◎ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011年 アメリカ 129分)
原題 Extremely Loud & Incredibly Close
監督 スティーブン・ダルドリー
◎少年の視界と大人の世界との差
幼い頃、まわりにはふしぎなことが溢れてて、それはほとんど魔法かSFの領域に近く、普段の生活とはまるで異なったきらきら輝く世界だったような気がする。つまりは少年の心がそうさせた想像の世界で、しかし、その想像の世界は現実の生活と密接にリンクしているものだから、どこまでが想像の領域だか現実の世界だかよくわからなくなったりもする。そのずいぶんと大仰なのが、この映画でアスペルガー症候群を患っているかもしれない電話恐怖症の少年トーマス・ホーンなのだろう。つまり、かれはどこのどの世界にもいる少年のちょっとばかりエキセントリックな少年だったとおもってもほぼまちがいない。
ぼくもそうだったけど、少年の見る世界はあまり広くなく、それは大人からすればきわめて小さく狭い現実世界でしかない。だから初めてのおつかいで、少年はずいぶんな冒険に出るのだけれども、実をいえば大人たちはちゃんとわかってて、少年がどのような冒険をするのかを見守っている。この映画もそれと似たようなもので、ただ、見守るのはその時点では死んじゃってる父親トム・ハンクスだったり、少年の目からすればまるで子供に興味がなく自分もまた父親ほどには求めていない母親サンドラ・ブロックだったり、もしかしたらおじいちゃんかもしれないんだけど過去のトラウマによっていっさい言葉をしゃべれなくなってるマックス・フォン・シドーだったり、おばあちゃんのゾーイ・コールドウェルだったりする。その中でもスウェーデンの笠智衆マックス・フォン・シドーの演技と存在感はすばらしい。
ただまあ、花瓶の中に入っていた鍵をめぐって、それが父親の遺したメッセージかもしれないと祖父とともに駆け回る少年とそれを陰から支えている母親という話はたしかに美しいんだけど、なにもかも美しく作られ過ぎてて、ニューヨークの人々はこんなに理解があって慈悲深いんだろうかって、ちょっとばかり首をひねりたくなったりする。
あ、そうそう、セントラル・パークのトンネルだけど、いろんな映画で使われてるような気がするのは錯覚なんだろうか。たとえば、おんなじような年頃の少年をあつかったニコール・キッドマンの『記憶の棘』とかもそうじゃなかったっけ?