秋桜の咲く頃お詣りして以来の般若寺です。
境内はすっかり様変わりして、清楚な水仙の花と優しい仏様のお顔が、曇り空の冷たさを
忘れさせてくれます。
西国三十三所観音石像が水仙の花と共に、一番から三十三番まで本堂を取り巻くように、立ってあるいは座って
いらっしゃいます。
秋桜の咲く頃お詣りして以来の般若寺です。
境内はすっかり様変わりして、清楚な水仙の花と優しい仏様のお顔が、曇り空の冷たさを
忘れさせてくれます。
西国三十三所観音石像が水仙の花と共に、一番から三十三番まで本堂を取り巻くように、立ってあるいは座って
いらっしゃいます。
昨日は今年初のリハビリの日でした。
寒い日でしたが、お迎えも、送ってくれる車も、温かく丁度いい温度にして自宅に来てくれますので
寒さ知らずで、会場の「音和舎」さんに連れて行ってもらえます。
玄関では、お正月飾りがお迎えしてくれました。
ショウウインドウの中のお飾りが、どんなのかと楽しみにしていました。
晴れ着を着たイノシシファミリーと、うさこちゃんです。
細かい所までリアルなお正月の晴れ着です。
中央には立派な羽子板と、糸飾りの毬と、縁起物です。
こちらの棚には、追羽根と羽子板、でんでん太鼓、布のお手毬。
これらはみんな福祉施設「まきの園」に関わりのある人たちの手作りです。
どれも温かい心の籠った作品なので、見ていると、こちらまで、その温もりと、新しい年の華やぎに
「今年も頑張ってリハビリで、元気に生きる力を・・・」と背中を押してもらえたような気がしました。
まるで夕焼けのような朝焼けです。
このように焼けるまで1時間もなかったのですが、順に撮っていきました。
起きてすぐの東の空です。
6時30分
山際だけが夜明けの色をしていますが、南の空は黒い雲に覆われています。
上の黒い雲の流れが、東の空にやってきつつありました。
上空には風があるのでしょう。
魚のひれのような形の流れです。
このように変わるそれを眺めるのが好きです。
でも外はー5℃とのこと。
おおさむです。
7時になりました。
太陽はなかなか顔を出しませんが、先程の黒い雲が、焼け始めてきました。
南の方に目を写しますと、妙なグラデーションの空です。
日の出に近い東の空は、山に近い部分は茜色ですが、上の方はもこもこしたボリュームのある雲です。
金色の所から太陽が登って来ると思って待っていましたが焼けてくるだけです。
7時16分・とうとう、このままで日の出は見られなくて、夜明けとなりました。
今朝はこの冬1番の寒さだとテレビが報じています。
結局太陽が雲の間から顔を出したのは、午後3時過ぎでした。
だから、寒い寒い1日となりました。
不気味な朝焼けは、いいお天気には繋がっていかないのですね。
年が明けてから晴れた日であっても、遠くの山並みは低い雲の中に隠れて、なかなか全景を捉えられなかったのです。
家からやっと冠雪の山が見えた日に、山麓線を車で走って、この赤い橋を渡って24号線に向かう右折した所に
駐車できる場所を見つけて、上の写真を撮りました。
時間的に、もう少し夕方に近いころだったら、冠雪の山並みが、夕日に映えてはっきりしただろうにと、いつかまた出直そうと思っています。
この冠雪の山々は、明星ケ岳 ・八経ケ岳・弥山・バリゴヤノ頭・稲村ケ岳・大日山・山上ケ岳があるそうなのですが、
どの山がそれらなのか、はっきり分かりません。
見渡す風景の中やその彼方には、吉野・大峰・熊野三山・高野山の3霊場があり古くから多くの人々が
「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」これぞ 七草
春の七草をこのようなリズミカルな覚え方をしたのは、祖母や母に1月7日の日の朝早くから
お粥を炊きながら教えてもらったのが、幼い頃の思い出です。
自分で七草粥を炊くようになったのは、スーパーでこのような「七草粥」のセットが並ぶようになってからです。
ことに西条の打ち抜き水で育てられた七草を購入していました。
前夜に洗ってさっと茹でてから小さじ半分の塩をまぶして翌日のために準備をしておきます。
今日は音読ボランテァの日でしたので、集合時刻に遅れないように、お粥の炊き上がる時刻を考えながら、
日の出前に起床しました。
東の空はよく晴れ渡っています。山際には雲があるものの、
昨日のように空に広がっていません。
冷え込みがひどくて、田圃は真っ白です。
もうすぐ陽が昇ると、すぐに消える霜です。
炊き始めて40分で出来上がりました。
別に用意していた七草を入れて、かき混ぜますと、丁度いい塩加減のお粥の出来上がりです。
美味しいお粥です。
お正月の御馳走の後の七草粥は、実にあっさりとして、体も温もります。
今度は小正月に、小豆粥を炊こうかなと思いながら「おかいさん」と慣れ親しんできた
大和の食の風習にどっぷりつかっていく歳になりました。