孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国  今年秋、習近平体制へ移行 強まる管理とナショナリズム

2012-01-03 21:31:31 | 中国

(09年2月 メキシコ訪問でカルデロン大統領と習近平国家副主席(右) このメキシコ訪問の際、習近平氏は「腹がいっぱいでやることのない外国人が、われわれの欠点をあげつらっている」と言い放ち物議を醸しました。 外国メディアの取材を受けていないので“よくわからない”次期指導者・習近平を知る上で、数少ない判断材料のひとつです。 “flickr”より By Gobierno Federal http://www.flickr.com/photos/30118979@N03/3271950219/

成長の陰で、多くの社会不安要素
年末・年始の中国国内に関するニュースは、相変わらず社会不安を反映したものが報じられています。
頻発する土地収用絡みの地方当局の腐敗は、年末に広東省烏坎村での騒動で共産党側が譲歩の姿勢をみせたことでも大きく取り上げられたところです。

****住民と警官隊が衝突、30人拘束=また土地収用で紛争―中国広東省****
31日付の香港各紙によると、中国南部・広東省中山市郊外の村で29日、当局による土地収用をめぐる紛争から、それぞれ数百人の住民と警官隊が衝突し、約30人の住民が拘束された。多数の住民が負傷したもようで、1人が死亡したとの情報もある。
この村では、当局が住民に無断で広大な土地を不動産開発業者に売却。業者が再開発事業の着工準備を始めたため、住民側は12月初めから現場で着工を阻止していた。【11年12月31日 時事】
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直接行動に訴えないと事態の改善が図れないというあたりが、一党独裁の政治システムの欠陥を示しています。地方当局の腐敗が、その欠陥を更に深刻なものにしています。

チベット、ウイグル、モンゴルなどの民族問題も、中国が抱える大きな不安定要素です。
この民族問題に関する共産党の姿勢は妥協の余地がない、硬い姿勢が変わりません。
人権問題はさておくとしても、下記ニュースなどは当局側の対応が硬すぎ、却って問題を先鋭化させているのでは・・・とも感じます。

****イスラム寺院撤去で衝突=寧夏自治区で50人負傷―中国****
中国人権民主化運動情報センター(本部香港)は2日、寧夏回族自治区同心県で先月30日、寄付金で建てられた大規模なイスラム寺院を当局が「違法な宗教場所」とみなして取り壊し、イスラム教徒数百人と警察や軍約1000人が衝突、約50人が負傷したと伝えた。2人が死亡したとの情報もある。

中国では寺院や教会の建設には政府の許可が必要。当局は、非合法化された気功集団「法輪功」だけでなく、チベット仏教やイスラム教などでも多数の教徒が集まることを警戒し、未承認の寺院建設も違法な宗教活動として取り締まりを強化している。【1月2日 時事】 
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少し変わったところでは、退役軍人家族の抗議行動も伝えられています。
詳細はわかりませんが、物言う風潮の一端でしょうか。軍関係者となると、当局側の対応も神経を使うところでしょう。

****中国軍の家族、デモ 軍関係者の抗議相次ぐ****
中国広東省深セン(センは土へんに川)で1日、中国軍香港駐留部隊の家族ら数十人が部隊の後方支援基地に集まり、約束されていた住宅を提供するよう求めた。香港紙の明報などが伝えた。退役軍人など軍関係者が生活苦を訴えるデモが中国で目立っている。

集まったのは、香港の中国返還を控えた1993年と94年に香港に駐留した部隊の家族ら。1日午前、市内にある支援基地の正門前に集まり、当時、軍が約束した住宅を提供するよう求めた。昨年6月にも同様のデモがあり、軍幹部が広い住宅を独占して一般の兵士の家族には住居が提供されていないと訴えている。

12月には広西チワン族自治区桂林市で、中越戦争に加わった退役軍人千人以上が生活保障を求めてデモをしたほか、湖北省武漢などでも退役軍人のデモが起きた。【1月3日 朝日】
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安定を維持する「社会管理」構築の必要性
著しい経済成長の一方で、所得格差、食の安全、環境問題、上記のような土地収用絡みの問題、民族問題など、多くの問題を抱える中国は、今年12年秋には
これまで問題のある程度を覆い隠していた経済成長が今後鈍化すれば、問題は更に深刻な形で表面化し、社会を揺さぶることにもなります。党中央も当然、そうした危機認識は強く持っています。

****社会不安拡大に危機感=経済減速で体制動揺も―中国****
中国の治安維持の責任者、周永康共産党中央政法委員会書記(政治局常務委員)は9日までの会議で「市場経済のマイナス影響に直面したわれわれはまだ完全な社会管理体制メカニズムを構築していない」と述べ、経済の減速が社会の不安や混乱を引き起こす可能性に強い危機感を示した。
この背景について中国筋は「共産党体制が揺れ動くとすれば、インフレや不動産バブル崩壊など、これまで好調だった経済の悪化がその引き金になる」ためだと解説した。

周氏の発言は、党中央政法委機関紙・法制日報(5日付)が伝えた。その社説は「市場経済が利益の最大化を求めた結果、社会の道徳や信頼は大きく傷ついた」と指摘。共産党は貧富の格差拡大などで自分たちに向けられる民衆の不満や怒りを抑え込み、安定を維持する「社会管理」構築の必要性に迫られているとの見方を示唆した。
こうした状況を受け、共産党で治安維持を統括する中央社会管理総合治理委員会は先月末以降、全国4カ所で社会管理強化を徹底させる会議を開催した。【11年12月9日 時事】
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【「どんな指導者なのか、まだよく分からない」】
こうした状況で、今年秋には、胡錦濤国家主席から習近平国家副主席への権力移譲が行われます。
新たな指導者となる習近平国家副主席は、「太子党」と呼ばれる高官子弟の一人として知られています。また、文革当時、地方で苦労した経験もあることも良く知られたところです。

****リーダーたちの群像〉「赤い貴族」光と影*****
「『才』よりも『徳』を優先させることが、胡錦濤(フー・チンタオ)同志が何度も強調してきた人材の登用基準である」
北京で昨年12月中旬にあった中国共産党の人事を担う組織部の会議。同部を統括する国家副主席の習近平(シー・チンピン=58)は重々しく国家主席の胡の名をあげながら、幹部の登用方針を語った。

党指導部は今秋の党大会で大幅に世代交代する。69歳の胡は総書記を退き、習が後を継ぐことが確実視されている。それでも、習の公式発言は極めて慎重だ。政策方針の演説では胡に言及することを忘れない。
誰もが知るような際立った業績はないが、敵はつくらず、失策はしない。「能力が高いだけでなく、おおらかな性格なのがいい。期待している」と習と面識のある党関係者は話す。一方で、こんな声も多い。「どんな指導者なのか、まだよく分からない」

■父の人脈生きる
早くから目立った存在だったわけではない。
胡が40代前半で将来の指導者候補の一人と目されたのに比べ、習は40代半ばの1997年、中央委員候補に最下位で選ばれたにすぎなかった。当時の党内序列は344位。同世代の若手有力者はすでに一つ上の中央委員に入っていた。

党関係者は、福建省長だった習が北京を訪ねてきた時のことを覚えている。「省内を隅々まで回り、庶民の声を聞いていると落ち着いた調子で言っていた」。地方で地道に仕事をこなす姿を中央の老幹部らに小まめに報告し、信頼を得ていったようだ。

浙江省書記を経て上海の書記になった2007年、9人しかいない政治局常務委員への昇格を果たす。ライバルごぼう抜きの出世には、組織部長を務めた元国家副主席、曽慶紅(72)の強い後押しがあったとされる。曽と習の父は高官同士で近い仲にあった。
若手の実務官僚が集まるエリート養成機関、共産主義青年団(共青団)生え抜きの胡に対し、元副首相の習仲勲を父に持つ習を支えるのは、「太子党」と呼ばれる高官子弟の人脈だ。

青い表紙の1冊の名簿がある。北京の八一学校(現在の八一中学)の卒業生名簿だ。その86ページにある68年卒4組の45人の中に「習近平」の名が書かれている。
トウ小平(トウは登におおざと)の息子ら要人の子弟ばかりが集まっていた名門校だ。名簿を見ると、習の太子党人脈の一端が浮かび上がる。同学年の1組にいた劉衛平は現在、軍総後勤部司令部副参謀長。2期上には重慶市書記、薄熙来(ポー・シーライ=62)の兄弟がいた。劉の父は元空軍副司令員、薄の父は元副首相だ。

もう一つの名門校、北京第4中学に通った劉源(60)も当時の友人だ。昨年1月に軍総後勤部政治委員に登用された。その父は国家主席だった劉少奇だ。同校出身者にはほかにも薄ら要人が数多くいる。
次期指導部入り候補はこの2校の出身以外も高官子弟がずらりと並ぶ。組織部長の李源潮(61)も共青団出身だが、父は元上海副市長だ。党の老幹部の一人は「次期指導部は高官子弟たちが目立つ体制となりそうだ。そう、『赤い貴族』たちだね」と話す。

■文革で批判の的
一方で、習は若くして政治に翻弄(ほんろう)され、苦労をした経験も持つ。
習が10代を過ごした60年代から70年代にかけ、中国は文化大革命などの政治運動で社会が大混乱した。父は62年に失脚、その後、へき地にも一時飛ばされた。習もその家族として批判の対象となった。

中学卒業の時期に八一学校は一時閉鎖される。当時を知る中国筋によると、高官子弟らが集まる第4中学などに移ることはできず、北京第25中学に移った。その後の青春時代も、陝西省の田舎、延川県の生産大隊で過ごしている。
「幹部は歴史を学ばなければならない。偉大な業績だけでなく、党が困難を克服してきたことを十分に理解すべきだ」。習は昨年9月、自らが校長を兼ねる中央党校で、近現代史を学ぶ必要性を特に訴えた。
同校関係者は「習は迫害される父を見た。あの混乱を中国で再び繰り返してはならないとの強い思いがあるのだろう」と話す。

注目されるのは、今年、胡が軍を統括する中央軍事委員会主席の座も譲るかどうかだ。前国家主席の江沢民(85)は総書記を退いた後もこのポストに居座り、政治力を維持した。江の威光は引退久しい今なお通用する。北京の外交筋は「胡も同じような形を選ぶ」と見る。そうなれば、習指導部は2人の総書記経験者をお目付け役として抱えてのスタートとなる。【1月3日 朝日】
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【「共産主義が死に、国民のよりどころはナショナリズムになった」】
2人の総書記経験者が後ろに控えていては、新しい政治スタイルをすぐに打ち出すのは困難でしょう。

****強面で党を束ねる政界のプリンス****
・・・・新任者が前任者との差別化を図ろうとする二大政党制国家の指導者とは違い、習は胡の政策を踏襲し、着実な成長と国家の安定、輸出拡大を掲げるだろう。「国民は何より経済成長の土台が安定することを望んでいる」と、英ケンブリッジ大学で日中関係を研究するトニー・ブルックスは指摘する。そして何より、習は中国共産党の伝統を守る姿勢をアピールするはずだ。

厳しい経済状況に直面
89年の天安門事件以来、中国共産党はその支配力が経済成長とナショナリズム、そして党の権威という3つのトライアングルの上に成り立っていることを意識してきた。

「共産主義が死に、国民のよりどころはナショナリズムになった」と、著名な中国ジャーナリストのウィリー・ラムは言う。「習はナショナリストであり、今後もナショナリズムを利用して国をまとめていく」

ここ数年、共産党政府は反政府活動の取り締まりに躍起になってきたが、権力移行の年となる12年は、これまでにも増して厳しい対応を取るだろう。ただし抗議活動の数は減らないかもしれない。不動産開発をめぐる騒乱に加え、最近では生活の質の向上や環境保護を訴えるデモが増えているからだ。【1月4日号 Newsweek日本版】
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当面は、民主化や報道の自由化などは進展せず、厳しい“管理”が前面に出る政治運営になりそうです。
「今後もナショナリズムを利用して国をまとめていく」ということになると、南シナ海問題への対応や、日本との関係においても、硬い姿勢が予想されます。

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