団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★★夫が権威で妻が権力を把握

2015年06月05日 | 誇れる日本

  昨日の地域通貨でマネーゲームから脱却して昔 の日本人の素晴らしい民度を取り返しましょうと書きました。

  その、素晴らしい民度を加瀬さんが書いてくれています。全文は是非リンク元で読んでください。その中で、特に、印象 に残ったのが、神道と宗教の違いです。宗教は文字を知ることによって生まれたが、神道は、その前からあるのだそうです。 やはり、神道は素晴らしい。

  もう一つ、この部屋でも日本の女性が家庭の実権を握って主人を手のひらで操っているという素晴らしい立場を捨てて、 社会に出て働くのは勿体ないと何度も書いてきましたが、その素晴らしさをどんな言葉で表現したらいいのかが良く分かりま せんでした。
  ところが、ここで加瀬さんが素晴らしい言葉を書いてくれています。それは、ねずさんが教えてくれた日本の国体に通じ るものでした。これは、気が付きませんでした。

  加 瀬英明のコラムより   Date : 2015/05/29 (Fri)

  日本人の心の清明さはどこからきているのか

  …略

  神道をひと言(こと)でいえば、心の清明を求めることである。仏教に仏典があり、同じ神を拝んでいるユダヤ・キリス ト・イスラム教に聖書と『コーラン』があるが、神道には従うべき戒律も、理論も、教典も、祈祷書も存在していない。神道 は宗教だといえない。

 清明な心は桜と同じ潔さ

 だが、清明な心といえば、日本人ならあらためて説明されなくても、誰でも分かる。

 日本では人が清明な心を持つことが、期待されている。

 神道という言葉が日本語の仲間入りしたのは、かなり最近のことだ。仏教が7世紀に入ってくる以前には、名前がなかっ た。仏教と区別するために、古道とか、神道と呼ばれた。

 キリスト教、イスラム教、仏教が、信徒の数からいって、世界の3大宗教といわれる。

 神道は信じるものでなく感じるもの

 神道とどこが違うのかといえば、この3つの宗教は人が文字を知るようになってから、生まれた。そして、文字が論理をも たらした。

 宗教は論理であって、教えを信じなければならない。神道は文字がなかった時から存在したから、宗教ではない。神道は信 じるものではなく、感じるものだ。

 7世紀に日本に仏教と儒教とともに、論理がもたらされた。中東やヨーロッパでは論理が、精霊信仰である多神教を圧倒し たが、日本では神道が大きな力を保ち続けた。

 神道は清く正しく美しいを奉ずる

 神仏混淆といっても、神道のうえに仏教が加わったのだった。神道は論理ではないから、言挙げしない。そこで今日でも、 私たちは国民性として、寡黙で、論争を好まない。


    …中略

  日本は開闢以来女性が優れていた

 日本は開闢(かいびゃく)して以来、女性が優ってきたという、大きな特徴がある。

 天照大御神は女神であられるが、朝鮮半島、中国からヨーロッパまで、神話の最高神がすべて男性神である。

  …中略

  夫が権威で妻が権力を把握

 教科書が歴史と天皇をどのように扱うべきか、話題になった。

 すると、元文科大臣のN先生が「権威としての天皇と、権力を担う政権に分けた、日本の知恵はすばらしい」といわれた。 私が「日本の夫婦がそうです。夫が権威で、妻が権力を握っている」というと、全員が爆笑した。

 母なる言葉に無限の広さと深さあり

 日本語では、祖国は母国、主家(おもや)は母屋(おもや)だ。父国、父屋とはいわない。母校、母艦をはじめ、母を連想 させる言葉が多い。なぜ、母堂というのに、父堂がないのか。

 トラックや、乳母車にかけるホロは「母衣(ほろ)」と書くが、もとは武士が背後から飛んでくる矢から首筋を守るため に、兜のうしろにかける鎖網を意味した。戦場に立つ時に、母によって守られている安心感が、あったのだろう。

 日本では徳川時代に入るまで、夫婦(めおと)茶碗は女男(めおと)茶碗と書かれた。だが、夫婦を「めおと」と発音でき るはずがない。江戸期に入って、男が空ら威張りをするようになって、夫婦(めおと)と書くようになった。

 古典では「女夫」と書いて、「めおつと」と読む。夫婦のことだ。女男(めおと)、妻男(めおと)、女夫(めおと)と も、書かれた。いまでも、和船に使われる釘は、女男釘(めおとくぎ)と呼ばれている。

 強者は耐え弱者が甘えて我儘

 西洋は、男上位の社会である。日本で男が我儘なのに対して、西洋では女性が我儘だ。だが、強者は耐え、弱者が甘えて我 儘になる。

 アメリカとヨーロッパでは、夫が権威と権力の双方を握っている。漫画『ブロンディ』では、妻のブロンディが夫のダグ ウッドに、やれ何がほしいといって、そのつど金(かね)をせびる。

 真の女性こそ未来への絆

 アメリカでは来年の大統領選挙へ向けて、与党の民主党の大きな公約が、「女性のための戦い(ウォア・オン・ウィメ ン)」だ。女性をDV(家庭内暴力)や、学園のキャンパスにおける男子生徒の性的暴行から、守ろうというものだ。

 ユダヤ・キリスト・イスラム教は同じ神を拝む一神教だが、徹底的な女性蔑視が行われている。イエスは母のマリアを一度 も「母」と呼ばずに、ただ「女」といっている。女が男装をしたり、男として振る舞うのは、大罪だ。

 日本には、静御前、巴御前、北条政子をはじめとして、薙刀(なぎなた)を振って戦う女性が、登場する。ジャンヌ・ダル クはイギリス軍に捕らえられて、男装し、男まさりに戦った罪によって、魔女裁判にかけられて、火焙りに処せられた。

 奈良平安時代には、女性で地方長官である国造(くにのみやつこ)が珍しくなかった。

 もっとも、西洋では近年に入ってから、「ウーマン・リブ」によって、女性が男に伍して働くようになった。

 和の心こそ女性的な心の国

 女が心を用いるのに対して、男は理を弄(もてあそ)ぶ。母親はどの子もやさしく包んで、守るが、父親はできる子と、で きない子を競わせる。

 日本は女性的な心の国である。女性が暴力を嫌うために、和を大切にしてきた。

 縄文時代の遺跡から出土する骨には、他国の同時代の遺跡と較べて、戦い傷のある骨がはるかに少ない。平和な民であって きたのだ。

 男が最高神である国は、自分勝手な正義を振りかざして、戦いを好むが、日本は違った。

 天照大御神は女神であられた。もし、最高神が男神だったとしたら、日本民族が受け容れたことだろうか。私たちは神々で あれ、仏であれ、母性的なやさしさを求める。

  良いですね。「夫が権威で妻が権力を握っている」、まさに日本の国の形と同じです。これ程、日本の女性の地位を見事 に表している言葉は無いのじゃないでしょうか。
  こんな素晴らしい立場を捨てて、社会に出て働くなんて余りに勿体ない。家庭で権力を握って、家事や子育てに専念して もう一度素晴らしい日本を取り戻してほしいものです。男にはできないことですね。

  それにしても、日本って本当に凄い国ですね。権威と権力を別にするという世界のどの国も考えることができなかったシ ステムを最低でも建国以来取り入れていたのですから。
  やはり、このシステムをもう一度取り戻すことこそが日本再生の道でしょう。と言うか、絶対に取り戻さなければなりま せん。

恐るべし我が日本!


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