Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

四月物語

2014年04月15日 03時13分34秒 | 邦画1991~2000年

 △四月物語(1998年 日本)

 ぼくは、いまでも後悔している。

 大学に入って決めた下宿の場所について、だ。

 なぜかっていえば、大学から遠かったからだ。

 なんせ、2回も乗り換えなくちゃいけなかった。

 まあ、いろいろ理由があってそこにしたんだけど、

 どうして、大学から乗り換え無しで済むところに棲まなかったんだろうって。

 カルチャーショックとかはまるで受けなかったにしては、

 ほんとに、とんまで、なんにも考えていなかった。

 だから、できることなら、もう一度、やりなおしたい。

 桜が満開か、あるいは桜吹雪の中、もう一回、上京して、

 通学するにも、暮らしぶりにも、なにもかも便利な場所に下宿を選び、

 もうすこし充実した大学生活を送り直したい。

 でも、そんなことはできるはずもないんだけどね。

 ま、叶えられない話はさておき、

 なんとも懐かしさがこみ上げる映画ではあった。

 でも同時に、なんとも自主製作映画っぽい作品でもあった。

 1970年代の大学生の青春は、みんな、こんなもんだった。

 大学生のつくる映画も、

 この作品から玄人臭さを抜き取れば、こんなもんだった。

 でも、

 当時の大学生の作品はそれなりに見事なもので、

 玄人はだしの作品はたくさんあった。

 当時と今と違うのは、

 ストーカーという言葉があったかなかったかというだけの話だ。

 けど、まあ、そうした自主製作映画の話はさておき、

 すなおでないぼくは、クソ意地の悪いことを考える。

 この松たか子がどうしようもないへちゃむくれだったら、

(うわ、どうしよ)

 っておもっただろ、田辺誠一。

 田舎で、自分に憧れてるへちゃむくれがいて、

 そいつが半年間も自分の住んでる武蔵野のことばかり考えて、

 国木田独歩なんか読んじゃって、

 現在の武蔵野がどんなところかもわからなくなった夢想の世界に嵌まり込んでて、

 小金井公園や野川公園や武蔵野公園や井の頭公園みたいなところを想像して、

 執念の塊になって武蔵野の大学を受験して、合格して、上京してきて、

 殺風景なビルばかりの武蔵野の中で、

 自分がアルバイトしてる本屋にまでいきなり現れて、

 しかも偶然に雨まで降っちゃって、

 さらに傘を貸してくれる優しいおじさんなんかが都合よく現れて、

 恐ろしいことに、お情けに貸した傘を、じっとりと濡れたまま返しに来たりしたら、

(うわ、どうしよ)

 とかおもうだろ、田辺誠一。

 たまさか、松たか子がまったくストーカーらしくなく可愛い子だったもんだから、

 おもわず鼻の下は長くなっちゃったりするけど、

 これが見るからに危ない感じの隠々滅々のストーカーだったら、

 どうするよ?

 おっそろしいぞ。

 自分に憧れて、死に物狂いで受験して、

 お人好しの集団みたいな家族に見送られて、

 ただひたすら自分とつきあいたいと熱望してる娘が、

 予想もつかない状況下で、突然、目の前に現れてみろ。

 そのへちゃむくれは、

 次の日もまた次の日もさらに次の日も本を買いに来るぞ。

 傘、返しに来るぞ。

 大学でも逃げられず、社会人になっても追いかけられるだろうし、

 ふったりしたら自殺しかねないし、たぶん押し倒されて結婚させられて、

 それから先も、妄想嫉妬のかたまりになって束縛され続けて、

 やがて年老いていくんだぞ。

 どうするよ?

 リリシズムとかいってる場合じゃないぞ。

(だって、松たか子だったら、いいじゃんか)

 たしかに、そうだ。

 それで、この作品世界は成り立ってるんだよね。

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デス・パズル

2014年04月14日 13時57分37秒 | 洋画2005年

 ◇デス・パズル(Class of '76 2005年 イギリス 140分)

 擦られ過ぎた観のある解離性同一性障害。

 でも、そこにいたる前半部分は、

 なんとも味のあるゆらゆらとしたゆるやかな恐怖がたゆたってて、

 嫌いじゃない。

 29年前の小学校のとあるクラスに、32人の同級生がいた。

 ところが、そのクラスには33人目の同級生がいる。

 犯人はそいつだ。

 てなことになれば、もうそれだけでオチは見えちゃうんだけど、

 でも、この映画ではそれが大事なわけじゃなく、

 その事実の前後にあるもの悲しい絆とあらたな悲しみが主題だ。

 ハリウッドのケレン味たっぷりなものを期待したら、

 そりゃもう期待外れに終わっちゃうんだけど、

 イギリスのテレビ映画だってことを加味して観れば、

 なかなか上質な出来なんじゃないかって感じはした。

 物静かで決して前に出ることもなければ、

 対人関係もうまく行かないけれど、

 ひとつひとつの物事にちゃんと向き合い、

 それどころかのめり込んでしまい、

 他者の悲しみを自分の悲しみのように受け入れてしまう男、

 なんていう設定は、ロバート・カーライルにはもってこいなんだけど、

 どうしたところで地味になる。

 この地味さをこらえるか、あるいは味わえれば、

 作品を包み込んでる淡々とした心の戦慄が感じられるんじゃないかな。

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アナザープラネット

2014年04月13日 18時13分19秒 | 洋画2011年

 ◎アナザープラネット(ANOTHER EARTH 2011年 アメリカ)

 ママンゴ星をおもいだした。

 もうひとつの地球が存在する。

 というより、パラレルワールドが実際に出現して、

 それをまのあたりにすることができるという不可思議な世界の話だ。

 ただ、パラレルワールドの定義として、

 ぼくは個人的には、並列するふたつの世界においては、

 個人の寿命あるいは個人が未来に残すものはほぼ同じものでなくちゃいけない、

 というようにおもってるんだけど、

 この映画では、ヒロインのブリット・マーリングが事故をおこすのはいいとしても、

 そのときに奥さんと子供が死んでしまった場合、

 パラレルワールドにおいても奥さんと子供は似たような運命をたどり、

 たとえ生きていたにしても、

 未来に対して子孫を残せないという展開にならないと、

 パラレルワールドの持っている運命性が狂い、

 もはやこの先、地球ともうひとつの地球とは違う道を歩んでしまうことになる。

 そうじゃないのかな?

 設定について完全な同意が出来ない分、

 どれだけ贖罪という主題がよくわかっても、

 共鳴しづらい部分が出てきちゃうんだよな~。

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忍者狩り

2014年04月12日 01時22分52秒 | 邦画1961~1970年

 ◇忍者狩り(1964年 日本)

 闇の蔵人なんて、妙にかっこいいネーミングだわ。

 天津敏、悪そうだわ~。

 ま、それはいいとして、

 1960年代、どういうわけか忍者物が大流行りだったらしい。

 時代劇も剣士から集団戦へと移って、

 ともかく次々にリアルさをおびた集団の激突する活劇がつぎつぎに作られた。

 これもそのひとつで、

 伊予松山二十万石の取潰しを計った将軍家光が、

 嫡子種丸の家督相続を認める将軍家のお墨付を奪い返そうと、

 闇の蔵人ら甲賀忍者を派遣するんだけど、

 松山藩も前に闇の蔵人に破れて主家を失った浪人4人を雇い、

 忍者狩りに着手させるっていう筋立てだ。

 まあ、いろいろあった末に、

 霊廟に閉じ込められた蔵人と浪人の決戦に至るんだけど、

 それなりに愉しめた。

 監督もカメラも照明もみんなデビューで、

 そういう分、ちからが漲ってるような印象もある。

 当時は、助監督や助手を務めたあとようやくデビューできるわけだから、

 安定した絵作りと編集ではあるんだけど、

 ちからの入りようは、おそらく尋常じゃなかったろう。

 撮影所が撮影所たりえた時代だったんだよね。

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理由なき反抗

2014年04月11日 02時45分44秒 | 洋画1951~1960年

 ◇理由なき反抗(Rebel Without a Cause 1955年 アメリカ)

 小学校の高学年だったか、おそらく、初めて観た。

 もちろん、テレビ放送だ。

 でも、そんなに好きにはなれなかった。

 だって、ジェームズ・ディーンが不良に見えたんだもん。

 ものすごくナイーブな青年だってことはわかったけど、

 当時のぼくは悪いことをしそうなやつは好きじゃなかった。

 髪の毛をオールバックにしてたり、

 Tシャツの上にジャンパーを羽織ってるだけだったり、

 Gパンとか履いちゃったり、

 煙草まで喫っちゃったりしてるような若い奴が不良でないわけないじゃん。

 ま、いまだにTシャツの上に直接ジャンパーを羽織るのは、

 襟元に汗がつきそうであんまり好きな恰好じゃないんだけどさ。

 だから、中学や高校でジェームズ・ディーンが好きとかいってる女の子も、

 ぼくはあんまり口を聞こうとはしなかった。

 要するにツッパッテル連中は好きじゃなかったっていうことだ。

 車にも興味はなかったし、だから、チキンレースなんて一生しないとおもってたし、

 まあ、実際にそんな危なっかしいことはやらずに生きてきちゃったけどね。

 ただ、親が子供の気持ちを理解せずにいることや、

 子供がほんとは純粋な心を持ってるのに不良扱いされてしまうことの悲しみは、

 そんなぼくにもよくわかったし、

 廃墟や天文台に女の子とふたりで忍び込んでみたいっていう憧れは持った。

 だからか、おとなになってからも廃墟は大好きだし、

 ついこの間もプラネタリウムを観に行ったりした。

 けど、どういうわけか、

 同窓会とかで昔馴染みに会ったりすると、たいがい、こんなふうにいわれる。

「昔、不良だっておもってたんだよ~」

 とか、

「おまえが不良じゃなかったら、いったいどいつが不良だってえんだよ」

 とか、だ。

 まあ、いまだにぼくは普段からGパンに赤いジャンパーとかでいるし、

 もうちょっとばかしアヴァンギャルドな恰好もしたりしてるんだけど、

 そんなことはともかく、

 ぼくは昔から家族や親戚や周りから想い違いされることが多く、

 そういうときに、この作品のジェームズ・ディーンみたいに、

 周りの連中が純粋な心を理解してくれない悲しみをおぼえるんだ。

 てなことは、

 この映画が、ロードショーなり名画座なりでともかく掛けられていたとき、

 実際に観に行ったことのある人は、みんな、おもったりするんだよ。

 たぶんね。

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真珠の耳飾りの少女

2014年04月10日 01時18分32秒 | 洋画2003年

 ◎真珠の耳飾りの少女(Girl with a Pearl Earring 2003年 イギリス・ルクセンブルク)

 ヨハネス・フェルメールの人気は世界的なもののようで、

 ご多分にもれず、ぼくも好きだったりする。

 だから、スカーレット・ヨハンソンが演るというのを聞いたとき、

 ちょっとな~と、おもった。

 だって、肉づきがちょいと好すぎるし、

 なんといっても半開きになった唇がセクシーすぎるだろっておもったからだ。

 で、予想どおりだったんだけど、それについてはおいとこう。

 絵づくりに、度肝を抜かれた。

 だって、フェルメールの絵そのものなんだもん。

 窓から差し込む日の光について下女のヨハンソンも気にしてるとおり、

 照明の細部までもが、絵のとおりだ。

 このあたり、凄い。

 衣装も美術もそうで、1660年代のオランダが見事に定着してる。

 自然光のもたらす和やかさと、役者たちの迫真性とがあいまって、

 画面すべてにいいようのない緊張感が生まれてる。

 ま、そんなふうにべたぼめしちゃうのも無理のない映像だし、

 つむがれてる物語の理性的な美しさもまた褒められるべきかもしれないね。

 少女に自分を理解できる才能と心根を感じ取ったフェルメールの、

 触れたくても触れられない葛藤と、

 やがて、少女の耳たぶに耳飾りの穴を開けるときの緊迫感は、

 いや、ほんと、かなり官能的な世界だとおもうんだよね。

 誰の指先も触れることのなかった少女の肌に、

 妻子ある男が針を突き刺して血を滲ませるんだから。

 ま、そのへんのところをじっくりと堪能することで、

 芸術と官能がいかに表裏一体なものなのか、

 ため息が出るほどに感じ取れちゃうんだよな~。

 あ、だからヨハンソンだったんだろうか…。

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のぼうの城

2014年04月09日 01時55分32秒 | 邦画2012年

 ◇のぼうの城(2012年 日本)

 オリジナルの尺は240分だそうな。

 観てみたい気もするけど、どんな場面がカットされてるんだろね。

 まあ、東国無双の美人として知られる甲斐姫のくだりについては、

 のちに大坂城に入って秀吉の側室になるわけで、

 さらにいうと、

 のぼう殿こと成田長親は忍城攻めの際はすでに45歳になっているわけで、

 もっといえば、

 当主だった氏長は当時42歳で、

 そういうことからいうと、

 長親と甲斐姫はとてもじゃないけど、恋愛関係にはなれない。

 だって、甲斐姫は当時、芳紀まさに18歳なんだもん。

 ま、そんな歴史的な事実はどうでもよくて、

 物語は、その描かれた物語を愉しめばそれでいい。

 ただ、なんていうのか、長親の身を挺した狂言がクライマックスで、

 それに励まされた家臣どもが、

 最後の賭けに出るっていうのが佳境なんだけど、

 もうすこし派手なアクションを起こしてほしかった気もちょっとする。

 まあ、ないものねだりなんだろうけど。

 それと、

 CGは、この頃の邦画はほんとに頑張ってて、

 これについては、それなりに愉しめた。

 そんな感じかな~。

 ちなみに、

 甲斐姫はいろんなところで小説のネタになってて、

 その分、この作品ではヒロインになってるんだけど、

 これから先もいろんな人が書いていくんだろね。

 ま、いろんな甲斐姫がいていいとおもうな。

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ロスト・ボディ

2014年04月08日 13時38分58秒 | 洋画2012年

 ◇ロスト・ボディ(EL CUERPO 2012 スペイン)

 一般に復讐劇というと、

 どうしても女が身体を張ってうんぬんってことになりがちで、

 これもオチからすればその部類に入る。

 ただし、父子による復讐で、

「今夜起こったことで関係ないことは何ひとつとしてない」

 みたいなおもわせぶりな惹句が出てたりすると、

 ちょっとばかり毛色の変わったサスペンスって印象にもなる。

 そういうことからいえば、話の展開は実はうまい。

 死体安置所に置かれていた高慢で見栄っぱりで意地悪な妻の死体が消え、

 そこにやってきた若い夫が8時間後に利く毒薬を呑ませていたことがわかる。

 夫は小娘と不倫中で、邪魔な妻を殺したんだけど、

 その妻が蘇生しちゃって、

 自分を殺そうとしてるんじゃないか?と夫はおもうわけだよね。

 でも、警察に話したくても、

 自分の殺人未遂が知れたらまずいってことで話もできず、

 どうすりゃいいんだとおもってる内に、妻は実際は死んでて、

 それじゃ誰が犯人なのよ~とかおもってる内に、

 冒頭、死体安置所から飛び出してきた警備員が車に撥ねられて死ぬ場面が、

 にわかになにかの暗示だったんじゃないかっていう想像が働き始める。

 いや~、

 ホラーまがいの出だしから、

 ショッキングサスペンスとかおもわせ、

 最後にはミステリーになってるっていう、

 風変わりかつスリリングな映画だったわ。

 

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愛の渦

2014年04月07日 02時07分47秒 | 邦画2014年

 ▽愛の渦(2014年 日本)

 リアリズムってのはなんだろうと観ていておもった。

 キューブリックの『アイズワイドシャット』は、

 おなじように乱交パーティを扱ってるんだけど、

 そこには、

 リアリズムを超えたキューブリックの世界観が見事に描かれてた。

 映画ってのは、たぶん、監督の世界観を如何にして映像化するかっていう代物で、

 物語世界においてリアリティがあれば、それだけで観客は納得する。

 もちろん、そこには演出する監督のちからが大きく介在するんだけど、

 キューブリックが乱交パーティを経験していたかどうかはわからないものの、

 映画で描かれていた仮面乱交パーティは、それなりの説得力があった。

 そうでなければ、

 実際の乱交パーティを淡々と撮影していればいいわけで、

 発情しているのかどうかわからないようなテンションの低い性欲ほど、

 乱交パーティに不向きなものはない。

 いいかえれば、理屈を吐いていられる乱交パーティは興醒めの対象でしかない。

 キューブリックはそういうところをどうおもっていたのかわからないけど、

 余計な台詞のやりとりがない分、

 人間が根源的にもっている「やりたい心」と「好奇心」とがないまぜになってて、

 トム・クルーズの行動原理が手に取るようによくわかった。

 つまり『アイズワイドシャット』において、

 そこに描かれている乱交パーティが、

 実際と懸け離れているかどうか、

 あるいはこういう世界が真実あるのだといいきれるかどうか、

 なんてことは、もはや、関係ないところにまで到達してるんだよね。

 おそらく、リアリズムっていうのは、そういうものなんだろう。

 で、この映画なんだけど、

 書くの疲れたから、まあ、こんなところで。

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ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅

2014年04月06日 23時24分20秒 | 洋画2013年

 ☆ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(Nebraska 2013年 アメリカ)

 デジタルで撮ってるわけだから、

 白黒といっても昔のような白黒専用のフィルムというわけでもないし、

 もっといえば、白黒の撮影と照明のあて方も違っているんだろうから、

 なんでわざわざ色を抜いたのかっていう素朴な疑問もあるんだけど、

 まあ、監督のアレクサンダー・ペインが、

「象徴的、典型的な外観を生みだすためにそうしたんだ」

 といってるんなら、それでいいわね。

 淡々としたロードムービーで、

 これといった目新しさや斬新さがあるわけではなくて、

 ものすごく優しい息子がその姿勢を崩すことなく父親に尽くしてあげる姿は、

 いやまじ、とても真似のできない理想的なもののようにおもえたし、

 それだけでも微笑ましい映画だった。

 まあ、人間ってやつは、お金のありそうなところに群がるもので、

 そのどうしようもない汚さや虚しさが漂ってて、

 そういう心貧しい連中に対して、

 ほんのちょっとした見栄を張るラストは、溜飲は下がった。

 物語は多少のカリカチュアはあるにせよ、

 それなりのリアリズムで統一されてて、それがまたしみじみしてて好い。

 ぼくは、好きだな。

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オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ

2014年04月05日 13時12分01秒 | 洋画2013年

 ◎オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(Only Lovers Left Alive 2013年 アメリカ)

 ティルダ・スウィントンがいかにも吸血鬼らしくてええわ~。

 肉感的なところを徹底して削ぎ落したような彼女は、

 ほんと、白い魔女だの吸血鬼だのが似合う。

 そんなことはさておき、

 冒頭、レコードの回転に合わせて画面(世界)が回っていくという絵柄は、

 吸血鬼もまたレコードのように過去の遺物になってしまったって意味なんだろか?

 もはや希少価値以外に何の価値もなくなり、

 滅んでゆくのをただ待っているような心寂しい生き物としてだけ存在してる。

 なんとも儚い話ながら、

 もともと、吸血鬼は吸血鬼たりえる人間を世界中を回って探し求め、

 そして仲間にすることで自分たちを特権階級のひとつとしてきた。

 いわば特別な貴族といっていいようなものだったはずなのに、

 いまや、吸血鬼は哀れな絶滅危惧種でしかなく、

 自分たちが生息している場そのものが、

 かつては世界でも有数の都だったり、工業の一大中心地だったりしつつも、

 今では落ちぶれた連中だけがひっそりと生きてるだけの町になってしまった場所で、

 そんなところで身を隠して、宝物のような品を少しずつ売っては、

 ワインを愉しむように買い求めた血液を呑んで生きてゆくしかない、

 っていう状況に追い込まれている。

 結局、種を保存し、かつ自分たちを生き永らえさせるためには、

 血液銀行から血液を買うだけでは足りず、

 どうでもいいようなランクの人間までも吸血鬼とし、

 さらには処女の生き血しか呑めないはずが、

 そこらの場末の人間の血を糧にしなければならないという、

 哀れなほどの落ちぶれたありさまに成り果てている。

 あ~、なんか身につまされるわ~。

 とはいえ、

 絵作りはいかにもジャームッシュだし、

 重苦しいながらも洒落た音楽もまた、いかにもジャームッシュらしくて好い。

 社会から取り残されつつも、世間とは一線を画すことで矜持を保っていた者が、

 おろかしい一部の者によってその最後の一線を断ちきられてしまい、

 かろうじて保っていた世界すなわちプライドある生活の崩壊とともに、

 プライドを捨ててまでしても生きていきていきたいという、

 この世に生きる者すべてが備えている根源的な本能を肯定せざるを得ないという、

 なんとも哀れな話なのだよね。

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怪物くん

2014年04月04日 12時22分18秒 | 邦画2011年

 ▽怪物くん(2011年 日本)

 小学生のとき、少年画報で『怪物くん』は連載されてた。

 付録に怪物くんだけを載せた冊子があったような気もするけど、

 おもいちがいかもしれない。

 当時のぼくは、藤子不二雄がコンビを組んだ漫画家だってことは知ってたけど、

 のちに藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aに分かれることになるなんて夢にもおもわずにいた。

 それどころか、作品によって筆致が変わるのはわかってただけど、

 それがどちらの筆によるものかなんて、まるで知らなかった。

 コンビが解消されたとき、ぼくはとっくに社会人になってたから、

 あれ~いつのまに、って感じだった。

 だからあらためて『怪物くん』の漫画をおもいだして、

「そうか、あの絵は藤子不二雄Aだよな~」

 っておもったくらいだ。

 藤子不二雄Aの作品の中で、ぼくが愉しだのは『まんが道』と『少年時代』だけど、

 実をいえば、

 月刊誌『少年』だったかの付録に『まんがの描き方』だったかいうのがあって、

 これが実は大好きだった。

 今でも実家のどこかにあるはずなんだけど、物語の作り方が完結にまとめられてた。

 当時アニメ版の『怪物くん』はとっても印象が深くて、

 もちろん、主題歌も忘れてない。

 そんな『怪物くん』が映画になってる。

 ふ~んっていう感慨が湧いた。

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ロボコップ2014

2014年04月03日 23時40分08秒 | 洋画2014年

 ◎ロボコップ(RoboCop 2014年 アメリカ)

 どうしても前作の印象が濃いものだから、

 いまさらなんでロボコップなんだろっていう色眼鏡で観出したら、

 これが意外な拾い物だった。

 サイボーグと化したためにヒロインあるいは家族との接点が見いだせなくなり、

 その葛藤に苦しむという構図は踏襲してるんだけど、

 ロボットがすでに市民権を得て、

 アジアをはじめとする各方面の治安維持のための戦士とはされているものの、

 アメリカにおいては法規制されて警察官としては採用できないっていう世界観がいい。

 こうなってくると、ロボット製造企業が正義をふりかざしている死の商人となり、

 この矛盾した存在が敵になっていくというのは新たな展開だ。

 そういう意味においては、前作よりもより暗黒面が強調されてくるわけで、

 ひと筋縄ではいかない筋立てになってる。

 とはいえ、やっぱりハリウッドなんで、家族愛に持ち込むという王道は踏まえてる。

 けどまあ、前作へのオマージュも忘れてなくて、

 耳に残っている主題曲もところどころに挟み込まれてる分、溜飲も下がる。

 脇役がしっかり配置されてる分、好い感じだし、

 ことにゲイリー・オールドマンがいいね。

 ま、ぼくとしては『エンジェル・ウォーズ』のアビー・コーニッシュが、

 いつのまにか成長して母親役を演じるまでになってることが、

 あらまって感じではあったけど。

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永遠の0

2014年04月02日 20時06分44秒 | 邦画2013年

 ◇永遠の0(2013年 日本)

 戦争映画だったっていう印象がないんだよな~。

 まわりの観客はぐすぐす洟を鳴らしてたりしたけど、

 まあ、特撮はこれまでの邦画とは一線を画すんじゃないかっていうくらいの出来栄えで、

 それはそれで満足できるものだったような気もしないではない。

 でもさ、ひとつだけおもうのは、

 航行してる空母の甲板にいるんだったら、もうすこし風がきつくないか?てことだ。

 空母が驀航してる感じがしないのはちょっとね。

 で、岡田くんへの最大の疑問は、

 みずから志願して海兵団に入ったんだよね?

 だったら、やっぱり戦う覚悟で入ってるんじゃないのかな?

 家族に会うためには生きて帰らなくちゃいけないってのはわかるんだけど、

 そんなことは出征した人達はみんなおもってることで、

 でも、みずから志願して軍人になった以上は勝たなければ意味がないわけで、

 勝つためには命を賭けて戦わないといけないってのは当たり前なはずなのに、

 岡田くんの場合は、そういう気持ちがないのは、どうしてなんだろ?

 平さんの手が失われたエピソードについてはまるで触れられてないし、

 なんだか、全体的にセンチメンタルな面ばかりが押しつけられてて、

 あの戦争はなんだったのかという部分はないがしろにされてるばかりか、

 主人公の行動すべてが、泣かせるための予定調和になってるのは、さすがにきつい。

 戦争映画とはおもえないってのはそういうことで、

 これ、討入だってかまわないし、マフィアの抗争だってかまわなくない?

 ま、そんな気がしてしまうのは、

 出征した個人だけに焦点を当ててるからだってことはわかってるんだけどね。

 岡田くんが最後にみずから特攻を志願して乗り込む際の気持ちも今ひとつ謎だし、

 機体に支障があるのを気づいて、

 自分の家族を助けてもらえるかもしれないかつての生徒の機といれかわり、

 まあ、以前に助けられたっていうことへの恩返しもあるんだけど、

 かれの人生にふたたび光を灯してあげるかわりに助けてやってほしいと願い、

 それで、なにもかも悟ったようにして突っ込んでいくってのはどうなんだろ?

 家族のために絶対に帰るっていう信条は、

 生徒たちの死と共に潰れちゃったってことになるんだろうけど、

 そういうのを乗り越えて帰っていくからこそ感動が生まれるんじゃないのかしらね。

 この映画は、感動で泣くんじゃなくて、憐憫で泣かせてるんだってことは、

 まあ、最初から予感できたことではあるけども、なんだかちょっとね。

 特攻は外道だって、ぼくはかたくおもってるし、

 こんな戦術とはいえない戦術をしなければならなかった背景への憤りはあるけど、

 そういう主題はどこかにあったんだろうか?

 岡田くんは零戦が好きで好きで仕方がないって感じでもないし、

 いったい、この主人公はなにを考えて軍人になり、戦い、死んでいったんだろう?

 夏八木勲も、なんで孫がものごころがついたときに語っておかなかったんだろう?

 なんだか犯罪者がいつまでも口を閉ざして逃げていたような印象すらない?

 岡田くんのように、ほんとうは優しい心を持ちながらも誤解されていて、

 でも、かれを慕っている人が沢山いた軍人さんの場合は、

 かならずといっていいほど、戦争が終わってから後輩や同僚が訪ねてきてるはずで、

 戦後何十年も経ってるのに娘や孫が知らずにいたっていう設定はきつくないかしら?

 そんなこんな考えてると、

 結局、最後に微笑みながら突っ込んでいくカットのために、

 また、娘のかわいそうさに観客を泣かせるために、

 物語が作られていったような気がして、どうもな~っておもっちゃうんだよなあ。

 ちなみに。

 ぼくは何年か前の5月27日に『三笠』の記念式典で、

 昭和20年に特攻機の整備員だった人と話をさせてもらったことがある。

 そのとき、その整備員だったおじいさんは、

「おれが、たった1本の鋲をはずしちまえばよかったんだよな」

 といって、涙ぐんでた。

 1本の鋲で発動機が不調になるのかどうかはわからないけど、

 自分たちが一所懸命に整備してしまったために、

 特攻機はちゃんと戦場まで飛んでしまった。

 整備不良にしてしまえば、途中で引き返すしかないわけで、

 それは操縦士のミスにはならず、自分たちのミスになり、

 あたら惜しい命を失わずに済んだっていうことなんだろう。

 おじいさんは、それを悲しんでた。

 で、この映画に戻るんだけど、

 ぼくは、こうおもってた。

 岡田くんを慕っている整備員がいて、わざと岡田くんの機体を整備不良にして、

 途中で引き返させようとしてたんじゃないのかと。

 ところが、岡田くんはさすがに優秀な搭乗員だったから、

 プロペラが回った瞬間に発動機の不調に気づいてしまい、

 それが余計に徒になって、

 整備員のせっかくのミスが確実な特攻に繋がってしまったっていう皮肉もまた、

 物語の悲しみを増幅させるために必要な手順なんじゃないかと。

 でも、そんなことはなかったのね。

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LIFE!

2014年04月01日 23時56分16秒 | 洋画2014年

 ◎LIFE!(The Secret Life of Walter Mitty 2013年 アメリカ)

 1947年の『虹を掴む男』のリメイクなんだね。

 ま、そんなことはさておき、

 ぼくも、空想癖の持ち主だ。

 やっぱり似たような空想をする。

 たいがい、相手は好きな女性で、彼女がとんでもなく危険な目に遭ってて、

 それを超人的な行動で助けたりして、どえらく感謝されたりして、

 もちろん、その後には濃厚な情事が始まったりする。

 人間の空想の半分以上はセックスについてらしいけど、

 まあ、人間なんてそんなもんだ。

 でも、

 この映画のようにグリーンランドやアイスランドやウズベキスタンあたりまで、

 とんでもない冒険をしてまでカメラマンを探しに行かなくたって、

「幸せの青い鳥はとっても身近な現実の中にいるんだよ」

 てなことをいってるのかもしれないし、

「へんちくりんな空想をしてるより、こつこつとまじめに生きることも大切なんだぜ」

 てことをいわれてしまったような気がしないでもない。

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