写真:お宮さんも満開の桜(撮影:4/12)<o:p></o:p>
十津川村役場前を武蔵地区に入り、「楠正勝の墓」案内板に従って細い山道を登っていくと、急に開けた場所にでます。昨春初めて南朝遺跡を探して来たとき、この静かでのどかな地区が大好きになりました。ちなみに正勝は南北朝時代の武将で、楠正成の孫にあたります。
写真:武蔵地区は隠れ里だったのでしょうか?(撮影:4/4)<o:p></o:p>
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ひっそりとした、だけども手入れが届いた正勝のお墓には満開の桜、そして周囲の眺めも素晴らしくて心に響きました。すぐ横には今では廃校となった武蔵小学校があり、かつてここで学んでいた子供たちの声が聞こえてくる感じです。今では求めてもなかなか得られない環境です。
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4月の初めに様子見に来たのは、ここの桜の状態をどうしても確かめたかったことがあります。そして4月12日、嬉しいことに今年も満開でした!!!近くで畑仕事をしていたおじいさんは「きれいやろ~、お弁当食べて花見すれば」とすすめ、「3日にはここでお祭りがあった」と話してくれました。
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写真右:楠正勝の墓(撮影:4/12)<o:p></o:p>
写真左:ほとんど枯れた樹からけなげに咲く桜(撮影:4/12)
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毎年4月3日には、ここにある佐久間信盛と正勝のお墓の霊を弔うために、尺八演奏などが行われるそうです。「楠正勝は虚無僧だった」という伝説があるのです。また夏にはこの運動場で室町時代の風流踊りを伝える「大踊り」という盆踊りが行われ、これは国の重要無形民俗文化財に指定されています。
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「あのお宮の桜とここの桜はまた種類が違う」というおじいさんのお勧めで、「お宮さん(みんなこう呼ぶらしい)」にも行き、押し寄せてくるような満開桜を独り占めです。そしてここにも南北朝に深く関係している「長慶天皇」をお祀りしてあったので驚きました。
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<o:p>写真右:上を見上げると飛行機雲(撮影:4/12)<o:p></o:p></o:p>
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<o:p><o:p></o:p></o:p>民家の桜も美しいので撮影していたら、おばあさんが出てきて「ここに来るまで細い山道でびっくりしたでしょう?」と話しかけました。「この地区はおよそ30人の住民がいるが、一番若いのが60歳代前後で、ほとんど70~80代。私も1人暮らしなので、不便はあるけどここを離れたくはない。でも役場の人たちが時々見に来てくれるしね」ということです。
写真:武蔵小学校は現在「十津川教育資料館」となり見学できる(撮影:4/12)
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「隣には白くてりっぱな桜の木がある」というおばあさんの声が聞こえたのか、隣の男性が「その桜を見ますか?」と誘ってくれました。60歳代というその人は「一番ではないけど若い方です。ここは亡くなった両親の家で、橿原市にある家の両方を行き来している」とのこと。
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庭には多くの種類の桜が植えてあり「親父は桜が大好きだった。これは『大島桜』だと思う。満開になるとちょっと青みがかってくる」そうです。いずれにしても住む人たちの高齢化で、ひっそりとした良いたたずまいのこの地区はどうなるのかと心配です。<o:p></o:p>
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写真:花が大きくて満開になると青みがかるという「大島桜」(撮影:4/12)<o:p></o:p>
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