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(タミル人の多い東海岸中心都市トリンコマリー 外国人の目にはタミル人だかシンハラ人だか全く区別がつきません。そんな差異がなぜ大勢の命をかけた内紛を引き起こすのか・・・? 内戦が再発する前、04年6月の撮影“flickr”より By Jadhu )
スリランカは西岸のコロンボ、北上するとアヌラダープラ、内陸のボロンナルワ、キャンディ、海岸を南下するとゴールからヤーラ・・・と観光スポットの豊富な国ですが、旅行ガイドブックを手にとるとあることに気づきます。
東海岸から北部の紹介が全くされていません。
これら地域は“タミル・イーラム解放のトラ”(LTTE)の実効支配地域でしたので、観光はおろか、政府軍さえ立ち入りが困難な地域でした。
“でした。”と過去形になっているのは、シンハラ人の政府軍とタミル人のLTTEはこれまで衝突・停戦を繰り返してきましたが、06年7月から再び戦闘状態に入り、今年7月には東部を政府軍が制圧し、戦線は北部に移っているからです。
(これまでのスリランカ情勢をとりあげたもの)
11月5日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071105
9月14日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070914
6月24日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070624
そんななかで目にした「スリランカのラジャパクサ大統領は12月17日、政府軍と激しい戦闘を続ける反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)を非合法化する可能性があると言明した。」【12月18日 共同】というニュースに、「えっ!LTTEって今は合法組織なの?」と驚いたのですが、一応前回和平合意(02年9月)がまだ形式的には生きているためのようです。
そのニュースでは「再び非合法化されれば和平対話の道は閉ざされ、内戦状態に逆戻りする恐れも。」とありましたが、現実にはすでに十二分に内戦状態にあります。
しかも、ある意味では内戦状態も“終盤”を迎えつつあるようです。
戦闘はLTTEの金城湯池である北部エリアで行われていますが、11月にはナンバー2で政治部門指導者のタミルセルバン氏が政府軍の空爆を受けて死亡。
更に、スリランカ国防省は今月19日、LTTEの最高指導者のプラバカラン議長が、11月26日に政府空軍が北部キリノッチで行った空爆で負傷したと発表しました。負傷の程度は不明とされています。【12月20日 朝日】
プラバカン議長の負傷については「地下壕が空爆を受けて一部が崩れ、議長は落下したがれきに当たって軽傷を負った。ただ、地下の医療施設で手当てを受け、完全に回復したという。議長は空爆の前日、闘争を継続するとの声明を発表していた。」【12月16日 AFP】という報道もありましたので、負傷の程度は軽かったのかもしれません。
しかし、組織トップを狙い撃ちするような攻撃が行われているところをみると、政府軍が北部を含めて完全制圧という日も遠くないのかも。
来日していたボゴラガマ外相は今月11日、LTTEとの和平交渉に関し「テロをやめ、民主的な交渉に戻るべき時期で、対話にはいつでも応じる用意がある」と述べ、“余裕の対応”を見せています。【12月11日 毎日】
戦闘は早晩終結するかもしれませんが、全人口の2割近いタミル人が存在する事実には何ら変わりはありません。
そして多数派シンハラ人とタミル人の間にぬぐい難い不信・憎悪・不安が存在することも。
わずか2回の観光旅行でも、タミル人居住地域を車で通り抜ける際の(もちろんりっぱな国道です。)シンハラ人の緊張する様子は印象的でした。
戦闘が終結しても、両者の融和が進まないかぎり、スリランカ社会は爆弾テロなどに脅える日々が今後も続くのでは。
あるいは、いつかLTTE類似の反政府勢力が活動を始めるかも。
融和は数十年の長い期間で考えないと、すぐにはどうにもならない問題でしょう。
多数派であり政府をおさえているシンハラ人側が多少タミル人側に“譲る”ような度量を示さないと、融和はなかなか進まないでしょう。
仏教やシンハラ語の強制などはとんでもない・・・と部外者の外国人は考えるのですが。
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