「 昨年の今日、大神神社のササユリ園を訪れている」そのような記事のお知らせがあった。
今年は三輪さんへは多分いけないだろうと思って、7日の午前中の涼しい間に、明日香の国営飛鳥歴史公園へ、ササユリの開花を期待して行った。
涼しい間にと思ったけれど、この日は太陽がガンガン、ジリジリの日だった。
歴史館にまず行って、開花の情報を尋ねることにした。
軒下からなんだか白い煙のようなものが流れ出ていると、遠くから気になって近くになるにつれ、その実態が分かった。
小さい坊やが「ママ、冷たくていい気持だよ!」と言っている。
この暑い日のありがたいおもてなしの霧の噴射だった。
「高松塚古墳の方へ行く地下トンネルを潜って右側の土手に、ササユリが咲いていますよ。」歴史館の方が教えてくださった。
昨年も来ているので、どの辺りか見当はついている。
かなり斜面の土手の中ごろに咲いているはずだ。
木枠の段々道が上に続いている。膝に応える一番つらい登りであることは覚悟の上。
その上で待っていてくれる楚々とした、淡いピンクの最も日本の花らしいササユリとの出会いは、去年出会ったからもういいわというものでなく、今年もまた是非出会いたい、この花の持つ雰囲気に強く惹かれる。
愛用の携帯ストックはこんな時になくてはならない相棒だ。
初めて購入して使ったのは膝を補助するためでなく、体のどこにも故障がなく元気いっぱいで好調な時、退職した年の初夏、沼山峠から尾瀬沼に向かった時だった。6月なのにまだ2mほどある雪道を峠の向こうの尾瀬沼に咲く、水芭蕉に会いに行った時のことだった。それから20年ばかりたった今は、段々登りをこのストックに助けられている。それでも登りたいという意欲は失せていないことは嬉しい。
1段1段バランスを取りながら慎重に登った。
万葉集に詠まれているユリの詠
吾妹子わぎもこが家の垣内かきつの小百合花後ゆりとし云はば不欲いなといふに似む 紀豊河
道の辺の草深くさふか百合ゆりの後ゆりにとふ妹いもが命をわれ知らめやも 人麻呂歌集
さ百合花後ゆりも逢はむと下延したはふる心しなくは今日も経へめやも 大伴家持
飛鳥里山クラブの方々によって大事に育てられて今年も美しく開花していた。
万葉集に詠まれているユリの詠
道の辺の草深百合の花咲えみに咲えみしがからに妻といふべしや
筑波嶺のさ百合の花の夜床ゆとこにも愛かなしけ妹そ昼も愛かなしけ 大舎人千文
あぶら火の光に見ゆるわが蘰かづらさ百合の花の笑えまはしきかな 大伴家持
万葉集に詠まれているユリの詠
燈火ともしびの光に見ゆるさ百合花後ゆりも逢はむと思ひそめてき 内蔵縄麿
さ百合花後ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ 大伴家持
夏の野の繁みに咲ける姫由利の知らえぬ恋は苦しきものぞ 大伴坂上郎女
大好きなササユリの咲く季節の巡りに、今年も出会えたことを、当たり前と思うものでなく、もし何かの不都合が体に起これば、明日香村まで車を走らせることもできないだろうし、「当たり前」でなく今を生きさせてもらえることを、古代から多くの人に愛でられてきたササユリとの出会いにもの思うことが沢山あるこの頃である。