ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

突如大雪の一日

2018-01-11 22:03:41 | 新潟
当地ではこの冬一番の寒波が来たようだ。
上空に氷点下33度以下の非常に強い寒気が入り込み、冬型の気圧配置が強まって、今日は当地でも一日中雪が降っていた。
新潟県内では、県都新潟市はいつも積雪は少ないのだが、今回は40センチを超える積雪となっているそうだ。
また、10年前に勤務していた場所のすぐ隣だった東蒲原郡阿賀町津川では、20時現在1m48㎝の積雪となっているのだそうだ。
これはすごいなあと思ってしまう。
こちらより例年多く雪の降る長岡市も、今はまだ同じくらいの42㎝の積雪量となっている。

とはいうものの、今日は勤務終了後に帰ろうと思ったら、車はこの有様。

屋根や周囲には雪がたまっていた。

車の屋根には30㎝くらいは積もっていただろうか。(矢印部分)

さすがにこれだけ降ると、どこの道も除雪で大変。
わが家の前も、私が勤務している間に2度も除雪車が来ていったとのこと。
私が帰った夕方は、家の前だけ特にきれいに除雪されていた。
妻と、特に娘ががんばって、除雪車のために家の前に積まれた雪を除雪したということを聞いた。
寝違えた首が痛いのにがんばって雪を動かしてくれたことに感謝した。

電車が止まってしまった路線もあると、ニュースは伝えている。
大雪は明日にかけても続く見込みだという。
明後日は、センター試験の初日でもある。
これ以上降ってほしくないなあ。

明朝は、また除雪車が通って、わが家の前に雪をたっぷり置いて行くだろうから、その除雪作業に精を出すために、今夜は早めに休むことにしよう。
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鈴木新監督、よろしくお願いいたします。

2018-01-10 22:35:24 | アルビレックス新潟
今日の夕方のTVニュースは、NHK新潟はじめ民放各局も、J2に降格となったアルビレックス新潟の鈴木政一新監督の就任会見を行っていた。

印象としては、私と2,3歳しか違わないため、失礼だが、私同様「おじいちゃん」的なルックス。
しかし、非常に落ち着いた雰囲気のある方だし、しっかりした持論ももっている方だな、と思った。
さすがに、ジュビロ磐田の黄金期を指揮した経験のある方だなと感じた。

J1復帰のためには、「自身がアルビ愛をもたなくてはいけない。」と言っていたし、「ぶれずにやっていきたい。」とも語っていた。
志向するサッカーに関しては、「アグレッシブでクリエイティブなサッカーをやりたい。」とのことだった。
昨季の新潟は、「得点するのに個人の能力に頼っていた。」と言い、選手が連動した攻撃を求めているように聞こえた。
また、改善のポイントとして、守備のあり方を語っていた。

今日は、昨季途中加入したドウグラス・タンキと規律違反を犯したうえ途中帰国したチアゴ・ガリャルドの2名との契約満了が発表された。
退団していく選手ばかりで、今季契約の外国人選手は、まだ1人もいない。
昨年攻撃の中心だったブラジル人選手ホニや、守備の中心だった韓国代表のソン・ジュフンの動向もまだ発表されていない。
しかし、明日は、新入団選手の記者会見があり、明後日から練習がスタートする。
選手層がこんなに薄くていいのか?と考えるが、鈴木監督は育成でも実績のある監督だ。
監督やコーチ、選手たちを信じて任せ、チームを見守っていくことにしよう。

鈴木政一新監督、よろしくお願いします!

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3学期の始まり、がんばって。

2018-01-09 22:04:35 | 「育」業
1月9日火曜日。
火曜日は、私の勤務日ではない。
でも、今日は、2期制でなければ県内ほとんどの学校で3学期の始業式となったはずだ。
だいたいのところで17日間の冬休みがあったはずだ。
学校の先生にとっても、年末年始の6日間は少しはゆっくりできただろうか?
でも、年が明けて6日7日と普通なら勤務日となるはずが、今年は週休日だったから、しっかり準備をするのが大変だったのではないかな?
小学校であっても、一般に3学期の授業日は50日余りしかないはず。
中学校や高校だと、もっと短いことだろう。
非常に短いうえに、学年末だから、終わりが決まっている。
しっかり学年の学習を、どの子もわかるようにして終わらせなければならない、という重要なノルマがある。
それなのに、インフルエンザの流行が必ずあって、学校を休む子が出るのに学習も進めなくてはいけなくて、非常に苦しい日々が続くこともあるのだ。
今日は、たくさんの冬休みの宿題を子どもたちが置いていったことだろう。
まずは、それらに目を通すことが、本日中の仕事となったことだろう。

俗に、
1月は、行く。
2月は、逃げる。
3月は、去る。
…と言われるが、その通りだと思う。

さあ、3学期が始まった。
大変ないそがしい毎日になるけれども、がんばってほしいな。

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移籍加入選手の情報がほしい

2018-01-08 22:58:05 | アルビレックス新潟
ここ数日、サッカーJリーグのアルビレックス新潟のサポーターたちの苛立ちの声が大きい。
なぜかというと、移籍したりして出て行く選手の情報は多いが、入って来る選手の情報が少ないのだ。
15人の選手が、退団もしくは期限付き移籍をして出て行った。
なのに、新人として入って来るのは、3人(大卒2、高卒1)であり、他チームからの移籍加入も、まだ3人というところなのだ。
おまけに、他チームへの移籍が噂される、主力だったホニ、山﨑、ソン・ジュフンの動向も、まだ発表されていない。
今回の転出には、新潟にいてほしいと思っていた愛着のある選手たちが多かった。
新潟県出身の、高校時代まで新潟で育った、大野や小塚らも出て行く。
その選手たちの転出先は、J1のチームに行く5人は、それなら仕方がないと思う。
だが、酒井宣・富山…大宮、小塚…甲府、ロメロ…町田、増田…岡山、守田…松本、前野…愛媛、宮崎…金沢、森…東京Vと、圧倒的にJ2でライバルとなるチームに出ている方が多い。
選手の力についての見立てはそんなものなのだろうけど、出て行く選手に見合う数の選手が入って来ていないのである。
おまけに、一緒にJ2に落ちた大宮には、レンタルバックする富山は仕方ないとしても、酒井宣も完全移籍していく。
大宮には、それ以外にも、以前新潟で主力だった三門が福岡から移籍している。
3年前に新潟を突然退団し、フィンランドのヘルシンキでMVPをとるなどして活躍した田中亜土夢が、3年を経て、セレッソ大阪に加入することも決まった。
亜土夢がJリーグに戻るなら、新潟に戻ってほしかったという人も、多い。
こうして、新潟にゆかりのある選手たちがよそのチームに移っていくことが、苛立ちを募らせていくことにつながっている。

最後に、どうしても力のあるブラジル人選手に頼らざるを得ないというのに、その移籍情報もない。
去年開幕当初にいた3人のうち2人は、規律違反を犯してシーズン途中で帰国してしまった。
頼りになった唯一のホニは、まだしっかりした移籍情報がない。
そうこうしているうちに、チームの活動始動日は3日後の11日に迫っている。
こんな少ない人数では、戦力不足は否めない。
「やっていけるの?」「フロントやっぱり無能」など、批判的な声が多く出回っている。


でも、社長、フロントだって、どうでもいいとは思っていないはず。
J2への降格という不安、J1への1季での復帰を期待したいからこそ、サポーターたちは焦るのだ。
だが、ここは、じっくりチームを信じて待つしかない、と思う。
他チームは他チーム、私たちは私たち。

…そうはいうものの、やはり期待したい選手は多い方がいいのだが。
果たして、どうなることやら…。
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散歩日和、RUN日和

2018-01-07 23:01:01 | 新潟
正月休みが明けて出勤後、また3連休。
うれしい気分になる。
どこに出かける訳でもないが。
新潟県で冬、雪、というと、スキーやスノボに出かけて行く、というイメージがあるかもしれないが、が得意な人ばかりがいる訳ではない。
新潟県の平野部、しかも海岸近くで育った私は、スキーは一応滑れるが、うまい方ではない。
それでも、雪国新潟県で育っているのだから、子どもたちが滑れるようにと、20年余り前は子どもたちを連れて、ひと冬に何回かはスキーに行ったものだ。
子どもが中学生になって以降は、わざわざスキーをしに行こうとは思わなくなった。

それよりも、雪が降らないで時折晴れ間も見えた、今日のような日がうれしい。
今年の冬は、年末から年明けにかけて県境・山沿いではすごい勢いで雪が降ったが、幸いこちら平野部ではそんなに積もらなかった。
だから、今日は、午前中は散歩日和だった。
運動不足となっている娘のリハビリを兼ねて散歩に連れ出した。
早歩きはできないが、だいぶ歩くことが継続してできるようになり、疲れを訴えなくなったのは何よりだ。
歩き出したら雪も少しちらついたが、今日は1時間以上、6,000歩強歩くことができてよかった。
これだけ歩いたのは、療養に入ってから初めてだ。

午後からも、陽射しや薄日が続いていた。
明日からまた天気が崩れるという予報だったので、散歩はしたが、走りにも出ることにした。
気温は5℃。
風が冷たかったが、走り続けていたら寒さはなくなった。
15kmを走ることにして、1時間25分走ってきたが、歩道に雪があったのはほんの一部だけだった。
雪がなくて歩いたり走ったりできる環境があるというのはいいなあ、と改めて思った。

これから約2か月間、いつ、どれだけ雪が降ってもおかしくない時期になる。
降らなければもうけもの。
今日も、「もうけた」日だった。
降らなければもうけもの。
そんな気持ちで過ごしている今である。
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星野仙一氏の訃報に思う

2018-01-06 23:00:23 | ひと
今日のテレビニュースは、朝から星野仙一氏の訃報一色だった。
昨年は、プロ野球の殿堂入りを果たし、それを祝うパーティーでも元気な姿を見せていただけに、急逝したような思いを抱く人が多かったことだろう。
氏のことだから、他の人の前では自身の弱っているところを見せなかったのかもしれない。

まだ70歳、早すぎる気がしてならない。
1947年生まれだったから、私と10年しか違わなかったのか、と改めて思った。
なぜなら、私が子どもの頃のプロ野球と言えば、王・長嶋が活躍していた時代であり、その二人とも対戦し気迫のこもった投球をしていたのが星野仙一投手だったからである。

特に印象に残っているのは、1973年シーズンのことである。
この年は、阪神タイガースが、残り2試合でマジック1となっていた。
そこに立ちふさがったのが、中日ドラゴンズの星野投手であった。
自分のチームには優勝のチャンスはないのに、阪神を抑え、4-2で中日が勝利したのだ。
傷心の阪神は、勝った方が優勝となる最終戦で、ホーム甲子園なのに0-9と大敗し、巨人がV9を達成したのだった。
そのおかげで、昨年亡くなった小林勝喜さんは、「(社長をしていた)シャープ産業が、阪神優勝のグッズを大量に製作発注していたというのに、星野仙一のせいで大損をした。」と語っていた。
星野投手は、翌年エースとして活躍し、巨人のV10を阻み、見事にセントラルリーグの優勝を果たしたのであった。
その頃私は高3だったが、日本シリーズは、高校を抜け出して近くの同級生の家でテレビ観戦し、星野投手や村田投手の躍動する姿を見たりしたのを覚えている。

その後の活躍は言うまでもないが、熱血が過ぎた乱暴者、というイメージがあって、なかなか好きになれなかった。
それを壊したのは、1985年からのNHKサンデースポーツのキャスターを務めていたときのことだった。
意外と繊細で思いやりがあり、人を楽しませたり励ましたり勇気づけたりすることが多く、それまでのイメージが覆り、好感を抱くようになった。

なかでも、阪神の監督時代、2003年に巨人の原監督が辞任する羽目になったとき、甲子園球場で試合後に激励の言葉を力強く送っていたことが忘れられない。
大局を見て敵将をも励ますことができる、すばらしい人間性を感じた。
そのような人間性があるからこそ、監督として3球団で優勝することができたのだろう。
東北大震災から2年後、東北楽天イーグルスが優勝を果たすことができたときの、被災者を思う優勝インタビューも、忘れられない。

プロのスポーツ選手として、またプロスポーツの指導者として、私たちにすばらしいものをたくさん見せてくれた星野氏に感謝し、氏の冥福を祈りたい。
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四半世紀ぶりに…

2018-01-05 22:30:54 | 「育」業
昨日は休みをとったので、今日が仕事始めの私。
昼食をとるために、知っている飲食店に行った。
ひょっとすると、そこのご子息が帰省しているのではないかな?と思ったのだ。
いたら会いたいな、会えるといいな、と思っていた。
会えなくても、そこの店のご夫婦は気がいいので、楽しい話ができると期待しながらドアを開けた。

昼食時間だけに店は混んでいた。
中に入ると、そこの奥さんが、「今年もよろしくおねがいします。」と言ってくれた。
調理場からは店主兼料理人のおやじさんが、調理しながら頭を下げてくれた。
「おお。」
と、驚きの声で迎えてくれたのは、カウンター席に座った二人の男性だった。
一人は、私が今日なら会えるかも、と思ったHさん。
もう一人は、その友人で、双子の小学生を連れたお父さんとなっているNさん。
実は、この二人は友人同士で、どちらも四半世紀前の教え子。
彼らは、5回卒業学年を受け持ったが、その最後の代の人たちであった。
彼らと私は、同じトリ年の生まれだが、2回り違う。
彼らを受け持っていた時、私は36歳だったし、その時彼らは12歳。
そして、その年勇退された校長は、60歳だった。
その年の差分以上の分、年月が立った。
私は、あの当時の校長の年齢を越え、彼らはあの当時の私の年齢を越えた。
あれから25年かあ…と思いながら、彼らを見つめると、あの頃の私の方がずいぶん危なっかしい(?)存在だったのだなあ、と思う。

ここは親父さんが厨房で1馬力でフル回転しているので、混んでいる時は注文したものが出てくるまで、たっぷりと時間がかかる。
しかし、その時間がまったく苦にならないほど、いろいろ会話していた。
Hさんは、仕事でかなりの間、ヨーロッパに滞在した経験があるが、「やっぱり日本が一番いい。」と言っていた。
父となっているNさんは、両脇の椅子に双子の娘を座らせながら、娘たちにもいろいろ語りかけていた。
私、Iさん、Hさん…この3人で座って話をするのも、四半世紀ぶりだ。
私にとって、自分のしてきた仕事を思うと、しっかりした社会人となって今を生きている彼らの姿を見るのが、最大の喜びだ。

私が知っている範囲で、彼らの同級生たちの近況を話していると、あっという間に時間が過ぎていく。
「いけない。電車の時間が近づいた。」
と、Hさんは立ち上がった。
Hさんは、国内にいるが、飛行機あるいは新幹線を乗り継いで行かないといけない、ちょっぴり遠方に住んでいる。
友人のIさんが車で送ってあげるのだと言う。
小学校時代は、もう四半世紀前になっているのに、ずうっと友人でいられるのはいいなあ、とも思った。

よかった、二人に会えて。
過去は取り返せない。
だから、彼らがかつて私と過ごした時間をよいものだったと言ってくれることは、非常にうれしい。
間違いなく元気をもらった思いがした。
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雪に負けずランニング

2018-01-04 22:10:41 | RUN
 昨日今日と、地元紙新潟日報は、「冬を楽しむ」をテーマとした投稿を特集している。
今日載っていたのは、撮り鉄と晩酌、里山登山、カキ食べ健康管理、着物から布ぞうり作り、スノーシュー散策などがあったのだが、「雪にも負けずランニング」というのがあった。
当地より降雪量が多い長岡市の57歳の男性が投書したものである。
こんなことが書いてあった。

ランニングブームだが、雪の降るときは外では走りたくない人も多いと思う。
私は雪の日でもあえて外を走ることにしている。屋内のランニングコースは性に合わないのと、雪に負けたくないという小さな意地があるのも理由である。
降雪時に走るときは足元の安全も考え、圧雪はなるべく避け消雪パイプのある所を選ぶ。特に比較的きれいに消雪された狭い旧道がよい。服装は、ランニング姿の上に防寒用ウインドブレーカー上下と帽子を着用すればほぼ大丈夫。シューズがぬれて多少冷たい思いをするのは覚悟である。
雪が降っていても走る。最初は寒いがしだいに温かくなる。運動で温まると委縮していた細胞が生き返るようで、他の季節異常に爽快感を覚える。10キロも走ると心地よく汗ばんでくる。
私が走るのはもっぱら夕方。走った後は入浴するが、運動による体温上昇と風呂の温かさの相乗作用で体が温まり、普段の入浴よりもはるかに気持ちがいい。そして一杯飲みながら、寒さを克服して走ったその日のランニングを振り返るとき、雪に負けず走った満足感と達成感を覚える。


ああ、自分と同じだなあ、と同意できるところが多かった。
私も、今では屋内RUNは好きではない。
多少の雪でも、足元が大丈夫なら、走ってしまえ、と思っている。
もっとも、私は、毎日走るような殊勝さはもちあわせていないので、あくまで走りたいときの話だ。
そして、走るのによい場所についても、同感なのだ。
消雪パイプのあるところは、水で雪がとかされ、道全体までは雪なしとはいかなくとも、舗道の露出が多く、走りやすい。
大きな道は、車の往来が激しくて危ないし、歩道は雪が多く残っている。
ただ、旧道になってしまったところは、消雪パイプが残っていて、車の通りも少ない。
だから、消雪パイプのある狭い旧道は、走りやすいのだ。

今日、こんな投書を読んでしまうと、元旦マラソンから3日もたって走りたくなってしまった。
わが家の前は袋小路なので雪がたくさん残っていたが、消雪が進んでいて車の通りが少ない旧道を中心に10kmほど走った。
投書同様に夕方走ったが、外気温は1℃なので、雪が残っているところは、凍結し始めていた。
だから、極力雪のない道を選んで走った。
これからも、冬であっても雪が降っても、工夫しながら、走りたいときに走るとしよう
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「せんせい。」(新潮文庫;重松清)を読んで

2018-01-03 22:41:41 | 読む


「せんせい。」は、重松清の作である。
この本は、様々な先生が登場する短編集となっている。
・ 白髪のニール(高校の物理の教師)
・ ドロップスは神さまの涙(小学校の養護教諭)
・ マティスのビンタ(中学校の美術教師)
・ にんじん(小学校6年担任の教師)
・ 泣くな赤鬼(高校の野球部指導教師)
・ 気をつけ、礼。(中学校社会の教師)
主人公であったり、主人公とかかわる教師であったりしている。

登場する先生は、どちらかというと、立派な言動をする人は少ない。
生徒からギターを習って、ロックン・ロールを歌いたがる先生。
保健室でぶっきらぼうな先生。
特定の生徒を毛嫌いしてしまう先生。
才能のある子を伸ばしきれない先生。
甲子園を目指しながら、どうしても壁を破れなかった先生。
借金まみれになって、姿を消してしまう先生。
…教師らしさを残しながらも、なんだかとても人間臭い言動をする登場人物となっている先生ばかりだ。

昔は、「先生様」と言われ、教師が一目置かれながらちやほやされた時代もあった。
多少の問題があっても、「そういう先生もいる。」と、寛容に受け止めてくれていた。
今は、この本に登場するようなことをしていると知られれば、教師を辞めなければいけないような時代になっているとも思った。
しかし、完璧な先生なんていないのだ。
でも、現代は、そうでなければならないと求められている世の中でもある。

書名は、「せんせい。」であって、「せんせい」ではない。
「。」が付いているところに、呼びかけているような感覚を感じる。
先生に言いたいことがある。
先生を呼んでいる。
訴えているようにも感じるのは、私だけではないだろう。

教師だって、人間なのだ。
だから、いい加減でいい、とは言わないが、教師だって悩みながら生きているのだ。
そういう人の方が、人を育てるためにはふさわしい資質をもっていると思うのである。

薄い短編集だが、いい本だなあと思った。
BOOKOFFで108円で買った本だったけど、得をしたような気分にもなったのであった。



ところで、昨日書いた高校サッカーの日本文理。
今日は、1-1から作陽(岡山)をPK戦の末に、7-6で下した。
これで、ベスト8だ。
お見事!
まだまだ行ける。
がんばってほしいなあ。
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サッカーもいいぞ、日本文理!

2018-01-02 22:40:59 | 新潟
昨日は雨。
今日は、午前中に晴れ間もあったのに、夕方から雪。
こんなふうに、安定しないで崩れやすいのが、新潟の冬。
冬は悪天候が多いから、屋外スポーツは弱い、という新潟県。
年末から様々な高校スポーツの全国大会が行われているが、今季新潟県勢が活躍したのはバスケットボール男子・帝京長岡高校の3位である。
ただし、バスケットボールも屋外スポーツである。

さて、今日は、テレビで箱根駅伝の中継が終わった後、続いて全国高校サッカーの2回戦の中継があった。
新潟県内の放送は、「日本文理-旭川実」。
全国高校サッカー初出場の日本文理が、初戦で大会常連の立正大淞南に2-0で勝ったのである。
そして進んだ今日の2回戦。
ボールを圧倒的に支配し、2-0で快勝した。
実にいい攻めを展開していた。
見ていて楽しかった。
守備でも、ボールを持つ選手に対して非常にいいチェックをしていた。
全国大会で2勝は立派である。
初出場で3回戦に進出したのは、今大会は日本文理だけである。

ところで、日本文理と言うと、やはり高校野球だ。
あの2009年の夏、9回表2死ランナーなしから、5点を取った攻撃は衝撃的であった。
日本文理のサッカーは、野球とは比べものにならないほどずっと弱かったのだが、この活躍ぶりは見事だ。
次の3回戦でも今日のような戦いぶりを見せ、勝ち進んでほしいものだ。
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