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ジョー・ブラックをよろしく

2007年01月18日 12時37分30秒 | 洋画1998年

 △ジョー・ブラックをよろしく(1998年 アメリカ 181分)

 原題/Meet Joe Black

 製作・監督/マーティン・ブレスト 音楽/ジョー・ハッシング マイケル・トロニック

 出演/ブラッド・ピット アンソニー・ホプキンス クレア・フォラーニ ジェフリー・タンバー

 

 △死体を借りる際の注意

 リメイクっていうわけではないんだけど、もともと『明日なき抱擁』は戯曲だったものを1934年に映画化したもので、それが64年経ってから、ブラピ主演で映画化された。とはいえ、内容にはかなり手が入れられる。

 実際、生に執着する謎を解きたいと人間界に現れる死神と、人間を迎えに来たついでに人間界を現物したいという死神とではかなり違う。この作品は後者だ。だから哲学的な命題もなければ、恋こそ人間に許されたなによりも素晴らしいものなんだという驚きもない。

 とはいえ、死神ブラピは童貞だったから、その驚きはあるんだけどね。ま、そんな違いはどうでもよくて、ちょっとだけ疑問がある。そもそも、物語の前提はこうなってる。

 死神は人間に憑依することはできず、心のなくなった死人の体を借りて人間界に現れることができると。で、死神ブラピは人間ブラピの体を借りたってことになってるんだけど、人間ブラピは車に撥ねられてるから、その遺体はかなり損傷してるはずだ。

 とかいうと、その辺の重箱の隅を突っつくような疑問は「死神なんだから、身体をきれいに直すくらい朝飯前なんだよ」と一蹴されるんだろうけど、問題は人間ブラピの扱いだ。

 人間ブラピは死んだはずだよね。おそらく、車に撥ねられることが、かれの運命だったはずだ。もし運命じゃなかったら、死神ブラピは自分が身体を借りるという事情のために、人間ブラピを殺してしまったことになるからだ。だからの人間ブラピは与えられていた寿命に従って、天国に行ってるはずだ。死神ブラピが去ると同時に、人間ブラピの体はただの死体に戻るはずだ。

 ところがそうじゃなくて、人間ブラピはぴんぴんして戻ってくる。

「じゃ、それまで人間ブラピの心はどこに行ってたんだよ?天国の入り口あたりにいたんだろうか?だったら、そうならそうで記憶は消されてしまったんだろうか?けど、人間ブラピは天国に行かないといけないんじゃないのか?死神がそのルールを破っちゃっていいのか?ルール違反できるんなら、自分が人間界にとどまってればいいじゃん」

 てなことが、つぎつぎに頭に浮かんでくる。

 こうした疑問は『天国から来たチャンピオン』とほぼ同じだ。あの映画も、身体を借りた人間の心がないがしろにされてた。

 なのに誰も疑問におもわず『天国から来たチャンピオン』の場合は『幽霊紐育を歩く』のリメイクだし、さらに『天国から来たチャンピオン2002』として再リメイクまでされた。

 よっぽど、アメリカ人はこの主題が好きらしい。

 まあ、ぼくも、こういう物語は嫌いじゃないからいいんだけど、ただ、どうしてもひっかかるところが出てくるのも事実で、こうした細かいところにもよく注意して、撮ってほしいんだよね。理屈だけはちゃんと通した形で。

 ちょっとだけ興味を持ったのは、こんなことだ。

「アメリカ人にも、三途の川の思想があるんだろか?」

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