◎隣人(1992年 アメリカ 92分)
原題/Consenting Adults
監督/アラン・J・パクラ 音楽/マイケル・スモール
出演/ケビン・クライン メアリー・エリザベス・マストラントニオ ケヴィン・スペイシー
◎いかにもありそうな前半の恐さ
ひとつだけ、
「隣りの奥さんの寝室に忍びこむのはいいけど、やっぱ、顔を確かめてからHするでしょ~?」
と突っ込んでしまいたくなるのは、ぼくだけだろうか?
ただ、これさえ大目に見れば、あとはほとんど文句のない出来栄えだ。
あ、
「自分の奥さんと隣りの旦那とがいつデキちゃったのかよくわからんよね?」
っていう説明不足なところはあるか。
それをケビン・クラインが自分だけの能力で暴き出していったら、もっとおもしろかったんじゃないかっておもうんだけどな。そしたら、ちょうど120分くらいになって、ちょうどいい感じの尺になったんじゃないかな~と。
にしても、洋画は性衝動を前面に出してくる。
性衝動は誰にでも共通したもので、誰でも興味を持ち、かつ、きわめてスキャンダラスな結果を引き出すことがあるからだ。
ことに、となりの奥さんに興味を持つという、あまり口にはしたくないけど、でも、どこの旦那でも心の中で考えていそうな衝動が語られ、夫婦交換しようっていう誘いに罠に嵌められたにせよ、その寝室に忍び込むという淫靡な願望をそのまま映像にするというのは誰もが映像化しつつも良心的にためらわれる話だ。それをしっかり作ってんだから、たいした作品だよね。
くわえて、殺されたはずの奥さんレベッカ・ミラーが生きてるばかりか、自分の奥さんメアリー・エリザベス・マストラントニオまで寝盗られてるっていう、二重のどんでんがえしまで用意されてる。なんとも念入りな脚本だよねとか澄ましてはいられない。
欲望というのは、自分が抱えてるだけじゃなく、となりの奥さんも、となりの旦那も、さらには自分の奥さんも、単なる自分の人生の登場人物なんじゃなくて、どうしようもない欲望を抱えた自分と同じ人間なんだってことを、この映画はあらためて認識させてくれる。
ほんと、隠れた佳作だったわ。