◎恋人までの距離(ディスタンス)(1995年 アメリカ 105分)
原題 Before Sunrise
staff 監督/リチャード・リンクレイター
脚本/リチャード・リンクレイター、キム・クリザン
撮影/リー・ダニエル 音楽/フレッド・フリス
cast イーサン・ホーク ジュリー・デルピー エミー・マンゴールド、ドミニク・キャステル
◎半年後、ウィーンのこのホームで
ブダペストからウィーンまでの列車は昔はコンパートメントだった。
というより、ヨーロッパはおおよその列車がみんなコンパートメントで、その6人がけの個室で顔を合わせれば、もうそこで友達になれた。ことに日本人同士が同乗してたりしたら、駅を一緒に出たときにはもう一緒に町もめぐることになってた。ヨーロッパの旅っていうのは、そういうもんだった。
ぼくがヨーロッパを放浪してたのは80年代だから、この映画の登場人物たちとはひと世代ちがう。でも、人間ってそんなに変わんないものなんだね。ウィーンの駅で待ち合せたら逢えるものなんだろかと、映画を観終わったとき誰もがおもうことだ。ところが、これが逢えちゃうんだよね、ちゃんと行けば。ただまあ、行くか行かないかは、その夜の甘美な思い出によるものではなく、実をいうと、どれだけ約束に対して真摯な考え方ができるかどうかって話だ。
実際、ぼくはこの映画のように半年後ではなく2か月後だったけど、
「4月1日の正午、パリの凱旋門の下で会おう」
といって、2月の頭に友達とロンドンで別れたことがある。
で、会えた。
ただ、実はその相手は数人の男どもだったから、あんまり嬉しくもない話なんだけどさ。
でも、異国の空気っていうのは、生まれ育った国の空気とまるでちがって、そこで芽生えた恋はなかなか忘れられるものじゃないし、もちろん相手によるんだろうけど、生涯ついて回るものなのかもしれない。それだけ、瑞々しい時代の異国の恋ってのは甘美で運命的なものだ。
ウィーンのプラターの大観覧車はいまでもよく覚えてて、早春の灰色の空の下をゆっくりと上がっていった。ほんとにでっかい観覧車だった。なんだか、散漫な文章になるけど、どういうわけか学生時代のヨーロッパの旅ってやつは、行く先々の町や村で、いろんな人間と知りあり、中でも知り合った現地の学生たちは演劇なんぞをやってて、ちょっと仲良くなるとやっぱりかならず舞台に誘われたりするし、街角の占い師には普通なら観てもらわないのにそうじゃなかったりする。河原に出れば寝そべるし、橋の欄干に頬杖ついて流れを眺めたりもする。もう、ほんと、こんなような旅だ。こんなようなっていう表現は、つまり、こんな映画のようにはいかないもののこれに近いようなって意味だ。
とにかく、涙がちょちょぎれるくらい懐かしさに彩られた映画だったわ。