天を相手にして、己れを盡(つくし)て人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
人を相手にせず、常に天を相手にせよ。
天を相手にして、おのれをつくし、人をとがめず(ひとのせいにせず)、自分の誠意が足りないことを尋ねるようにしなさい。
三〇 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。
此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらないという人は、まったく始末に困る人です。
そんな始末に困る人でなければ、艱難辛苦をともにして、国家の大事を成し遂げることなどできないものです。
三九 今の人、才識有れば事業は心次第に成さるゝものと思へ共、才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。體有りてこそ用(はたらき)は行はるゝなり。
いまの人は、才能や学識があれば、心はあとからついてくると思っているようですが、才能や学識にまかせて為すことというのは、危なっかして、見ていられるものではない。
人としての根幹があってこそ、はじめて世の役にたつのです。
四一 身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、處分の出來ぬ人ならば、木偶人も同然なり。
いくら身をおさめ、おのれをただして君子らしい体裁をよそおっても、処分ができない人はただのデクノボウにすぎない。
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いかがでしたか。
まったく明治以降の日本そのものであり、まるで現代の日本を予見したかのような言葉の数々です。
いまの日本に、そしてこれからの日本に必要なことは、まさに南洲翁遺訓にあり。
そのように思いますが、みなさんはいかがでしょうか。
これを実践できる政治家が現れて欲しいものですが、国民がそうならない限り望みは無いのじゃないでしょうか。
と言うことは、ねずさんにしかられそうですが、望みは限りなく薄いのかも。
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