習は、完全に最後の皇帝への道を進んでいるようです。これで、中国が崩壊しないとはどう考えても有り得無いのじゃないでしょうか。
共産党独裁どころか習独裁を許すほど、中国人民は情けないのでしょうか。世界も、これを許すのでしょうか。これでも中国の金に目が眩んで延命に力を貸すようでは、もう世界の先は見えていますね。
石平さんが、その中国というか習の狂いっぷりを詳しく書いてくれています。
産経ニュースより 2018.1.11
【石平のChinaWatch】人民日報は「習近平日報」 習氏を偉大なる「全知全能の神」扱い 巨大カルト集団と化す中国は恐ろしい
昨年10月の中国共産党19回全国代表大会の開催以来、国内における習近平国家主席の「個人崇拝・神格化」の動きが急速に進んでいる。
年末年始の人民日報を眺めただけでそれがよく分かる。昨年12月29日付の1面トップは、習主席が中国の各国大使を集めて「重要講話」を行った記事だ。30日付となると、習主席が行事に出席したり、会議で「重要講話」を行ったりする3つの記事で1面は覆い尽くされ、主席の大きな写真が2枚掲載されている。そして31日付、1面トップに登場したのは、習主席がモスクワ大学の中国人留学生に寄せた激励の手紙である。
今年の元日、主席恒例の「新年賀詞」は当然、1面トップを飾ったが、同じ1面には、習主席が別の会議で行った講話の概要と、「主席新年賀詞」への解説コラムが掲載されている。そして1月2日付1面には主席関係の記事が3つも掲載され、3日付の1面トップを飾ったのは前述の「主席新年賀詞」に対する解説コラムの第3弾である。
このようにして、年末年始6日分の人民日報1面トップが全部習主席によって独占され、さながら「習近平日報」と化している。それは人民日報だけのことではない。共産党政権指導下で、習主席を唯我独尊の最高領袖(りょうしゅう)として崇拝せよ、とするキャンペーンが全国のマスコミ中心に毎日のように展開されている。
その先頭を走る人民日報が3日付1面と3面に分けて掲載した長文記事も実に面白い。記事は昨年の党大会開催以来、習主席を「核心」とした共産党指導部の諸活動を総括したものであるが、記事の中で本人の名前が50回も登場するほど習主席は唯一無二の主役なのである。
その中で習主席は、貧困扶助、農村視察、経済会議、外交舞台、産業の現場指導など、あらゆる場面に姿を現した。そして、政治、経済、外交、文化などのあらゆる方面での党と政府の活動に対し、主席が「この上なく重要かつ賢明な指摘」を行い、「この上なく重要かつ適切な指示」を下したという。そこから浮かび上がってきたのは「全知全能の神」という言葉で表現する以外にない、習主席の英明にして偉大なる指導者像である。
習主席の神格化が最も顕著に表れたのは、人民日報のネット版である「人民網」が昨年12月29日から始めた「私は習主席と握手した」との報道シリーズである。故宮の消防隊員、農村の女性教師、アイスホッケー部の少年選手などなど、習主席が北京や地方を視察するときに幸運にも主席と握手できた普通の人々を登場させ、彼らに「握手」への感想をインタビューしたものである。もちろん取材者が期待する通り、この人々の口から吐かれたのは、「当時の光景を思い出すたびに深い感動を覚える」「主席の手は温かくて力強い、興奮して言葉も出ない」「握手は1秒間であったが、終生、その瞬間を心に銘記しておきたい」などの感極まる言葉である。
重要なのは、このシリーズ記事の中で描かれた普通の人々と習主席との関係が、もはや国民と一人の政治指導者との関係ではないことだ。頭をなでてもらって感激する信者と教祖との関係の構図が見事に、ここに再現されている。人民網シリーズの意図は明らかに、習主席を単なる一指導者にではなく、まさに人民にとっての「教祖さま」の立場に祭り上げて、一人一人の人民にそれを崇拝させようとしているのだ。シリーズに登場してきた「握手に感激」の人々はただ、このための道具として使われている。
このようにして、今の中国では、共産党政権は全力を挙げて13億の国民に対する習主席の神格化を進めている。この大国は一人の指導者を「教祖さま」として拝むような巨大カルト教団と化しかねない。実に恐ろしいことである。
ここまで狂っているとは、想像を絶するものがありますね。もし、こんな独裁政権を放置しておけば、世界は終わりでしょう。
それでも、金に目が眩んだ国や企業は中国に擦り寄るのでしょうか。世界は、それ程に腹黒いのか、それとも単なるバカなのか。
しかし、ここまで来ると、やはりトランプさんの決断に期待するしかないのかも。未だに、中国進出何て言っているジェトロを抱える日本には期待できそうもないのが情けない。
いい加減に目を覚まさんかい日本!
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