H美さんから戴いた杉山先生の遺品の中の『書標』を読んでいる。
足立先生が書かれた「竹中郁と神戸の詩人たち」が興味深い。
前半にご自身が編集して出された『竹中郁少年詩集』について書きながら、竹中郁の人格の素晴らしさを書いておられる。
そして後半に自著『親友記』について書かかれた文章は胸を打つ。
《わたしの仲間は無名で人生を終えようとしている。それだけではない。わたしたちの仲間はすべて貧困と不幸とを背負い、戦争に痛めつけられ、ある者は「神戸詩人事件」といわれる弾圧事件に連座してデッチ上げの罪に問われ、生活を根底から破壊された。(略)だれひとりとして外遊した者はない。そして、竹中郁の詩業を継ぐ者はひとりも出なかった。しかし、わたしを含めてこれら無名詩人の人生と詩とにも深い愛情を持つ。才能貧しく品性卑小であっても、その人生と詩とにはかけがえがなく、やはりそれぞれに真実を宿しているからである。わたしはその事実を神戸の生活・文化の一断面として『親友記』に書き残したかった。山頂のような竹中さんの詩業を尊敬し顕彰することと、日陰の無名詩人たちの人生を大切にすることとは、わたしにとっては同様に義務なのである。》
足立先生らしい、情のこもった文章である。義務とまで書いておられる。無名のわたしも大切にされたのを忘れてはいない。
足立先生が書かれた「竹中郁と神戸の詩人たち」が興味深い。
前半にご自身が編集して出された『竹中郁少年詩集』について書きながら、竹中郁の人格の素晴らしさを書いておられる。
そして後半に自著『親友記』について書かかれた文章は胸を打つ。
《わたしの仲間は無名で人生を終えようとしている。それだけではない。わたしたちの仲間はすべて貧困と不幸とを背負い、戦争に痛めつけられ、ある者は「神戸詩人事件」といわれる弾圧事件に連座してデッチ上げの罪に問われ、生活を根底から破壊された。(略)だれひとりとして外遊した者はない。そして、竹中郁の詩業を継ぐ者はひとりも出なかった。しかし、わたしを含めてこれら無名詩人の人生と詩とにも深い愛情を持つ。才能貧しく品性卑小であっても、その人生と詩とにはかけがえがなく、やはりそれぞれに真実を宿しているからである。わたしはその事実を神戸の生活・文化の一断面として『親友記』に書き残したかった。山頂のような竹中さんの詩業を尊敬し顕彰することと、日陰の無名詩人たちの人生を大切にすることとは、わたしにとっては同様に義務なのである。》
足立先生らしい、情のこもった文章である。義務とまで書いておられる。無名のわたしも大切にされたのを忘れてはいない。