(バングラデシュ暫定政権の首席顧問、ムハマド・ユヌス氏。首都ダッカで(2024年8月13日撮影)【8月19日 AFP】)
【長期政権ハシナ首相のあっけない退場劇】
バングラデシュでは、8月6日ブログ“バングラデシュ ハシナ首相辞任、国外へ 軍主導で暫定政権発足 最高顧問にユヌス氏”でも取り上げたように、公務員採用特別枠への不満からの若者らの抗議が政権打倒運動に拡大し、ハシナ前首相がインドに脱出、マイクロファイナンス・グラミン銀行創設者でノーベル平和賞受賞者のユヌス氏を最高顧問とする暫定政権が発足しています。
ハシナ前首相国外脱出の最後はあっけない形でしたが、やはり最後で軍がハシナ首相を見放した形だったようです。
****長期政権ハシナ前首相のあっけない退場劇 墜ちた「鉄の女」、バングラデシュ強権首相の罪と罰(1)****
ハシナ氏は辞任手続きの後、身の安全を確保するため隣国インドへと脱出した
まるで録画映像を見ているかのようだった。 絶対的な最高権力者が辞意を残して国外へ逃げ出す。主(あるじ)のいなくなった公邸に群衆がなだれ込み、「市民革命」の勝利に歓喜する――。
2022年7月にスリランカのラジャパクサ大統領(当時)が失脚した時と同じ光景が、2年後の8月5日、隣国のバングラデシュで繰り返された。現役の女性宰相では世界最長となる連続15年の在任期間を誇っていたハシナ首相の、あっけない退場劇だった。(中略)
8月4日午後6時、先鋭化する反政府デモを抑え込むため、ハシナ氏は全土に無期限の外出禁止を発令した。その夜、国軍トップのザマン陸軍参謀長は将校たちをオンライン会議に招集した。外出禁止を無視して街頭に繰り出す市民がいても発砲しないよう命じたうえで、首相に電話して「兵士は都市封鎖を実行できません」と伝えた。
5日朝、ハシナ氏は首都ダッカで厳戒態勢の首相公邸に立てこもっていた。デモの武力鎮圧にあたってきた警察幹部が「もはや統制は不可能です」と事態の深刻さを訴えた。政府高官は首相辞任を勧めたものの、ハシナ氏は頑として受け入れなかった。
思いあまった高官は妹のシェイク・レハナ氏に説得を頼んだが、ハシナ氏は首を縦に振らない。米国在住の実業家で政府顧問でもあるハシナ氏の息子、サジーブ・ワゼド氏が電話で再度説得を試みると、ようやく辞任に同意した。身の安全を確保するため、国外脱出に向けて急きょ、インド政府に一時的な入国許可を申請した。
ハシナ氏は国民向けに演説を録音したいと望んだが「そんな時間はありません。あと45分で群衆が押し寄せてきます」と拒まれ、レハナ氏と共に公邸近くの旧空港で軍用ヘリに乗り込んだ。シャハブッディン大統領の公邸に降り立って辞任の手続きをし、午後2時半ごろ、インドへ向けて飛び去った。午後4時すぎ、テレビ演説したザマン参謀長が首相辞任を明かし、野党らの協力を得て暫定政権を樹立すると表明した。【8月20日 日経】
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【強権に走ったハシナ前首相】
独立の英雄、建国の父であるムジブル・ラーマン初代大統領の娘でもあるハシナ前首相。政変の直接のきっかけは公務員採用特別枠の問題ですが、背景にはハシナ前首相が強権支配の性格を強めていたことがあります。
****民主化の先導役だったはずのハシナ前首相は、なぜ強権に走ったのか 墜ちた「鉄の女」、バングラデシュ強権首相の罪と罰(2)*****
最後の最後まで権力の座に固執した独裁者の半生は、波乱に満ちている。
シェイク・ハシナ氏は1947年、東パキスタン州の南西部に生まれた。71年の独立の英雄だった父ムジブル・ラーマン初代大統領が75年の軍事クーデターで暗殺され、母や当時10歳の弟を含む家族6人も巻き添えで失う。ハシナ氏はレハナ氏と共に当時の西ドイツに滞在していたため難を逃れ、インドで雌伏の亡命生活を送った。
81年に帰国し、父が創設したアワミ連盟(AL)の総裁に就任した。90年に民主化を勝ち取り、翌91年の総選挙に臨んだものの、カレダ・ジア氏が率いるバングラデシュ民族主義党(BNP)にまさかの敗北を喫する。ジア氏はかつて陸軍参謀長として父の暗殺を首謀し、後に自らも暗殺にたおれたジアウル・ラーマン元大統領の夫人だ。
ハシナ氏は次の96年総選挙で勝って初めて首相の座に就いたものの、しばらくは二大政党が交互に政権を担当する時期が続いた。しかし2009年の総選挙でALが勝利して以来、ハシナ氏は徹底した野党弾圧で権力を固め、長期政権を築き上げてきた。
「鉄の女」が墜(お)ちるきっかけは、独立に起因する公務員採用の特別枠だ。
長く最貧国に甘んじたバングラは、就労機会を広げるため、女性や少数民族、後進県の出身者などに特別枠を割り当てている。そのひとつが1971年の独立戦争の功労者(フリーダム・ファイター)の子供や孫に与える30%枠だ。
同国は縫製業などの労働集約型産業をけん引役に経済成長する半面、高学歴の若者の失業率は高止まりしたまま。功労者枠は不平等だとして、学生たちが撤廃を求めて街頭に繰り出した。
実は6年前にも、約5万人の学生が特別枠改革を求めて街頭デモに訴えたことがある。ハシナ氏は理解を示し、功労者枠の廃止を決めた。ところが今年6月5日、高等裁判所が「廃止は憲法違反」と判断したことで、抗議活動が再燃した。
ボタンの掛け違いがここで生じた。政府は控訴したのに、学生の矛先は司法でなく政府に向かった。違憲判決は政権が圧力をかけた結果、と考えたようだが、ハシナ氏は「学生の背後でBNPなどの野党が糸を引いている」と断じ、治安当局に武力鎮圧を命じた。
事態をさらに悪化させたのが、デモ参加者を「ラザカルの家族」と呼んだことだ。独立戦争の際、パキスタン軍側についた人々を指す、侮蔑的な言葉である。
力と言葉の暴力が、単なる抗議活動を政権打倒の運動へと一変させた。7月21日、最高裁判所が控訴審で特別枠の大幅縮小を命じたものの、後の祭りだった。
治安部隊とデモ隊の衝突で双方に多数の死傷者が出て、事態はさらにエスカレートした。国連が今月16日に公表した報告書によれば、7月中旬以降の一連の学生デモや政権崩壊後の混乱による死者数は約650人に達するという。(中略)
それにしても民主化の先導役だったはずの彼女は、なぜ強権に走ったのか。
「96年に最初に首相に就いた当初は、強権政治家の印象はなかった」と日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の村山真弓理事は振り返る。専横が目立つようになるのは、政情混乱下での2年間の暫定政権期を経て、再登板した2009年以降という。
憲法を改正し、野党時代には自らが実施を要求していた選挙管理内閣制度を廃止した。自由で公正な選挙を担保する制度がなくなったことで、政権交代が途絶え、強権化に歯止めがきかなくなった。
ジア氏を汚職で有罪に持ち込み、BNPを弱体化させたが、強権を振るったのは野党弾圧だけではなかった。父の神格化を熱心に進め、批判を許さない雰囲気を醸成した。メディアと並んで言論弾圧の主な舞台としたのは大学だ。ALの学生組織が幅を利かせ、批判すれば学生寮に入れないといった嫌がらせが日常茶飯に起きた。功労者枠を巡る抗議は、その恩恵を最も受けるAL支持派の学生への反発が根底にあった。
自身の主張に異を唱えるような側近も次々と排斥した。父の大統領時代に秘書官だった経済顧問のマシウル・ラーマン氏、同じく外交顧問のガシウール・リズビ氏といった古参幹部を次第に遠ざけた。インドのヒンズー紙は「彼女は次第に孤立していき、最後まで近しいアドバイザーであり続けたのは妹のレハナ氏だった」と評した。
「周りをイエスマンで固めたことによって、抗議する学生たちの主張や受け止め方が、首相には正確に伝わらなかったのではないか」と村山氏はみる。【8月20日 日経】
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【暫定政権の最初の課題は治安の回復】
ユヌス氏・暫定政権の最初の課題は治安の回復です。政変劇直後、前与党アワミ連盟(AL)幹部や子供を含むその家族への暴力・殺害、少数派のヒンズー教徒やその寺院などへの襲撃が相次ぎました。
****前与党関係者の殺害相次ぐ=デモ隊暴徒化、少数派に暴力も―バングラデシュ****
バングラデシュで5日のハシナ首相辞任以降、暴徒化したデモ隊がハシナ氏の率いた前与党アワミ連盟(AL)幹部や子供を含むその家族少なくとも29人を殺害した。地元紙ダッカ・トリビューンが7日、伝えた。宗教的少数派に対する暴力も相次ぎ、人権団体などが懸念を示している。
シャハブッディン大統領らは6日、ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス氏を首席顧問とする暫定政権発足を決定。政権の枠組みに関する協議が続く中、国民の反発が強いALをどう処遇するかも焦点となっているもようだ。
ユヌス氏は7日、デモ隊に向け「あらゆる暴力を控えてほしい」とする声明を出した。同氏は一時滞在先の欧州から8日帰国する見込み。
地元報道によると、少数派のヒンズー教徒やその寺院なども相次いで襲撃された。イスラム教が国教の同国でヒンズー教徒はALの支持者と見なされていることが背景にある。首都ダッカにある国際NGOの支部は「宗教的少数派と国の資産を守るため、直ちに措置を講じるよう当局に求める」との声明を出した。
ヒンズー教徒が多数派の隣国インドのジャイシャンカル外相は6日、議会の演説で「少数派に関する状況を注視している」と述べた。
AFP通信のまとめでは、反政府デモが激化した7月以降、デモ隊と治安部隊との衝突で450人以上が死亡した。【8月7日 時事】
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市民からの報復を恐れる警察官が職務を停止して姿を消してしまったことで強盗なども頻発。
****バングラデシュ 首相辞任から1週間…治安悪化懸念****
バングラデシュで、学生らの反政府デモにより首相が辞任してから12日で1週間となりました。現地の日系企業は操業を再開する一方で、治安の悪化が懸念されています。(中略)
JETRO ダッカ事務所・安藤裕二所長
「現地の日本企業は既に活動を再開しています。ただ、政権崩壊後、街中から警察官の姿が消えまして、治安維持という面で非常に心配があります」
現地では、市民からの報復を恐れる警察官が職務を停止し、強盗が頻発しているといいます。
安藤裕二所長 「まず治安の安定を急いでもらうというのが日本企業一同が望んでいることですし、そのあと、行政機能の回復や許認可含めたビジネス活動の通常化というのが次に望まれています」
ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏が率いる暫定政権は11日、警察官に職務に復帰するよう通達を出していて、治安の回復を急いでいます。【8月12日 日テレNEWS】
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その後、治安に関するニュースは目にしていませんので、事態は落ち着いてきたのでしょうか・・・。
【早期の民主的総選挙を実施することが暫定政権の責務ではあるが、かつてのバングラデシュ政治の繰り返しともなる懸念も】
治安が回復すれば、選挙という話にもなります。ユヌス氏も首席顧問に任命された際に「政府への信頼を早く取り戻すことが重要だ」として、新たな選挙の実施を求める声明を発表しています。【8月7日 毎日より】
“ユヌス氏は「数か月以内」に総選挙の実施を目指す考えを示した。”【8月19日 AFP】とも。
しかし、選挙実施時期はバングラデシュ政治の刷新にとって大きな影響があります。
選挙の早期実施は既存野党勢力による政権奪取ともなって、かつてのバングラデシュ政治の繰り返しともなる危険があります。その場合、イスラム主義が強まることも懸念されます。また、政権に復帰した野党が前与党への報復に走ることも想像されます。
これまでの既存政治勢力以外の政治の担い手を育てるためには時間が必要です。
そのあたりの事情もあって、これまでハシナ政権と良好な関係を保ってきたインド・モディ政権も、ユヌス氏とバングラデシュ暫定政権を歓迎し、暫定政権がなるべく長期に続くことを望む姿勢を見せています。
****民主主義と原理主義、岐路に立つバングラデシュ*****
(中略)
BNP(これまで与党ALに対抗してきた民族主義党)かJI(イスラム主義政党のイスラム協会)が与党になったら、バングラデシュは過激な原理主義国家に変貌し、テロが増加する恐れがある──バングラデシュ情勢へのインドメディアの注目度を見れば、そうした考えがインド国民の総意であることは明白だ。
だからこそ、2党の政権掌握を阻止することがインドにとって重要だと考える向きは多い。ならば、ユヌスを支持するのは、その上で最も効果的な方策かもしれない。
BNPとJIは3カ月以内の総選挙実施を求めているが、ユヌスは少なくとも3年間、暫定政権を続けることを主張している。この意見の相違は近い将来、両者の深刻な対立をもたらすかもしれない。
総選挙が3カ月以内に行われた場合、BNPとJIが過半数議席を獲得し、政権を樹立する可能性が高い。有権者のほうも、従来の2大政党であるハシナ政権時代の与党・アワミ連盟とBNP以外の政党を選ぶ覚悟ができていない。
一方、ユヌス率いる暫定政権が民主主義の回復に向けて総選挙実施を急ぐのでなく、法と秩序の回復を優先し、ファシスト体制とも呼ばれた政治制度の改革と不可欠である憲法修正に注力した場合、今回の抗議運動を主導した学生団体などの新たな勢力が団結し、BNPとJIに代わる選択肢となる新政党を結成する余裕が生まれるだろう。
ユヌスが必要な限り長く、暫定政権最高顧問でいられるようにすることが、BNPとJIによる政権の誕生を防ぐ唯一の道だ。【8月21日 NW】
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“ユヌスは少なくとも3年間、暫定政権を続けることを主張している”というのは前出の“「数か月以内」に総選挙の実施を目指す考え”と全く異なりますが、そこらの真偽はわかりません。暫定政権の基本性格からすれば早期の選挙実施ということになります。
****微妙な選挙実施次期 墜ちた「鉄の女」、バングラデシュ強権首相の罪と罰(3)****
(中略)学者や元外交官、元中央銀行総裁、退役軍人、学生代表など16人の顧問団から成る暫定政権は、混乱を収拾したうえで、できるだけ早く民主的な総選挙を実施する任を負う。
もともとバングラの有権者はAL(前与党)とBNP(対抗野党)の二大政党の支持者がそれぞれ3割ずつ、残る4割が他の少数政党か無党派層といわれてきた。
事実上の自宅軟禁を解かれたジア氏が党首のBNPは今後、党勢回復に躍起となるだろう。もし次の総選挙で政権を奪還すれば、またALへの報復に走る「負の連鎖」が再燃する疑念は拭えない。
ダッカ大のライルファー・ヤスミン教授は「国民はこれまで続いてきた二元政治をもはや受け入れない。かといって真の代替案を提示できる第三勢力が短期間で現れることも難しいだろう」と分析する。
「我々は第二の独立を果たした」とユヌス氏は言う。苦難に耐えて勝ち取ったパキスタンからの独立時に立ち返り、国づくりをやり直す決意表明だろう。ハシナ氏の罪と罰を教訓に、軍事独裁でもカリスマ独裁でもない、真の民主国家の実現は今度こそ可能か。
最大の援助国である日本、ハシナ体制に批判的だった米欧のみならず、強権国家と民主国家が混在するグローバルサウスの面々も、世界8位の人口大国の行く末を注視しているはずだ。。【8月20日 日経】
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【ロヒンギャ難民支援を表明するユヌス氏】
ユヌス氏について興味深いのは、首席顧問就任にあたりロヒンギャ難民についてその支援を明確にしていることです。今のバングラデシュ政治にとって中核的課題という訳でもないこの問題に敢えて言及したのは、ユヌス氏個人の強い関心のあらわれでしょうか。
****バングラ・ユヌス氏、ロヒンギャ難民と繊維産業への支援継続を公約****
バングラデシュ暫定政権の首席顧問に就任したムハマド・ユヌス氏は18日、初の主要政策演説を行い、ロヒンギャ難民と繊維産業への支援を継続する意向を示した。
ユヌス氏は、国内に身を寄せている100万人超のロヒンギャ難民について、「政府は引き続き支援する」と述べた。難民の多くは、2017年のミャンマー国軍による大規模弾圧を受け、バングラデシュに逃れてきた。
ユヌス氏は、「ロヒンギャへの人道支援と、安全と尊厳、全ての権利を保障した上での祖国ミャンマーへの最終的な帰還を実現させるためには、国際社会の持続的な努力が必要だ」とも指摘した。
バングラデシュでは約1か月にわたる学生主導の反政府デモの末、政権が転覆。その間、主要産業である繊維産業も大きな打撃を受け、競合国に輸出需要を奪われる形となった。
ユヌス氏は「わが国が中核的な役割を果たしている国際的な衣料供給網を寸断しようとする試みは容認しない」と語った。
バングラデシュは約3500の縫製工場を抱えており、繊維部門は国全体の年間輸出額550億ドル(約8兆円)の約85%を占めている。(後略)【8月19日 AFP】
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ロヒンギャ難民問題の改善が期待はされますが、暫定政権の時間的制約の中ではできることは限られるでしょう。