『木想』第7号を高橋冨美子さんからお贈り頂いていた。
表紙写真は高橋さんのご子息、高橋俊仁さんの作品。この詩誌にぴったりだ。ピッタリすぎるかもしれない。
高橋さんの巻頭詩。「くびれて」です。
すぐれた比喩の詩。
地球どころか、太陽までもがくびれて…。凄みのある美しさ。
二人誌のもうお一人、山下寛氏の力作は散文「対の流れ」。
自分とその影との対話で流れてゆく話。
影にも意思があるとの想定。しかし当然ながら影に主体性はない。
不思議な世界を描いているが、人間の根源に迫ろうとしているように思える。
わたしは頭が悪いのか、最後になってからやっと設定が明らかになってある程度理解できた。
作者はなかなかに粘着力(筆力)のある人に思える。
高橋さんがエッセイ「村山槐多・その絵と詩と」を書いておられる。
槐多の短い人生をその詩作品と絵とを紹介しながらのミニ評伝のようなもの。
槐多についてはわたし、名前こそ知っていたが詳しくは知らなかった。
高橋さんはエッセイを次のように締めくくる。
《
槐多の死後、高村光太郎がこんな詩を書いている。
……
いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を偏在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多
無限に渇したインポテンツ。
……
自然と人間の槐多の中で野たれ死にした若者
槐多よ、槐多よ。
槐多への愛に満ちた詩ではある。けれど、槐多は野たれ死になどしていない。
詩人村山槐多は精一杯生きた。貧困と病気と闘い、絵を描き、力尽きたのだ。》
力作でした。高橋さん、ありがとうございました。
このエッセイで多少の知識を得られました。