今朝の神戸新聞、文化欄。
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「早世の天才作曲家全貌に迫る」と題して大澤壽人の評伝のことが出ている。
神戸女学院大学の非常勤講師、生島美紀子さんがこのほど出版。
『天才作曲家 大澤壽人―駆けめぐるボストン・パリ・日本』(みすず書房・5200円)。
この大澤壽人だが、拙著
『触媒のうた』にちょろっと出てくる。
宮崎翁も交流があったのです。
記事では「壽人」を「ひさと」とルビが振ってあるが、宮崎翁はたしか「ひさんど」と呼んでおられた。
「ひさと」が正しいのでしょうが、場合によっては「ひさんど」と呼ばれることもあったのでしょうね。
『触媒のうた』37ページには氏が写る貴重な写真を載せてます。
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戦争直後の昭和20年代、若き宮崎翁が阪神間の芸術家や詩人などの文化人を香櫨園浜、回生病院の庭に集めて宴を持った時のもの。
下の写真の前列真ん中の、体を少し斜めにしてるのが大澤。
こんな話は生島さんもご存じないでしょうね。