子どものころの私は、走るのが苦手だった。
だから、運動会が好きではなかった。
当時はひょろひょろしてひ弱な子どもだった。
運動、特に短距離走が苦手だった小学校の頃の私にとって、運動会は、一番嫌いな行事だった。
ところが、昔は運動会というと、地域中の人たちが集まるのだった。
衆人環視の中、50m走や100m走などでいつもビリを走る姿を見られるのだ。
小学校の6年間、毎年、子ども心につらくて仕方がなかった。
クラスのほかの子からは、
「男のくせに、おまえは、女子より遅い。おまえ、本当に男か?バ~カ!」
「おまえは足が遅いから、おれたちと同じ組だと負けてしまう。同じ組に来るな。」
こんなふうに馬鹿にされていた。
いよいよ小学校最後の6年生の時、私は、作戦を立てた。
「100m走は、どうせビリの5位だ。だから、興味走の『障害物競走』に集中して3位を目指そう。1位や2位は無理でも、3位になって、少し見返してやろう。」
運動会当日、その作戦通り、障害物競走はうまくいっていた。
なんとか3位でゴールテープの前まで来た。
後ろから別な組の子が迫って来るのを、なんとかぎりぎり抜かれずにゴールした。
「やった。目標どおり、3位だ!」
そう思ったのに、ゴール係をしている赤組の、けんかの強い子の一言がすべてを変えた。
「今のは、最後に赤組の子が抜いて、3位だ。絶対、最後に抜いた!」
そう言うと、周りの子どもたちを、じろっとにらみつけた。
周りの子たちは、怖くてそれに従い、3位だったはずの私は、4位になってしまった。
悔しくて悔しくてたまらない私は、もう、完全にやる気を失くした。
その後に、徒競走の100m走があった。
「一生懸命にがんばったのに、4位にさせられた。100m走なんて、どうせまじめに走ったって、オレはビリに決まってる。バカバカしくて、まじめに走ってなんかいられるか!」
そう思った私は、わき腹に手を当てて、腹が痛いふりをして、100m走をタラタラ走ったのだった…。
あれから、40年以上がたった。
小学校最後の運動会のことを思うと、今でも悔しくてたまらない。
でも、悔しいのは、4位にさせられたことではないのだ。
あの後、なんで100m走を本気で走らなかったのか、手を抜いてダラダラ走った自分のことが悔しくてたまらないのだ。
最後までがんばって走ったのなら、堂々とビリになっても、きっと自分をほめてやることができただろう。
当時の学校も、統合されてすでになくなっているというのに、こんな悔いを40年以上も残している私である。(苦笑)
その悔しさを子どもたちに語るのは、1つのネタになっている気もします。
年に一度、運動会シーズンは、よく語ります。
いろいろな経験をしながら、大きくなってほしい、後悔が残る人生は送ってほしくない、という願いがあります。