東京芸術劇場の「東京都民俗芸能大会」にて、奥多摩町の「神庭神楽(かにわかぐら)」と、若山胤雄社中の「江戸里神楽」を楽しむ。
奥多摩の自然風景を彷彿とさせる素朴な神庭神楽も、能仕立ての衣裳で格調高く舞はれる江戸里神楽も、環境による様式の違ひはあれど、“人間臭さ”を描いた根底部分は、全く共通してゐる。
気取らず、格式ばらず、ありのままの庶民を見せる―
わたしが狂言の太郎冠者に共感を覚えな . . . 本文を読む
房州佐倉の国立歴史民俗博物館で、「見世物大博覧会」展を見る。
江戸時代、浅草や両国では“見世物”といふ大衆娯楽が全盛だった。
魚の干物を使って見立てた「三尊仏」や、鮑貝で拵へた伊勢の「二見ヶ浦」、そしてそれを眺める椎茸と昆布で見立てられた旅人―
当時の記録をもとに復元されたそれら“細工見世物”は、現代の目で見ると見世物の域をはるかに超えた、高水準にしてわかりやすい芸術作品(アート)そ . . . 本文を読む
水道橋の能楽堂で、宝生流の「朝長」を観る。
平治の乱で敗走し、美濃国青墓宿で自害した、源頼朝の兄。
一族郎党は頼み難く、一夜の宿を頼んだ遊女宿の女主人だけが、その菩提を弔ってゐる。
人の運命と、本音と、縁(えにし)の皮肉さ。
真実は、
世の中が常ならざるとき、
姿を露わす。
もう一曲は「藤」。
北陸の湖のほとりで、
静かに咲き誇るその藤を、
これぞ“謡ひ宝生”の面 . . . 本文を読む
わたしがその町を訪ねたのは、
まったくの偶然だった。
しかし、坂道の下にその人の姿を見て、
わたしは自分を偽ってゐたことを、
思ひ知らされる。
あれは大地震の前のことだ。
あのときの大地震で、
それまでのわたしは、
すべてが過去になった。
……はずだった。
しかし、
坂道を上って来るあなたを見て、
すれ違って行くあなたを見て、
わたしは思ひ知らされる。
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川崎市教育文化会館ホールにて、「かわさき市民芸術祭」の邦楽・日舞部門を観る。
参加した市内各区の文化協会が、それぞれに趣向を凝らして唄や踊りを披露し、バラエティーに富む楽しい舞台となった。
婚礼の場の余興に列席者たちが、「さんさ時雨」「門出酒」「因幡大黒舞」と、代わる代わる出てきて披露する演出を行った宮前区文化協会はアイデア賞もの、また高津区文化協会の津軽三味線合奏では、その音色にふと . . . 本文を読む
駅で東急東横線を待ってゐたら、↑な車両が入ってきよった。
東武鉄道の9050系。
昭和50年代に9000系として現れた、そのくせまるで昭和の香りのしない、迷車だ。
それを、副都心線・東横線乗り入れ仕様にマイナーチェンジし、“9050系”などと名付けたのが、この逸品。
が、どこをだうマイナーチェンジしたのか、パット見ではわからないくらゐ、
ダサい。
とにかく、
ダサい。
そもそも、な . . . 本文を読む