8月6日。
広島に原爆が投下された日。
今日は、それから78年となる。
広島では、平和記念式典が行われ、過去最多の111の国の代表が参列したとニュースで報じていた。
全世界で平和への祈りを捧げるべき日であるが、ウクライナ問題では、ロシアが核使用をほのめかしたり、北朝鮮が核兵器開発に力を入れたりしていて、暗い影を投げかけている。
広島に関わって、以前、広島県出身の吉田拓郎と浜田省吾の歌をここで載せたことがあった。
広島に関する歌として、ほかにも私が忘れられないのは、フランスのシンガーソングライターだったジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」である。
高校を卒業して、大学生活に入って間もなくの頃、ラジオから流れてきたこの曲。
フランス語で歌われている曲だったから、何を言っているのか、全然わからなかった。
ただ、曲の紹介で、シンガー、ジョルジュ・ムスタキの名前と曲名の「ヒロシマ」だけは、しっかり聴き取った。
しばらくは、そのぼそぼそとした歌い方と最後の方に出てくる「ヒロシマ」の言葉が耳について離れなかった。
やがて、彼がプロテストシンガーだということを知り、ラジオで彼の曲の特集があったりすると、テープに録音したりして聴いたものだった。
その「ヒロシマ」の原詩を載せる。
Hiroshima Georges Moustaki
Par la colombe et l'olivier, Par la détresse du prisonnier,
Par l'enfant qui n'y est pour rien, Peut-être viendra-t-elle demain.
Avec les mots de tous les jours, Avec les gestes de l'amour,
Avec la peur, avec la faim, Peut-être viendra-t-elle demain.
Par tous ceux qui sont déjà morts, Par tous ceux qui vivent encore,
Par ceux qui voudraient vivre enfin, Peut-être viendra-t-elle demain.
Avec les faibles, avec les forts, Avec tous ceux qui sont d'accord,
Ne seraient-ils que quelques-uns, Peut-être viendra-t-elle demain.
Par tous les rêves piétinés, Par l'espérance abandonnée,
À Hiroshima, ou plus loin, Peut-être viendra-t-elle demain,
La Paix!
さすがに何を言っているのかわからない。
訳詞に登場してもらおう。
ヒロシマ ジョルジュ・ムスタキ
鳩とオリーブによって 囚人の苦しみによって
罪のない子どもによって たぶん明日来るだろう
日常の言葉とともに 愛の仕草とともに
恐怖と飢えとともに たぶん明日来るだろう
すでに死んだすべての者たちによって まだ生きているすべての者たちによって
とにかく生きようとする者たちによって たぶん明日来るだろう
弱い者たちとともに、強い者たちとともに 合意するすべての者たちとともに
それが一握りの人々でしかなかろうが たぶん明日来るだろう
踏みにじられた夢によって 打ち捨てられた希望によって
ヒロシマに、あるいはもっと遠くに たぶん明日来るだろう
平和が!
歌は、ずっと「たぶん明日来るだろう」が繰り返される。
来るものはいったい何なのか?
と思っていると、「ヒロシマ」の言葉が登場し、最後に、「La Paix!(平和が!)」と歌われて終わりになる。
さまざまな困難があり、苦しみがありながら、人々は毎日の暮らしを送り、時間を重ねていく。
夢や希望が打ち消されてしまっても、人々が明日を信じていれば、平和はやがて訪れるはずだ。
そんなことが歌われている(と思う)。
そこに「ヒロシマ」を入れて歌うことによって、戦争の悲惨さと平和の困難さをさらに強調していたのかもしれない。
だけど、最後に「平和が!」と歌い、平和を強く願っていることが伝わって来る。
ジョルジュ・ムスタキは、今から10年前の2013年に79歳で亡くなった。
なお、意外なことに、「ヒロシマ」は、西城秀樹が歌っていたと聞いた。
ただ、歌詞は、原詩とは全く違ったものだったらしい。
西城秀樹が広島県出身だったことを考えると、うなずける気がするのである。
8月6日。
もう一度、ムスタキの「ヒロシマ」を聴いてから寝ることにしよう。