古河宿より約3㎞、わずか40分程で次の野木宿に到着。
もともと、ここより南西にある野木神社周辺に住んでいた住民が、次第に街道沿いに移り住むようになって誕生した集落で、その結果慶長7年(1602年)に、宿場として成立。
上段写真左手が、かつての本陣。現在も子孫の方が住んでおられます。
またこの界隈は、日光道中が整備されて間もない江戸初期に、時の古河藩主が植えた松並木が続いていたそうですが、それ . . . 本文を読む
古河宿の“古河”は、かつては“小川”と書きましたが、康正元年(1455年)に鎌倉より移った足利成氏(古河公方)によって、現在の表記に改められました。
宿場から約2㎞南方にある古河総合公園が、古河公方・足利成氏の居城跡で、滝沢馬琴の戯作「南総里見八犬伝」の“芳流閣”の舞台としても有名です。
歌舞伎版のこのシーンは屋根上の大立廻りがウリで、私もかつて博多座公演と松竹座公演の二度、黒衣後見をつとめた . . . 本文を読む
天和7年(1621年)に古河城主・永井信濃守によって定められた次の中田宿は、かつて利根川を渡ってすぐの場所にありましたが、前述の通りの訳で、現在その地点も上段写真の通り、ただの河川敷に。
利根川橋を渡って茨城県古河市に入ると、日光道中はすぐに左折して国道4号線から離れ、県道228号線となって次の古河宿を目指します。
約1.5㌔先、24分後にJR宇都宮線の「中田踏切」を渡ると、線路の西側に沿 . . . 本文を読む
筑波道との追分を過ぎると、旧道は国道4号線の西側をほぼ並走する形で栗橋宿に向かって続き、東北新幹線の高架下を通った先の「小右衛門(南)」信号で一度国道に合流。
すぐ先の久喜市栗橋東6-20で再び左手に分かれますが、その分岐点にはピンク色の外装もケバケバしい“R指定”の劇場があり、その意外な展開に思わず一人大爆笑しながら通り過ぎて約20分後、鈎の手の道を通って栗橋宿に(上段写真。右手の工事用の囲い . . . 本文を読む
京浜急行線に乗って、ニッポンのカレー発祥の地である横須賀で、初めて「よこすか海軍カレー」を食べてみました。
写真は今回訪れた「魚藍亭のよこすか海軍カレー館」の“元祖よこすか海軍カレー”(\850)、明治41年に書かれたレシピをもとに、忠実に再現したもの。
微かに味付けされたご飯は見た目以上にボリュームがあり、ほんのりとした甘さと辛さがよくマッチしたまろやかなルーは、小麦粉の舌触りがちょっとした . . . 本文を読む
幸手宿エリアを抜けると、旧旧日光道中は幸手市北1丁目の住宅街へと入り、左手にここが江戸中期までの本道であったことを示す庚申塔を、その先の右手に幸手商業高校を見て過ぎると一気に視界が開けて、上段写真のような旧街道探訪者には堪らない景色が。
旧旧道はこの先の、中川に架かる行幸橋の手前で現道の国道4号線に合流しますが、その付近の道筋が現在パチンコ店とその駐車場となっていて消滅しているため、少々回り道 . . . 本文を読む
日光道中と日光御成道との合流点であり、また分岐点でもあった幸手宿は、江戸時代にはかなりの賑わいを見せたそうですが、現在はかつての道筋である県道65号線を通る車の騒音を除けば、いたって静かな町。
上段写真の道は江戸中期に拓かれたもので、それ以前は志手橋から300㍍ほど行った現在の中1-6あたりで左に折れ、さらに300㍍ほど進んで現在の中1-13で突き当たると、右折して直進していたそうです。
つま . . . 本文を読む
下野田一里塚から約40分、スーパーマーケットを過ぎて左へカーブする途中に、「下高野一里塚」が↑。
現存するのは写真の西塚だけで、東塚は大正初期の道路拡張工事で崩されたとか。
たぶん、私が写真を撮るために立った位置あたりにあったのでしょう。
御成道最後の一里塚から13分、幸手市との境まであとわずかに迫った杉戸町下野948番地あたりの東側歩道に、突如として二本の背の高い松が。
これは、 . . . 本文を読む
「東京駅食堂」の先で国道4号線に合流すると、幸手市上高野で分岐するまでの約3㎞は直線が続きます。
その途中、杉戸町高野台東1-15、左手に国道沿い飲食店の王道「山田うどん」があるあたりに、かつて「茨島(ばらじま)一里塚」があったそうですが、現在は上段写真の通り。
道端に色褪せた案内板があるのみの光景となっています。
一里塚跡から300㍍ほどで埼玉県幸手市に入り、そこからさらに600㍍ほど、 . . . 本文を読む
自宅の押入れを漁っていたら、大阪時代に趣味で書いていた小説の参考資料にと買い求めた、大津絵の図録が出てきました。
そこで、いつもの“ふとした思ひ付き”で、かつて東海道を行く旅人たちを相手に大津で売られていたこの民画を、自分でも描いてみることに。
だいたいの輪郭を鉛筆で薄く写し取り、色付けは図版を元に見様見真似。
今日挑戦したのは「藤娘」(上段)と、「瓢箪鯰」↓と、
「鬼の念仏」↓
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日光御成道最後の宿場、岩槻宿を出ると、県道65号線の御成道は東武野田線のガードを潜り、宮町、南辻地区を通り、護岸工事などの手を加えられていない自然のままの川縁に古えの風情が色濃く漂う元荒川を渡り、かつては地元の一大勢力だったのか、裏、表、正の三区域に渡り、区域内の公立小中学校にもその名を冠する“慈恩寺”地区から相野原地区へと入ると、200㍍程まばらに残る杉並木が(上段写真)。
かつてこのあたりは . . . 本文を読む
その他、おそらく宿場町時代から続いていると思われる古い外観の酒屋↑が看板商品にしている「杉戸宿」と云うお酒が、現在東武伊勢崎・日光線「東武動物公園駅」東側に位置するこの場所が旧日光道中の宿場町跡であることを示しています。
本陣跡を過ぎて枡形の名残りらしい右カーブを通った先、杉戸町清地1-4付近に、「東京駅食堂」なる看板が。
こういうテのものを見て私が「ふ~ん」と素通り出来るわけがなく、 . . . 本文を読む
国道4号線の現道を行くこと約30分、杉戸町堤根3902番地あたりで左へ分かれる道が旧道↑。
そちらへ入り、車が頻繁に行き来する国道の喧騒からようやく逃れてホッとしていると、すぐ左手に「満聚山 九品寺」と云う小さなお寺があり、その一角には古い道標が。
表には“右 江戸”、裏には“左 日光”とあり、傍の案内板によれば、天明4年(1784年)に地元(堤根村)の農民42名が協力し、新川村(現・春日 . . . 本文を読む
母が生まれ育った目黒区祐天寺で、その当時から東急東横線「祐天寺駅」近くにある甘味処「越路」のラーメンが、とても美味しいと母から前々より聞いていたので、初めて訪れてみました(上段写真右は、お店の女将さん)。
甘味処とはいえ、ほかに巻き寿司なども自家製で扱っており、こじんまりとした店構えながらお手頃価格でメニューは充実。
これが、母お薦めのラーメン。
魚介出汁の醤油スープはあっさりとした味 . . . 本文を読む