孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

関東大震災から100年 朝鮮人虐殺事件

2023-09-01 23:16:57 | 災害

(朝鮮の人々を保護するため、旧田島町の神社境内に設けられた小屋=「大正12年9月1日大震災記念写真帳」より(川崎市立中原図書館所蔵) 

“朝鮮人労働者を雇い、工員を派遣していた親方が暴徒から朝鮮人たちをかくまったり、旧田島町の助役が新田神社(川崎区渡田)に小屋を設け、約百八十人の朝鮮人を保護し、自警団が押しかけても守った記録もあった。”【2020年8月31日 東京】

当時まだ人口の少ない田舎だった川崎でも、朝鮮人殺害の記録の一方で、上記のような保護の動きもあったようです。

「日ごろから朝鮮人と付き合いがあった人たちは、簡単にデマを信じることなく、加害者にもならずにすんだ。犯罪をあおるヘイトスピーチと対峙していくヒントがある」【同上】)

【デマを信じて虐殺へ 背景には差別意識と独立運動への警戒感】
今日9月1日で、1923年9月1日11時58分に起きた関東大震災から丁度100年が経過しました。

絶え間なく地震災害に襲われている日本にあっては、特に、地震調査研究推進本部(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)によると、甚大な被害が予想される南海地震の発生確率が今後30年以内で70~80%程度、50年以内は90%程度にも及んでいるとされるなかで、災害対策を改めて考える日でもありました。

(上記の発生確率を考えると、本来なら目の色を変えて対策に取り組むべきところでしょうが、政府にも、自分を含めた国民にもそうした緊張感がまったく見られないというあたりが・・・人間というのはそういうものなのでしょう)

100年前の関東大震災では、地震・火災・津波の被害だけでなく、不安で動揺する人々の間で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」といった類のデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺するという二次的事件も発生しました。

この種の出来事によくあるように正確な犠牲者数は不明で、論者の立場によりその数は異なりますが、推定犠牲者数は数百名~約6000名とされています。【ウィキペディアより】

事件が起きた背景については、民族的な差別意識が当たり前のこととされるような社会にあって、当局側に朝鮮・台湾の独立運動への警戒感があったことも影響したようです。

なお、現代では少なくとも表向きは差別はよくないとされていますが、私の親世代、更に震災を経験したその上の世代にあっては、差別は極めて当然の感情であり、それを抑制するという意識はほとんどないように思われます。
そいう風潮の社会で流言飛語が流れたら・・・結果は想像に難くないようにも。

****震災時の背景****
当時の日本政府は地震発生前に発生した朝鮮の三・一運動や台湾の大規模デモを流血鎮圧した経験から、これら統治領の独立運動を行う一部の民衆の抵抗に警戒感を抱いていた。

当時の朝鮮人への無理解と民族的な差別意識も背景として考えられる。

日本国内では大正デモクラシーによって労働運動・民権運動・女性運動など支配権力に対する社会主義者らの抵抗・権利拡大運動の活性化と、それに対抗する保守的勢力の急伸、首相暗殺や恐慌による政治経済への不安から社会体制が揺らいでいた。

また、国外でもイギリス・アメリカとの対立、シベリア出兵の大失敗などから国際的な孤立化を深めつつあり、関東大震災はいわば内憂外患の状態に追い打ちをかけるように起こった大災害だった。

山本内閣は9月7日に治安維持令を公布した。この戒厳令が解除された11月15日までの東京・神奈川・埼玉・千葉の被災地1府3県民の市民的・政治的自由が停止した状態の中で、大震災発生直後の9月1日午後3時以降、東京や横浜などで「社会主義者及び鮮人の放火多し」「不逞鮮人暴動」といったデマが発生していったが、デマの中には警察や軍が流したものもあった。

これらの報道や伝聞による噂に接し不安を煽られた各地の民衆や有志によって自警団が結成されたが、中には地域の管轄警察の主導・指導で組織された自警団もあった。

これら自警団の一部によって朝鮮人・日本人・中国人らが虐殺されていった。

陸軍や警察はこの混乱を奇貨として社会主義者や労働運動家らの抹殺を画策し、10名が軍隊に虐殺された亀戸事件および無政府主義者が憲兵大尉らに殺害された甘粕事件が実行されたが、こうした「白色テロ」に対する責任追及や批判は低調だった。

当時の社会にとっては治安維持と被災者救援活動の一環であり、軍や政府や警察が威信を取り戻したとして歓迎される状況になっていた。【ウィキペディア】
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【民団主催式典 初めて日韓国会議員が参列】
東京では在日本大韓民国民団(民団)による朝鮮人虐殺の犠牲者を追悼する「殉難者追念式」が催されました。

****関東大震災の朝鮮人虐殺 東京で追悼式典開催=韓日国会議員ら出席****
在日本大韓民国民団(民団)東京本部は1日、東京都内で関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺の犠牲者を追悼する「殉難者追念式」を開催した。

関東大震災から100年を迎え、在日韓国大使館と在外同胞庁が後援した今年の式典には初めて韓日の政治家が出席し、例年に比べ大きな規模で開かれた。

朝鮮人虐殺を公式に認めていない日本政府の関係者の姿はなかった。

韓国からは超党派の国会議員でつくる「韓日議員連盟」の会長を務める与党「国民の力」の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)議員と幹事長である最大野党「共に民主党」の尹昊重(ユン・ホジュン)議員、幹事である国民の力の裵賢鎮(ペ・ヒョンジン)議員が出席した。

日本からは鳩山由紀夫元首相、山口那津男・公明党代表、福島瑞穂・社民党党首、逢坂誠二・立憲民主党代表代行、額賀福志郎・日韓議員連盟前会長、武田良太・日韓議員連盟幹事長らが会場を訪れた。

献花台の両側には、日韓議員連盟会長を務める菅義偉元首相と韓悳洙(ハン・ドクス)首相からの花輪が並べられた。

民団は「関東大震災当時の韓国人に対する大量虐殺の悲劇は天災であると同時に人災だった」と指摘。数千人の韓国人が虐殺されたが、国を奪われた状態だったため抗議はもちろん調査を要求することもできなかったと強調した。

民団東京本部の李寿源(イ・スウォン)団長は「悲惨な受難の歴史は絶対に忘れてはならない」として犠牲者に哀悼の意を表した。

また、日本政府の中央防災会議が作成した関東大震災の報告書に「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく」と明記されているとして、韓日両国の平和と共存に希望を示した。

尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日大使は、犠牲になった韓国人の正確な数は確認されていないとしながら「数字を問わず、関東大震災当時に韓国人が無念に犠牲となった事実は誰も否定できない歴史だ」と述べた。

続けて、不幸な歴史は二度と繰り返されてはならないとし、「ありのままの歴史を直視すれば、韓国と日本は真のパートナーとして未来志向的協力を持続し、世界平和と繁栄に共に寄与できるだろう」との考えを示した。

一方、尹大使と李団長は約6000人が命を奪われたと推算される朝鮮人虐殺を認めない日本政府に明確に真相究明を求めることはせず、犠牲者の追悼と両国の相互理解を強調した。

鳩山元首相は追悼式に出席後、記者団に対して日本は朝鮮人虐殺をきちんと調査し、過去の過ちに対して謝罪の気持ちを持たなければならないと述べた。【聯合ニュース】 
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“今回は、初めて日本と韓国の国会議員が参列した”というのは、韓国・伊政権のもとで進む日韓関係改善を反映したものでしょう。

【松野官房長官「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」】
歴史の「常識」とも思われる朝鮮人虐殺事件ですが、日本政府は“朝鮮人虐殺を公式に認めていない”ということで、松野博一官房長官は「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」と述べています。

****関東大震災での朝鮮人虐殺「記録ない」と発言 日本に対し「必要な措置検討」=韓国政府****
韓国外交部の任洙ソク(イム・スソク)報道官は31日の定例会見で、日本政府が1923年の関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺について「記録が見当たらない」としたことについて、「韓国政府はこれまでさまざまな機会に日本に対して過去を直視するよう促した」として、政府として必要な措置を引き続き検討するとの立場を示した。

また、政府は関東大震災に関して日本側に真相調査の必要性を提起し、真相究明のための資料提供を要請したと説明した。

日本の松野博一官房長官は30日の記者会見で、朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらない」と述べた。また、災害の発生時に国籍を問わず全ての被災者の安全と安心を確保するために努力することが非常に重要な課題だと認識していると述べたが、反省や教訓という言葉はなかった。【8月31日 聯合ニュース】
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“論者の立場により認識が異なる”この種の問題ではありますが、被害者とされる側からすれば「記録が見当たらない」で済まされると納得がいかないところでしょう。
北朝鮮の拉致問題で、同様の対応に日本人がどのように感じるか・・・。

日本との関係重視に力点を移している伊政権は上記のような対応ですんでいますが、反日傾向が強い野党は反発を強めています。

****日本責任逃れ、韓国政府は無関心 関東大震災直後の朝鮮人虐殺****
韓国国会で関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺の真相を究明するための特別法制定を目指す最大野党「共に民主党」の柳基洪議員らが1日、ソウルで記者会見し「日本政府の責任逃れと韓国政府の無関心」を批判した。柳氏らは「100年の無責任に終止符を打つべきだ」として早期の可決、成立を訴えた。

法案は、首相直属の調査委員会を設置し、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言飛語がもとで殺された被害者の名誉回復などが柱。与野党議員100人の連名で3月に提出された。

市民団体幹部は「政府と国会は今まで何をしてきたのか」と批判。「真実が分からなければ(日韓の)和解と許しに至らない」と話した。【9月1日 共同】
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犠牲者数について多くの幅のある考え方があるということと、そういうことがあったのかどうかという認識は別物のように思えるのですが。

最近観たTV番組だったかどうか忘れましたが、出演者が「歴史とは自国の失敗を学ぶことだ。どうして間違えたのか。再び繰り返さないためにはどうすればいいのか・・・」といった趣旨のことを述べていました。

日本に限らず、どの国も自国の過去の過ちに向き合うのは非常に困難なことです。ただ、「なかったこと」にしてしまっては、同じ過ちを繰り返すことになります。

SNSが発達した今日、流言飛語・デマ・フェイクが飛び交う環境は、以前にもまして危険なものになっています。

混乱時における集団の“狂気”は、多くの悲劇を産みます。なかには朝鮮人と疑われて殺害された日本人も。
8月30日のNHKクローズアップ現代は、そうした「福田村事件」を取り上げていました。

****福田村事件とは****
内閣府中央防災会議の専門調査会の報告書によると、当時、関東地方各地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言(デマ)が広がり、多くの朝鮮人や中国人が民衆や軍、警察によって殺傷されました。

関東大震災から5日後の大正12年9月6日、甚大な被害が出た都心部からおよそ30キロ離れた千葉県福田村。香川県から来ていた薬売りの行商の一行が神社で休憩していたところ、地元の自警団に言葉や持ち物などから、「朝鮮人ではないか」と疑われ、幼い子どもや妊婦を含む9人が命を落としました。

事件後、殺害を主導した自警団の8人が有罪判決を受けたものの、その後、大正天皇の崩御に伴う恩赦で釈放されています。【NHK】
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朝鮮人と疑われた日本人ですら犠牲になるような当時の空気ですから、実際の朝鮮人がどういう状況に置かれていたかは・・・・。

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