ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

ついでに「ひこにゃん」にも会いに行こう!

2010-08-18 19:23:02 | お出かけ
全国に、いわゆる「ゆるキャラ」ブームの火付け役となったのが、「ひこにゃん」だと言われている。
本来は、平成19年の彦根城築城400年祭を祝うために作られたキャラクターだったようだが、人気が出て、その後も彦根城等の観光のシンボルとなっているようだ。
せっかく近くを通るのだから、「せんとくん」だけでなく、このゆるキャラの元祖(?)ひこにゃんに会いに行かなくては!!

奈良から半日がかりで彦根城になんとかたどり着いた。
時節柄道路が渋滞で大変だった。
入り口近くの彦根城博物館には、この日のひこにゃんのスケジュールがちゃんと貼ってあった。
10:30〜11:00 
13:30〜14:00 
15:00〜15:30 
ふむふむ。それならば、今は、13:10。この博物館に入って、ひこにゃんを見よう。
すでに、2列で並んで待っている人たちがいた。
私たちも、その後に続いて並んだ。
そして、ある部屋に案内され、ひこにゃんの登場を待つ。
担当者の説明によれば、今日は、最低4分以上はパフォーマンスをしてくれるとのこと。
その「最低4分以上」の時間が終われば、部屋の外で待つ次の人たちと交替になるそうだ。
出てきた、出てきた。着ぐるみひこにゃん。
頭のかぶとが大きすぎて、入退室の際は横向きでないと出入りできない。
様々なポーズをとってくれ、かわいらしい。
でも、さすがに複雑な姿勢はとれないので、首の鈴をさわってみたり、ちょっとした小道具をいじってみたり…。
その辺の1つ1つのポーズが、いじらしく愛らしく目に映る。
さすが、元祖ゆるキャラ。勘どころを知っている。
あっという間に、「最低4分以上」が過ぎてしまった。
また体を横にして隣の控室に戻り、すぐ次の出番に備えにいったひこにゃんであった。

その後、彦根城に登る前に、彦根城博物館内を見て回った。
彦根と猫がどう結びつくのか。
ひこにゃんは、どこからこのキャラクターができたのかがわかった。

昔、江戸郊外の武蔵国荏原郡世田谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で彦根藩2代目藩主の井伊直孝が、にわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた時のこと。
手招きをする白猫を見て近寄ったところ、その大木に落雷があった。
命拾いした直孝はこの猫に感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。
この白猫の伝説(いわゆる、招き猫発祥伝説)にプラスして、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたのが、キャラクター「ひこにゃん」である。

なるほど。
ゆるキャラではあるが、しっかりした歴史的背景があるわけだ。

感心した後、坂道の階段を登り、彦根城の天守閣にも登った。
その途上、右太ももに痛みが!
体重をかけると痛い!
どうやら、前日・前々日と1万歩以上歩いたから、太ももが疲れて肉離れを起こしたようだ。
情けな~い!
しかし、痛いものは痛い。

この太もも痛、発症してから1週間以上たつのに、まだ改善されない。
おお、さすが50代。治りが悪い…。
助けておくれ、ひこにゃ~ん…。
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