◎理由(1995年 アメリカ 102分)
原題/Just Cause
監督/アーネ・グリムシャー 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演/ショーン・コネリー エド・ハリス ローレンス・フィッシュバーン ケイト・キャプショー
◎理由っていう題名のついた理由
原題『Just Cause』の意味は『正に原因となる人物、あるいは事件』てな感じだろうか。
それについてはちょっと置いといて。映画の中身だ。
死刑廃止、人権擁護の正義感に燃える大学教授ってのは、どこかでおもいこみが激しく、どこかで人が好く、どこかで勘違いしてるものだっていうような皮肉が映画全体に込められてるのかもしれないけど、そんなものすべて蹴飛ばしてしまうような存在感がショーン・コネリーにはある。こりゃ、かなりいれこんでるな~とおもえば、なんだ、製作総指揮じゃんか。
てことは、この映画、ショーン・コネリーが陣頭に立ってたんだよね?
どうしてもやりたい話だったんだ~と、なんとなく納得した。
これまで演じてきた役柄をみずから覆したいとおもったのかもしれないけど、完璧に見える人間でも、やっぱり人間であるかぎり、だまされるし、家族に危険が及べば焦りまくるし、自分が騙されたと気づいたときに怒るし、落胆する。それが、人間臭さってやつなんだと、ショーン・コネリーはいいたかったんだろうか?
『アンタッチャブル』の人間臭さとはまた別な、人生を完璧に歩んでしまったがゆえのプライドが崩れるときの哀しさがあるわ~。
まあ、そんなことを製作総指揮がおもっていたからかもしれないけど、キャプショーが良妻賢母の元地方検事を、エドが狂った殺人鬼を、フィッシュバーンが暴力刑事を、そして、なんとまあ、スカーレット・ヨハンソンが教授の10歳の娘役をと、なかなか意外なキャスティングを見せてくれてる。とはいえ、ヨハンソンの少女時代に気がついた観客がいたら、その人、すげーよ。
けど、フロリダって、こんな感じの差別社会なんだろうか。噎せかえる雰囲気を出そう出そうとかんばってるのはわかった。
「死体がまだ新しかった」っていうところから、俄然、面白くなるんだけど、ショーン・コネリーがフロリダまで招かれた理由が、冤罪を証明してもらうというだけじゃなくて、その妻が過去に担当した事件になったっていうのが、この題名が『理由』となってる理由なんだけど、ま、これくらいにしとこ。