17分台は、半月前の新潟ハーフマラソンよりもおよそ1分速いタイム。

信じがたい上々の結果で、燕さくらマラソンを終えることができた。

76歳ランナーさん、元気パワー本当にありがとうございました。

手荷物預かり所では、元気なおばちゃんが、「アルビ、元気に帰ってきたね」と声をかけてくれた。

セレッソカラーの、大会関係者用のジャケットにくるまれたおばちゃんは、そうだね、と笑ってくれた。

 

そうそう、新婚時代のアパートは、まだあって、ちゃんと人が住んでいるようだった。

そんな確認もしながら、今日はよい大会だったと思った。

帰り道、車を運転しながら、白い光がチカチカと強く感じられ気になったが、まずはゆったりした気分になりながら、ゆっくり帰ってきたのであった。

(おわり)

コメント (2)
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