一人かるたの暗記を暇に任せて楽しんでいる間に、テレビ大河ドラマの「光る君へ」の中に登場する作者の札を見つけては、何度か詠むことがとても楽しみになりました。
百人一首のかるた取りは、小さい時は「坊主捲り」の遊びが面白くて、坊主の絵をめくると自分の持っている札をみんな取られて悔しがったり、お姫様をめくると前にある札を貰って喜んだり、そんな他愛のない遊びから始まりました。
本当のかるた取りをし始めたのは、中学生の頃でした。
だからその頃から、好きなうたを必死に覚え、これだけは人にとられないと言ったような札ができました。
家族でするときは読み役が次第に多くなり、高校時代には、担任の先生のお宅でのかるた会に、何人かの友人と
遊びに行くのがお正月の楽しみでした。
百首を覚えきったのはこの頃でした。でも下の句を見て、読み手が読み上げると素早く取るほどのことはできなかった
私のかるた人生でした。
毎週日曜日の大河ドラマを楽しみに観ています。
ドラマの中で、百人一首に出てくる人物は、今迄は作者についてはそんなに興味がなかったのですが、
つれづれなるままに一人かるたの、暗記確かめをした時から、ウィキペディアでほんの少しだけ
調べてみました。
沢山の登場人物なので、私が記憶に残っている人だけの偏りですが、こんなことをするのも
一人かるたのお陰だと思っています。
枕草子の作者 清少納言
彼女が生涯の中で最も輝いたのは一条天皇の中宮定子の女房として宮中に仕えた時代でした。
約7年間でしたが、彼女は最高の舞台で豊かな教養を余すことなく発揮し、貴族や中宮、さらに天皇からも賞賛を得ます。
和泉式部
平安中期の女流歌人。大江雅致まさむねの女むすめ。和泉守橘道貞と結婚,小式部内侍を生む。一条天皇中宮彰子に出仕。のち,藤原保昌(9581036)と再婚,夫の任地で没。恋多き女性と言われている。生没年未詳。著「和泉式部日記」,家集「和泉式部集」
赤染衛門(あかぞめえもん)は平安時代中期の女流歌人。
和泉式部と並ぶ代表的な女流歌人です。
藤原道長の妻・源倫子とその娘・中宮彰子に仕えた女房でした。
「栄花物語 」の主要な作者とも言われます
藤原 公任(ふじわらの きんとう)は、平安時代中期の公卿で歌人。
一条朝の四納言の一人。
藤原道長と同じ年。最初は公任の地位が上ですがやがて道長に出世で差をつけられてしまいます。
それでも歌の世界では権威となり。和歌や漢詩、管弦などで優れた人物と高く評価されていました。
藤大弐三位は、平安時代中期の女流歌人。女房三十六歌仙そして百人一首の歌人として知られる。
藤原宣孝の娘。母は紫式部。本名は藤原賢子。
藤三位、越後弁、弁乳母とも呼ばれる。 長保3年3歳ごろ父藤原宣孝と死別。
藤原宣孝と紫式部の結婚生活は3年あまりだった。
長和6年18歳ごろ、母の後を継ぎ一条院の女院彰子に女房として出仕。
この間、藤原頼宗、藤原定頼、源朝任らと交際があったことが知られている。
言中納言定頼
を思い出しました、掲載のお姫様たちを
めぐって出てきたらその場のカードをもらえ
るので好きなお姫様たちでした
これだけの人物覚えておられますか
私は俳優の顔記憶にあるだけで・・恥ずかしい
描かれている衣装の絵がまた綺麗ですから、お姫様に憧れた幼い頃です。