杉森節子さんの句碑が明日香・橘寺の、西門から入るとすぐ目に入ります。
俳句ではなくて川柳だと思いますが、橘寺だけでなく、どの寺院にお参りしても、境内散策をしていますと、「いま自分は、仏様のひざの温もりの中にいる」ような、安堵感というか癒されながら、ゆったりと仏様を拝し、お花を見つめ、静寂に身をおくことが、この句に詠まれている心だと感じています。
これから秋にかけて旬を迎えようとする、芙蓉の早咲きが本堂の屋根を装っています。
境内いっぱいが芙蓉に包まれるのは、9月になってからでしょうね。
黒の駒 聖徳太子の愛馬で、空を駆け、達磨大師の化身と言い伝えられています。仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿を留め、災難厄除お守りになっていると、橘寺の創建と変遷を記したパンフレットに記されています。
花橘の文様の幕のかかった本堂には、ご本尊聖徳太子像(重要文化財)が安置され、静かな祈りを受け止めてくれるような気がします。
蓮華塚 天から降った蓮の花を埋めた所で、大化の改新の時、これを1畝と定め、面積の基準として田畑が整備されたので、畝割塚とも呼ばれているそうです。
飛鳥時代の石造物・二面石 上が怒りの表情で、下が笑いの表情です。人間の心にある、善悪二つの相を表したものといわれています。
本坊の門の前に土壇があります。五重塔の跡で中心には、上の写真のような珍しい形をした心礎があって、それを調べ研究した結果から、現存すれば約38mあまりの高さの五重塔が建っていたと考えられるそうです。
あと少し続きます。
なるほど、一畝の基準でしたか。
野菜作りを楽しむひとりとして、いい話題を提供していただきました。
五重塔の跡は、先日見てきた谷中の今は無き天王寺五重塔跡の痕跡と形が違うようです。
こちらのほうが優雅な形でした。
高さまd推計できるのがすごいですね。
遺跡の発掘現場を見ることがありますが、そこから分かるさまざまな古代の人の暮らし等、無限のロマンがあるのですね。
今朝「杉森節子さん」の句碑をアップしていただき嬉しく思います。
この方は、川柳作家です。
同じ川柳をやっている、
母とは、50年以上ものお付き合い。
しかし、この方は、その道に第一人者です。
朝の一段落がついたら、母にもこれを
見てもらいます。きっと喜ぶことでしょう。
朝からとても嬉しいことに出会え、
体が軽くなりました。
お母様とは深いご縁のある先生だったのですね。
須惠公民館での、お母様のお作を拝見してものの見方考え方が、こうありたいと思うことがしばしばでしたが、ここでまた、川柳の深いところに触れて、川柳とは、殆ど縁のない私ですが、心の中に入ってくる感動するものは受け取れるのだと、嬉しく思いました。
地蔵盆のご多忙さ、大変でしたね。
まだこれから続くらしい残暑に、体をおいといくださいね。
早朝のコメント、感謝しています。
お母様にも宜しく。
癒されますね~明日香の句碑..じっと見てしまいますね。
飛鳥時代~歴史得意では無かった私ですが..
此方で.勉強させてもらいます。
有り難いです~見せて頂きますね。
次も.よろしくお願いします。
川原j寺も、今は跡地が目立って当時の広さは偲ぶのみとなっていますから、発掘などでその広さを聴きますと、今と古代と頭の中で比べてみる興味がわく事柄ですね。
4月櫻の頃は、往生院で句会をされるのでしょうかしら。
でもそんな大和の発信を楽しみに読んでくださる方が、大好きな信州にいらっしゃるのも嬉しいことです。
今日もうだるような暑さです。
参った!マイッタ!と独り言です。