奄美 海風blog

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今日の大浜 オオハマボウ クリエイティブショット 8枚

2021年08月14日 | 写真

奄美大島は、ここ数年強い台風の接近、上陸もめっきり減って、今年も酷暑は、それほど感じない。(ただ船の欠航は多くなったように感じる)

きょうの大浜は、やや風が強くそれなりに波もたっていましたが、天気は悪くはなかった。

 


きょねんの記事 スパイダーリリー 

2021年08月13日 | 過去の記事
 
スパイダーリリー 

言われてみれば、白く細く長い花被片がクモの脚に似ているが6本しかない。ハマユウにもヒガンバナにの似てなくもない。芳香もある。コトバンクヒガンバナ科の多年生球根植物。......
 

ユリのもハマユウにも似て、クモの脚にもヒガンバナにも似ている。

山野でよく見かけるものではなく、これはガーデンで見た。


映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』2019年12月公開 116分 松竹

2021年08月12日 | 映画

『男はつらいよ お帰り 寅さん』2019年12月27日公開。映画『男はつらいよ』シリーズ50周年記念作品で
通算第50作目。

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これは、奄美大島が主な舞台になった第48作 1995年12月23日 男はつらいよ 寅次郎紅の花
のつづきと言っていいかもしれない。

何か書くとネタバレになってしまいそうなので、あまり言えませんが
奄美大島の加計呂麻島のアダンの浜辺で、満男にあわい恋心を抱いた及川泉ちゃん(後藤久美子)、
それをアダンの木陰で見つめる、遺作となった渥美清演じる寅さんとリリー(浅丘ルリ子)
あれから20年数年、詳しく言えないが、満男は中二の娘がいて、物語は満男の妻の7回忌のシーンから始まる。

満男の、高校の同級生の泉ちゃんへの加計呂麻島の浜辺の恋心はどーなったのでありましょうか。
あまり言えない。

わたしの想像では、加計呂麻島で寅さんの旅の帰りをまっていたリリー
さんは、待ちくたびれて自らも長い旅に出ているはづなのですが、
81歳の浅丘ルリ子さんが、あの頃とかわらない美しさで演じています。

あまり詳しくは書けませんが、それぞれ(よく考えられた)アッと驚く人生が・・・展開します。。
満男の回想のなかで若いころの寅さんがおなじみの「寅さん語録」で悩める父満男を励まします。

その他のとらやに集う人たちもそれぞれ年をとって出演していて、若いころのマドンナたちも
想像のなかで昔のフィルムで多数でてきます。くるまやは今やおしゃれなカフェに・・。

これ以上はいえません。

ネットで視聴できます。

予告編はこちら https://youtu.be/-dL5OHWsW8w

 


『男はつらいよ』メモ wikipedia 本作の内容ではありません

1968年(昭和43年) - 1969年(昭和44年)に、フジテレビが制作・放送したテレビドラマが最初で、柴又の帝釈天が舞台ではなかった。このテレビ版はヒットしたが、最終話でハブ酒を作ってひと儲けしようとした寅次郎が、奄美大島にハブを取りに行って逆にハブに咬まれ、毒が回り死んだという結末に視聴者から多数の抗議が殺到して映画化につながった。

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『男はつらいよ』は、鹿児島・沖縄ロケ地

第3作 1970年1月15日 男はつらいよ フーテンの寅 森崎東 新珠三千代 香山美子、河原崎建三、花沢徳衛 三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島) 

第25作 1980年8月2日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 山田洋次、朝間義隆 浅丘ルリ子③ 江藤潤 沖縄県、長野県(軽井沢町)、群馬県(中之条町)

第34作 1984年12月28日 男はつらいよ 寅次郎真実一路 大原麗子② 米倉斉加年、風見章子、津島恵子、辰巳柳太郎 鹿児島県(枕崎市・指宿市)、茨城県(牛久沼) 

第48作 1995年12月23日 男はつらいよ 寅次郎紅の花 浅丘ルリ子④ 後藤久美子⑤ 夏木マリ、田中邦衛、村山富市、宮川大助・花子 鹿児島県(奄美大島)、岡山県(滝尾・津山)、兵庫県(神戸市)


本作が制作された年(1995年)

阪神・淡路大震災(1995年)の直後に撮影された本作で、避難所の村山富市首相(当時)の隣に寅さんの姿が合成で映っている。


第49作(特別編) 1997年11月22日 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 浅丘ルリ子⑤   江藤潤 沖縄県 

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第50作 2019年12月27日[65] 男はつらいよ お帰り 寅さん 山田洋次、朝原雄三 浅丘ルリ子⑥ 後藤久美子⑥ カンニング竹山、出川哲朗、松野太紀、富田望生、倉島颯良、中澤準、田中壮太郎 鳥取、神奈川 


動画 きょうの大浜海岸 台風一過のツートンカラー and ツイートまとめ 引き潮の アダンの浜辺

2021年08月09日 | 台風情報

210809 大浜海岸

 

 


今朝、臨時便フェーリ入港 名瀬港 台風9号 お昼頃の様子 動画

2021年08月07日 | 台風情報

210807 台風9号接近 名瀬港


夕方のオオハマボウand ハイビスカス 大浜海岸

2021年08月04日 | 写真

 

 

 


『緑の牢獄』 沖縄西表炭坑に眠る台湾の記憶  単行本 – 2021/3/13

2021年08月03日 | 本と雑誌

『緑の牢獄』 沖縄西表炭坑に眠る台湾の記憶 単行本 – 2021/3/13
黄インイク (著), 片岡力 (編集), 黒木夏兒 (翻訳)5つ星のうち4.6    9個の評価


本書のタイトルと同名のドキュメンタリー映画『緑の牢獄』の監督・黄インイク (著)
沖縄在住、台湾出身のドキュメンタリー監督・プロデューサー。33歳と若い。

 

映画『緑の牢獄』予告編
9,999 回視聴2021/03/22

https://youtu.be/iDljAzKoyeE

返却期限がきてしまって、まだ読んでいない。映画も見ていない。そもそも知らなかったが、
予告編だけ見て、本もパラパラ読みですませた。

いずれネットで映画が見られるようになったら、と思い、メモがわりにこの記事を書いた。

1853年、幕府に開国をうながすため来日したペリー艦隊は、「琉米修好条約」の締結という目的もあったため、
、岐路も琉球へも立ち寄っている。

この時ペリー一行は、西表島の炭鉱資源興味をしめしたという。


wikipedia ペリー艦隊は53年5月琉球に初めて来航して以来前後4回にわたって琉球を訪れたが、東アジアに占める琉球の地理的重要性に着目し、同地を拠点の一つとして確保するため琉球側に条約の締結を求めた。琉球側はこれを拒否したが、日米和親条約(54年3月)の締結を知りペリーの要求を受け入れることにした。

明治19年(1886年)、西表炭鉱の初めての正式な採掘が「三井物産会社」によって始まった。(P62)明治日本の近代化政策の一環だ。
西表炭鉱開発は、戦後沖縄の米軍統治時代の1960年までつづく。

タイトルと副題をみて、いわゆる「徴用工問題」、大日本帝国陸軍、非人道的、などを想起したが、すくなくともそれがメインの話ではなさそうだ。

それよりもっともっと興味深い内容がつまっていそうだ。

片手でページをめくっていくだけでも、ページ数とほぼ同じ件数とおもえるほどの写真も興味深い。
映画のシーンのような、ハッとするものや、えっと驚くような古いなつかしいものあり、あきない。
力作だ。


 amazon 歴史の狭間に埋もれていた衝撃の史実。
かつて 10 歳で台湾から炭鉱のある沖縄・西表島へ渡り、以後 80 年以上島に住み続けた一人の老女。彼女の人生の最期を追いかけて浮かび上がる、家族の記憶と忘れ去られた炭鉱の知られざる歴史。
現代日本人が最も注目する二つの場。それは台湾と沖縄。日本人が思い出さなければいけない歴史の原点がここにある。

出版社からのコメント
台湾の若き異才、黄インイク監督の最新作「緑の牢獄」。 本書は映画では描き切れなかった記録の集大成である。 映画同様の妥協を許さぬ文章製造過程を経て、本書は執筆された。 よくある映画のオマケ本の類ではないことを強調しておきたい!