京都のちんちん電車がクルマの邪魔者にされて廃止されて行ったのと逆にヨーロッパでは路面電車を見直す動きが起り、その差は今になってはかなり大きく、やっと気が付いた日本がもう一度元に戻るのは相当な努力を必要とするでしょう。
そう言う私だってクルマ好きで20代前半のころはクルマ命の時があったのですからその先見の明の無さを非難する資格はありません。尤も、20代後半にはもうクルマを運転するのが嫌になっていましたから結構変わり者だったのは間違いなさそうです。
しかしながら、日本がそんな動きをしている時に既に路面電車の素晴らしさに気付いたヨーロッパの先見の明には脱帽せざるを得ません。それだけモータリゼーションの洗礼が早かったといえばそうなのでしょうが、それでもその動きは素晴らしいと思います。一体、どこがそんな事に気付き手を打ちだしたか知りたかったのですが、そんな経過を教えてくれる記事がありました。
第3565回でベロモービルを取り上げた松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」にありました。
甦る路面電車 2009年10月15日
・・・略
世界的に見ると、路面電車復活の先鞭を付けたのは、ドイツ(当時は西ドイツ)のカールスルーエだった。1970年代初頭から、路面電車路線と広域鉄道網の相互乗り入れを積極的に進めたのだ。路面電車は市街中心部を走っているので、郊外住民が直接市街地と行き来することができるようになり、市街地は活性化し、同時に自動車通行量も減った。カールスルーエでの成功は、「カールスルーエ・モデル」と呼ばれるようになり、その後欧米の各地で採用されるようになった。・・・以下略
何と、第2475回で取り上げたカールスルーエ市がそうだったのですね。まさかあそこが最初とは思いませんでした。
それにしても1970年代初頭といえば私が京都を去った年です。その時には京都にはまだ市電がありましたから、その後に廃止になったということですから丁度全く反対の動きをしていたということになりますね。
参考:京都市電 これによると廃止は1978年9月30日だそうです。やはり同じ時期ですね。全く同じ時期に全く正反対のことをやっているのですから面白いというか先を見る目の差と言うか。
皮肉なものですね!
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