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   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

第106回全国高校野球選手権10日目(その1)第2試合 関東第一×明徳義塾  20240816

2024年08月22日 | 
阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は今夏、開場100年を迎えました。
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https://www.jhbf.or.jp/topics/info/240724_1.htmlより引用

1924(大正13)年8月1日、「甲子園大運動場」として誕生した当初から、観客5万人以上を収容する能力があり、内野席の大半を覆う「大鉄傘(だいてっさん)」も備えていました。


1913(大正2)年、大阪・豊中に本格的な総合グラウンド(東西150m、南北140m)が、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)によって造られます。ここで2年後の1915(大正4)年、朝日新聞社が主催しての全国中等学校優勝野球大会(選手権大会)が始まりました。多数の観客がやって来て豊中では受け入れ切れなくなると、1917(大正6)年の第3回大会から、阪神電鉄が用意していた西宮の鳴尾球場に移ります。
鳴尾球場が会場として使われたのは、1923(大正12)年、第9回大会までの7年間。


3月16日に起工され、5カ月足らずの突貫工事で完成にこぎ着けました。 
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1915年~ 第1回・第2回「豊中」
1917年~ 第3回から第9回「鳴尾」
1924年~ 第10回から「甲子園」
ということですね。

開業100周年という記念すべき年である今年、甲子園に行こう!!と思い立って、8月16日のチケットをネットで購入して、高校野球を見に行ってきました。



直射日光には当たりたくないので、シートは大鉄傘の下!!
思い立つのが遅かったので、(大鉄傘がある中段辺りがいいなぁと思っていたのですが)かなり高いところのシートしかゲットできず。
でも16日、球場外では「当日券はありません」とアナウンスしていましたので、ネット予約して買えただけでもラッキーだったと思いました。

8月16日は大会10日目、第3回戦4試合が行われました。


  

     

 

    

球場入場券売場には「当日券なし」という表示があります。

    


     

ここから入ります  


私は、第1試合の東海大相模×広陵の試合が8対1で東海大相模高校勝利で終わった頃にスタンドに入りました。

3本のポールに旗が上っています。
  
    


1塁側明徳義塾
燃えろ明徳 黒潮打線  


3塁側 関東第一

必勝関東第一高  


左右のポールに両校の校旗が上りました。

   


グランド整備  

   

3塁側アルプス席に挨拶  

1塁側アルプス席に挨拶 


  

     

甲子園名物「かちわり」



第2試合の関東第一×明徳義塾は午前10時59分試合開始。
観衆は36000人。私はその一人。

こんなきれいなグランドでプレーできるなんて、選手たちは最高の気分でしょうね~!!

   



3塁側 関東第一のアルプス応援団

  

    


1塁側 明徳義塾のアルプス応援団

   

      

焼きそばを食する人  

関東一 1
明徳義塾 2

   

   


   

    

      

           
                  


関東一 2
明徳義塾 2

   

焼鳥串 1本500円  

6回表  




     

8回終了時、両校の校旗が降りていることに気が付きました。

 

    

「燃えろ明徳 黒潮打線」の幕が無くなりました。

   
    
3対2で、東東京代表の関東第一が勝ちました。
 
  



校旗掲揚  

左端のポールに旗が上って行きます。

    
    
関東第一の校旗  

両校がそれぞれのアルプス席の応援団に御礼を言いに行きます。

      

3塁側関東第一  

3塁側は次の試合の石橋高校が入ってきました。



1塁側は次の試合の青森山田高校が入ってきました。





関東第一の選手たち  

明徳義塾の選手たち  



退場する両校選手たち  

一つのドラマが終わりました。

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