ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

運動会の後悔、40年以上たっても…

2011-05-29 20:31:48 | 「育」業

子どものころの私は、走るのが苦手だった。
だから、運動会が好きではなかった。
当時はひょろひょろしてひ弱な子どもだった。
運動、特に短距離走が苦手だった小学校の頃の私にとって、運動会は、一番嫌いな行事だった。
ところが、昔は運動会というと、地域中の人たちが集まるのだった。
衆人環視の中、50m走や100m走などでいつもビリを走る姿を見られるのだ。
小学校の6年間、毎年、子ども心につらくて仕方がなかった。
クラスのほかの子からは、
「男のくせに、おまえは、女子より遅い。おまえ、本当に男か?バ~カ!」
「おまえは足が遅いから、おれたちと同じ組だと負けてしまう。同じ組に来るな。」
こんなふうに馬鹿にされていた。
 いよいよ小学校最後の6年生の時、私は、作戦を立てた。
「100m走は、どうせビリの5位だ。だから、興味走の『障害物競走』に集中して3位を目指そう。1位や2位は無理でも、3位になって、少し見返してやろう。」
 運動会当日、その作戦通り、障害物競走はうまくいっていた。
なんとか3位でゴールテープの前まで来た。
後ろから別な組の子が迫って来るのを、なんとかぎりぎり抜かれずにゴールした。
「やった。目標どおり、3位だ!」
そう思ったのに、ゴール係をしている赤組の、けんかの強い子の一言がすべてを変えた。
「今のは、最後に赤組の子が抜いて、3位だ。絶対、最後に抜いた!」
そう言うと、周りの子どもたちを、じろっとにらみつけた。
周りの子たちは、怖くてそれに従い、3位だったはずの私は、4位になってしまった。
悔しくて悔しくてたまらない私は、もう、完全にやる気を失くした。
その後に、徒競走の100m走があった。
「一生懸命にがんばったのに、4位にさせられた。100m走なんて、どうせまじめに走ったって、オレはビリに決まってる。バカバカしくて、まじめに走ってなんかいられるか!」
そう思った私は、わき腹に手を当てて、腹が痛いふりをして、100m走をタラタラ走ったのだった…。

あれから、40年以上がたった。
小学校最後の運動会のことを思うと、今でも悔しくてたまらない。
でも、悔しいのは、4位にさせられたことではないのだ。
あの後、なんで100m走を本気で走らなかったのか、手を抜いてダラダラ走った自分のことが悔しくてたまらないのだ。
最後までがんばって走ったのなら、堂々とビリになっても、きっと自分をほめてやることができただろう。
当時の学校も、統合されてすでになくなっているというのに、こんな悔いを40年以上も残している私である。(苦笑)
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2 コメント

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私も運動会は苦手でした (蜂 吾郎)
2011-05-29 22:24:03
私も運動会は苦手でした。短距離走はいつもビリでした。当時は伯父伯母など親類縁者が大勢つめかけ大声で応援をしてくれる中ビリで走るのがとっても恥ずかしかったことを覚えています。5年生頃までの私は勉強にしても運動にしても人より劣っていることを何故か自分自信で納得していたように思います。だから「悔しい」とか「人に負けたくない」と云う気持ちが持てなかったのです。その点で50foxさんは私より優れていたと思います。また、『堂々のビリ』を果たさず今日まで悔やむ心を持ち続ける50foxさんもすごいと思います。私も「悔しい」とか「人に負けたくない」と云う気持ちが小学6年生のある時から持てるようになりました。その時から私も変わって来ました。苦い経験や体験があって現在の自分があるのだ思っております。
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Unknown (50fox)
2011-06-01 20:29:59
>蜂さん
その悔しさを子どもたちに語るのは、1つのネタになっている気もします。
年に一度、運動会シーズンは、よく語ります。
いろいろな経験をしながら、大きくなってほしい、後悔が残る人生は送ってほしくない、という願いがあります。
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