(スーダンの首都ハルツームでのアフリカ連合(AU)などが出席した式典で、暫定憲法に署名し握手するデモ隊指導部の一人(左)と軍事評議会の幹部(2019年8月4日撮影)【8月5日 AFP】)
【民政移管に向けて憲法宣言に署名】
アフリカ・スーダンでは、食料価格引き上げをきっかけとして昨年12月から政権に対する抗議が強まり、4月には30年間政権を担ったバシル大統領が軍部のクーデタで失脚する事態に。
その後の軍部と市民側との次期政権の在り方をめぐる交渉については、これまでも何度か取り上げてきました。
5月10日ブログ“スーダン バシル失脚後の今も続く軍と市民の緊張 抗議行動の前面に立つ女性たち”
6月5日ブログ“スーダン デモ隊強制排除で混乱拡大 「アフリカの天安門事件」とも”
7月6日ブログ“スーダン 軍事評議会とデモ指導部、新統治機構の仕組みで歴史的合意に到達”
この間も紆余曲折、危機的な事態もありましたが、憲法宣言に軍部・市民双方が署名する段階になんとかこぎつけたようです。
対立・衝突は掃いて捨てるほどある世の中ですが、粘り強い交渉で合意にこぎつけたスーダンの事例は、珍しく明るい期待を感じさせてくれる成果です。
****スーダン軍事評議会とデモ隊指導部、憲法宣言に署名*****
抗議デモと暴力行為が7か月余り続いているスーダンで、同国を暫定的に統治している軍事評議会とデモ隊の指導部は4日、民政移管を可能にする憲法宣言に署名した。
首都ハルツームでの式典で署名された合意によると、軍民による共同統治機関が、3年の移行期間中、国を治める文民政権の樹立と議会の成立を監督する。
デモ隊指導部のモンゼル・アブ・アルマーリ氏は、軍事評議会とデモ隊指導部は18日に、過半数を文民とする新たな移行統治評議会のメンバーを発表すると明らかにした。
同氏によると、首相は20日に、内閣の閣僚は28日に指名され、最高評議会と内閣は来月1日に初の会合を行う見通し。 【8月5日 AFP】AFPBB News
*******************
合意内容については、“7月17日の合意に沿ったもので、主権評議会を設立して3年間の移行期間の政権運営を行い、選挙を実施すること、主権評議会は11人から構成され5人は軍側から、5人は市民側から、1名は双方の合意で選出されること、最初の21か月は軍側が主権評議会議長を務め、その後は市民側が務めること、などが主な点である。”【8月5日 現代アフリカ地域研究センター】
【平坦ではなかった道のり】
先述のように、ここに至る道のりは平坦ではありませんでした。
6月3日には、軍側No.2のヘメティ将軍が率いる治安部隊「緊急支援部隊」(RSF)がデモ隊を鎮圧して100名以上を殺害するという危機的事態も経験しました。
殺戮だけでなく、レイプも多数起きたとデモ隊側は主張しています。
暫定軍事評議会は「緊急支援部隊」(RSF)と治安部隊への命令について、違法薬物の取引と暴力がまん延しているとされるコロンビア地区の浄化作戦に限定されたもので、デモ隊の強制排除は含まれていなかったと主張しています。
その後の調査報告では、RSFの将軍が、大佐に命じてRSFの部隊をデモ隊強制排除に当たらせとされています。【7月28日 AFPより】
この「緊急支援部隊」(RSF)は正規軍ではなく、もともとジャンジャウィードと呼ばれる民兵組織で、30万人の犠牲者を出した西部ダルフール地方の紛争で戦争犯罪を繰り返してきた悪名高い組織です。
このときは、「ああ、やっぱりスーダンで民主的な交渉は無理だったか・・・」とも思ったのですが、軍事評議会・デモ隊双方は何とか踏みとどまったようです。
このスーダンでの取り組みにあっては、5月10日ブログでも取り上げたように、デモ隊・市民側の冷静・抑制的対応が非常に印象的ですが、民政移管を求める市民側との交渉を継続してきた軍事評議会指導部の対応も評価できます。
しかし、デモ隊との交渉を継続する軍事評議会指導部に対しては、軍部内でも不満があり、7月にはクーデター未遂事件も発生。軍事評議会は7月11日深夜、クーデターを阻止し、軍と情報機関の将校12人と兵士4人を逮捕したと発表しました。
7月24日には、クーデター未遂事件の首謀者として、統合参謀本部議長のハシム・アブデル・モタリブ将軍と国家情報治安局の将校らを逮捕した旨が発表されました。
しかし、軍内部の抵抗勢力の市民への暴力も続きました。
****高校生5人含む6人殺害に生徒ら抗議、国内すべての学校が休校に スーダン****
スーダン中部の町で高校生5人を含む6人が殺害されたことに抗議し、同国各地で生徒たちがデモを行う中、当局は30日、国内すべての学校に無期限の休校措置を命じた。
スーダン中部の町アルオベイドで(7月)29日、抗議デモを行っていた高校生5人を含む6人が殺害された。これを受けて首都ハルツームでは、制服姿の生徒数百人がデモを行い、「生徒の殺害は、国家の滅亡」とシュプレヒコールを上げたり、国旗を振ったりした。
生徒たちによるデモは、首都の他の場所や首都以外の複数の都市でも行われた。
デモ隊と住民によると、アルオベイドで行われた燃料とパンの不足に対する抗議デモでは、スナイパーによる狙撃などで、高校生5人が死亡、60人以上が負傷した。
デモ隊とつながっている医師らは30日夜、「頭を撃たれた」傷が原因で、6人目の死者が出たと明らかにしたが、高校生かどうかは明らかにしなかった。
デモ隊は、準軍事組織「即応支援隊」が高校生らを射殺したと非難している。
当局は30日、国内すべての学校に休校措置を命じた。
デモ隊指導部は今月、軍事評議会と権限分割を盛り込んだ合意案に署名。30日に合意内容の細部について詰めの協議を行うことになっていた。しかし高校生らの殺害を受けて、デモ隊指導部は30日の協議を中止した。 【7月31日 AFP】
*****************
上記の高校生殺害については、軍事評議会は2日、RSF隊員9人を逮捕したと発表しています。
また、8月1日にも、ナイル川を挟んで首都ハルツームに隣接するオムドゥルマン市でデモ参加者4人が射殺されました。軍事評議会は、この事件についても捜査するとしています。【8月3日 AFPより】
【「安心できる状況ではないが、重要な一歩前進だ」】
こうした暴力に直面して、交渉は一進一退を繰り返しながらも、今回の合意署名までなんとかこぎつけた次第です。
軍事評議会とデモ隊側が「完全な合意」に至ったことが発表された8月3日には、“発表の後、交渉が行われていた首都ハルツームの建物にいた報道陣からは歓声が上がった。現場にいたAFP記者によると、建物の外にいた群衆はスーダンの国旗を降って「民政、民政」と声を上げ、車はクラクションを鳴らし、女性たちは涙を流した。”【8月3丁目日 AFP】
暴力行為を続けてきたRSFは軍司令官の指揮下に入るとされています。
しかし、ようやくスタート台に立ったというのが現実であり、今後に関して楽観はできません。
****スーダンで権力分有合意に署名****
(中略)(交渉の状況は)行方が見通せない状況が続いていた。そうしたなかでもAUとエチオピアが中心になって仲介を続け、権力分有合意を成立させたことは、高く評価できる。
8月5日付ファイナンシャルタイムズは、「安心できる状況ではないが、重要な一歩前進だ」という駐スーダン英国大使のコメントを載せている。
市民側の運動の中心を担ったスーダン専門家協会(Sudanese Professionals Association)の指導者も、「移行期は大変だろうが、一生懸命頑張って成功させることが自分達の責務だ」と述べている。
バシール政権期の遺産の清算は容易ではないだろうが、新たに生まれた民主的な政権が丈夫に育ってほしい。【8月5日 現代アフリカ地域研究センター】
*******************
これまで市民側、軍事評議会の双方が示した冷静で抑制された対応を続けることができたら、今後も・・・と期待せずにはいられません。
「世界最悪の人道危機」と言われた、あのダルフールを経験したスーダンにあって、民主的交渉で民政移管が実現するというのは、感慨深いものがあります。
自国への波及を警戒する国が多い中にあって、交渉を仲介したエチオピアのアビー首相の功績も評価されます。