(タキシラの仏教遺跡ジョーリヤーンに残る仏像)
【ガンダーラ美術】
現在、パキスタン・ラワルピンディを旅行中です。
紀元前6世紀前後、ネパール・ルンビニ付近に誕生したゴータマ・シッダールタによって仏教の教えが世に出る。
紀元前326年、アレクサンダー大王がペルシャを破り、北西インド地域に進攻。ギリシャ人がこの地に移り住む。紀元前3世紀、インドほぼ全域を支配したマウリヤ朝は北西インドからギリシャ勢力を駆逐し、全盛期のアショカ王は仏教を手厚く保護。
紀元前2世紀頃、ギリシャ系バクトリアが北西インドに侵入。
紀元後2世紀、バクトリアを駆逐したクシャナ朝のカニシカ王のもとで仏教文化が興隆。
5世紀初頭、法顕がインドを旅行。
7世紀、玄奘がインドを旅行。
パキスタン北部を含む北西インド地域の大まかな歴史は以上のようなものですが、その結果、この地域には仏教とギリシャ美術が融合したガンダーラ美術が誕生し、アショカ王、カニシカ王の保護のもとで、多くの寺院、仏像がつくられました。
そうしたガンダーラ文化の中心のひとつが、パキスタン・ラワルピンディ郊外のタキシラです。
冒頭写真はタキシラの仏教遺跡ジョーリヤーンに残る仏像です。カニシカ王の時代のものでしょうか。
ラワルピンディ初日である昨日は、日本語堪能なガイド氏とタキシラの主だった遺跡を見てまわりました。
その内容は、別途、旅行記サイトに記す予定です。
【テロの不安も忘れ街をさまよう】
パキスタンと言えば、どうしてもテロが怖い・・・ということで、ガイド氏にテロの状況を尋ねると、「そんなに心配することはありません。普通に生活しています」とのこと。
「でも、1月頃にはラワルピンディでも大きなテロがあったし・・・・」
「そうですね。でも誰がやったか不思議ですね。タリバンなどのイスラム主義者はあんなテロはしません。パキスタンではアメリカなど多くの国が政治的影響力を争っています。そうした状況でいろんなことが起こります。」
「そうですか・・・・」
タキシラ観光の途中、ローカルなお店で昼食。
「男性ばかりですね」
「女性は人前に出ることに気をつかいますので。店で注文したものを車の中で食べたりします。私も家族連れのときは車の中で食べます。」
「ところで、女性教育の必要性を訴え、スクールバスの中でパキスタンのタリバン勢力に銃撃されたマララさんという少女がいますが、パキスタン国内では彼女はどのように見られているのですか?」
「“やらせ”ですね。殺しに慣れたタリバンの人間が本当に狙えば命が助かるはずはありません。“襲撃”後すぐに回復し、本を出し、寄付金を集め・・・・」
「なるほどね・・・・」
あまり政治的な話題に深入りしないようにしていましたので、上記程度のやりとりしかしていませんが、いろんな見方があるようです。
もちろん、上記はガイド氏個人の考えであり、パキスタンの人々の多くがどのように考えているのかは知るすべはありません。
な
お、日本国内ではテロの不安もありましたが、現地の市場の雑踏の中で思うことは「暑いね・・・・」「歩き疲れた。どこか休憩できるところは・・・・」「おなかすいた。どこで食べようか・・・・」といった類であり、テロのことなどすっかり忘れてしまいます。
ただ、街中のちょっとした店や銀行などの入り口には自動小銃を抱えた警備人が立っています。
私が泊まっているホテルも同様ですが、近くにある街で一番高級なホテルなどは、敷地の両サイドに監視塔まであります。まるで要塞です。
いったい誰を警戒しているのでしょうか?
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