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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日

2014年10月16日 02時35分36秒 | 邦画2013年

 ◇劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日(2013年 日本 102分)

 staff 監督・脚本/中尾浩之 撮影/小川ミキ

    美術/吉田透 装飾/中山大吉 スタイリスト/Baby Mix

    結髪/新宮利彦 特殊効果監修/菅原悦史 音楽/戸田信子

 cast 要潤 夏帆 杏 宇津井健 上島竜兵 時任三郎 小島聖 嶋田久作 竹山隆範 吉家章人

 

 ◇ただのタイムトラベル物になってしまった

 ぼくは実は『タイムスクープハンター』を贔屓にしてる。

 毎回楽しみにしてるってほどではないけど、

 でも、ときおり、テレビ欄で目に留まると、チャンネルをひねる。

 なにがいいかっていえば、結髪と装束と汚しで、

 どこまで現実味のあるものなのかはわからないんだけど、

 すくなくともほかの時代劇とかよりはリアリティを感じられる。

 ノンフィクションを装ったフィクションなんだけど、

 このシリーズの場合、世にいうモキュメンタリーとは一線を画している。

 なぜって、要潤がいるからさ。

 タイムワープをしてしまった瞬間に、それはもう物語であることを語ってる。

 でも、こんなことがあったのかもしれないな~とおもうのは、

 歴史上の事件や事実とされることを巧みに取り入れ、

 製作者側のほんとうはこうだったんじゃないかっていう考えを披露してくれるからだ。

 ところが、残念なことに、この劇場版は最初から物語になってる。

 要潤とそのまわりの人達の話がなんだか絡んでて、

 歴史上の好きなところに飛ぶことのできる技術がちょっと不安定だ。

 安土城はなぜ燃えたのかっていうことを知ろうとおもえば、

 そのいちばん原因となった場に最初から飛べるはずで、

 まあ、そうならないように夏帆の憧れみたいなもので物語を展開させるんだけど、

 そもそもテレビシリーズは庶民の暮らしのおもしろさがあるから観ているわけで、

 いたずらに物語が込み入ったり、背景が大きくなったりしたところで、

 それはこのシリーズが本来追いかけていたものとは異なるものなんじゃないかって、

 ちょっとおもったりするんだよね。

 本能寺の変から安土城炎上にいたる過程で、

 博多の豪商、島井宗叱が所有することになる楢柴の行方をからませて、

 話を上手にうねらせてはいるものの、

 でもやっぱり安土城の炎上に関しては、

 明智方の手が延びてこないのはちょっと腑に落ちない。

 途中からリアリズムが要のノンフィクション劇のはずが、

 なんだか少年ドラマシリーズのタイムトラベル物になっていっちゃったみたいな感じで、

 枠はたしかに東京空襲もあったりして大きくはなってるんだけど、

 その分、なんだか別な物語になってしまってるみたいで、

 ぼくとしては、ちょっぴり残念かもしれない。

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あの夏の子供たち

2014年10月15日 03時25分14秒 | 洋画2009年

 ◇あの夏の子供たち(2009年 フランス 110分)

 原題 Le pere de mes enfants

 staff 監督・脚本/ミア・ハンセン=ラヴ 製作/ダヴィド・ティオン、フィリップ・マルタン

    撮影/パスカル・オーフレ 美術/マチュー・ムニュ 編集/マリオン・モニエ

    挿入歌/ドリス・デイ『ケ・セラ・セラ』作詞作曲ジェイ・リビングストン&レイ・エバンズ

 cast キアラ・カゼッリ ルイ=ドー・デ・ランクサン アリス・ド・ランクザン アリス・ゴーティエ

 

 ◇生きた日々と死んでからの日々

 生きているときは鬱陶しいな~とかおもってた人間が、

 ある日、いきなり死んじゃうと、

 なんだか、その人間のいるべき空間がぽっかりと空いちゃったような気がする。

 さみしくて、どうしようもなくなる。

 鬱陶しいほどの明るさがあったからなおさら空虚さが増す。

 でも、それもつかの間のことで、

 いつの間にかその空間にはいろいろなものが詰め込まれ、埋められていく。

 この映画もそうした人生の中で誰しもが体験することを描いている。

 それも淡々と。

 日本の映画のプロデューサーは、自分の会社が赤字で破裂し、

 借金を返すあてがまるでなくなっても、自殺したとかいう話は聞いたことがない。

 でも、この作品の監督ミア・ハンセン=ラヴの処女作のプロデューサーは、

 どうやらそうじゃなくて、この作品で描かれたように自殺してしまったらしい。

 それを第2作目のモチーフにしたみたいなんだけど、

 いやまったく、邦画界とはちょっとちがう。

 ただまあ、主人公なのかとおもってた映画プロデューサーがいきなり道端で拳銃自殺し、

 あとに残された妻が死にもの狂いでがんばって会社を立て直していく話かとおもえば、

 まるでそうじゃなくて、

 会社はそのまま倒産して残務処理に追われ、

 くわえて、

 夫が実は不倫をしていて息子まで作っていたとかって事実まで知ることになり、

 父親を亡くした子供たちもさまざまな気持ちを抱えながらも、

 長女は長女で、

 父親が最後にプロデュースしようとしていた映画「サトゥルヌス」の監督と恋仲を予感したりと、

 ぼくみたいなアホたれが予測するような展開をまるで裏切る展開が待ってて、

 しかも最後には妻の実家のあるイタリアへ旅立っていくという、

 なんとも現実味に徹した家族の旅立ちが描かれてるんだけど、

 そのときに聞こえてくるのが、

 ヒッチ・コックの『知りすぎていた男』でドリス・ディの『ケ・セラ・セラ』だ。

 ハリウッドの作品や邦画とかだったら、こうはいかない。

 まじかってくらいに家族ががんばっちゃって、父親の夢を継ごうとするんだけど、

 いや、現実ってのはそんなに甘いもんはおまへんねやってばかりに、

 ミア・ハンセン=ラヴは淡々と現実的な世界を映し出していく。

 まいった。

 たぶん、現実というのは、こういうものなんだろう。

 たいした映画だ。

 ただ、ちょっと父親が自殺するまでの描写が長くて、ぼくにはきつい。

 それだけ、父親の生きていた日々を色濃く出そうとしてるのはわかるし、

 ふたつの日々の対比という点もわかるんだけど、ちょっと長かった。

 でも、たいした映画だったことにはまちがいない。

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プルートで朝食を

2014年10月14日 02時59分02秒 | 洋画2005年

 ☆プルートで朝食を(2005年 イギリス 127分)

 原題 Breakfast On Pluto

 staff 原作/パトリック・マッケーブ『Breakfast On Pluto』

    監督/ニール・ジョーダン 脚本/ニール・ジョーダン、パトリック・マッケーブ

    製作/アラン・モロニー、ニール・ジョーダン、スティーヴン・ウーリー

    撮影/デクラン・クイン 美術/トム・コンロイ

    衣装デザイナー/エミア・ニ・ヴォールドニー ヘアドレッサー/ロレイン・グリン

    メイクアップ/リン・ジョンストン オリジナル・ピアノ曲/アンナ・ジョーダン

 cast キリアン・マーフィー リーアム・ニーソン スティーヴン・レイ エヴァ・バーシッスル

 

 ☆1960年代後半、アイルランド南部タイリーリン

 プルートは、ローマ神話に出てくる冥府の王のことだけど、

 ここでいうプルートは冥王星のことでもあるんだよね、たぶん。

 ま、冥府にしろ、冥王星にしろ、

 そこで朝食をとるってのは、つまり、凍りついてしまったところで暮らすってことで、

 凍りついてしまったところっていうのは、寒々しい心の暮らしの中でってことだ。

 凍りついた寒い心というのは、キリアン・マーフィー演じるキトゥンの出自による。

 そもそも神父のリーアム・ニーソンが家政婦を孕ませて産ませただけでなく、

 さらに教会の前に捨てられていたのをニーソン直々に里親に出されたんだから、

 性格がぎこちなくなるのはなんとなく納得もいこうってものだ。

 要するに母親から捨てられ、さらに父親からも捨てられたんだから。

 結局、性同一性障害が高じて女装趣味に走っていき、

 どういうわけか北アイルランド闘争にまで巻き込まれていったりしながら、

 母親探しの旅を続けていくわけなんだけど、

 かれらを見下ろす小鳥の会話で始まりそして終わるという、

 ある種の寓話に近い感じになってる。

 その寓話の舞台が、冥王星あるいは冥府という寒々しい心にあるんだね。

 ところで、冥王星っていうのは、もともとぼくたちは惑星として習った。

 水金地火木土天海冥ってのは、日本人ならたいがい知ってる。

 ところが、2006年夏、

 冥王星は太陽系第9惑星の地位から準惑星に格下げされちゃった。

 さらに、

 冥王星の最大の衛星カロンがあまりにもでかすぎて、

 二重惑星ともいわれるようになっちゃった。

 もう踏んだり蹴ったりの冥王星で、

 これって、

 男と女で成り立ってる世界から弾き出されそうになってるキトゥンそのものじゃないか。

 映画ができてから正式に格下げされたんだけど、

 もともと太陽系惑星にしては小さく、はたして惑星かっていう論争はあった。

 それが、

 2003年に冥王星よりも大きな2003 UB313っていう太陽系外縁天体が発見されたことで、

 ほぼ決定的に惑星ではないっていう終止符を打たれたも同然になっちゃった。

 なんだかね、そういう時代につけられた題名なんだよね。

 プルートってかわいそうだわ。

 でも、そんな星の下に生まれながらも、

 キリアン・マーフィー演じるキトゥンは、

 リーアム・ニーソンのことも許しちゃったりするし、したたかに強く生きていく。

 いや、設定されてた心は寒いけど、観客の心は温まる作品だったかなと。

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ファンボーイズ

2014年10月13日 03時00分22秒 | 洋画2008年

 ◇ファンボーイズ(2008年 アメリカ 90分)

 原題 Fanboys

 staff 監督/カイル・ニューマン 原案/アーネスト・クライン、ダン・ピューリック

    脚本/アーネスト・クライン、アダム・F・ゴールドバーグ

    製作/ケビン・スペイシー、エヴァン・アストロウスキー、デイナ・ブルネッティ

    撮影/ルーカス・エトリン 美術/コリー・ロレンゼン 音楽/マーク・マザーズバー

 cast ジェイ・バルチェル ダン・フォグラー サム・ハティントン クリス・マークエット

 

 ◇カメオの豪華さ

 1998年、待望の『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』封切り直前。

 この超くだらない物語が展開されるんだけど、

 スターウォーズきちがいのファンたちが、

 末期がんの友達に『ファントム・メナス』を見せようと、

 スカイウォーカーランチへ泥棒に入るという気持ちは、

 わからないでもない。

 でも、およそ日本では考えられないような物語で、

 まあ、そもそも日本には『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』みたいな映画はないし、

 はなから存在しようもない筋立てではあるんだけどね。

 なんにしても、くだらないことおびただしい内容ではあった。

 ところが、こういう映画をほんとに作っちゃうところがアメリカの素敵なところで、

 なんといっても、この主題に乗ってくれてる大物俳優たちがいることが、うらやましい。

 レイア・オーガナ役だったキャリー・フィッシャーが女医の役を、

 ランド・カルリジアン役だったビリー・ディー・ウィリアムズが判事の役を、

 ダース・モール役だったレイ・パークがスカイウォーカーランチの警備員の役を、

 それぞれ演じてくれるなんざ、ちょいと凄い。

 それに加えて『スター・トレック』のジェームズ・T・カーク役だった、

 ウィリアム・シャトナーが本人であるウィリアム・シャトナー役を、

 それも悪人であるという設定で演じてくれるなんてのは、かなり凄い。

 ハリウッドがうらやましいわ。

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マリア

2014年10月12日 02時19分04秒 | 洋画2006年

 ◇マリア(2006年 アメリカ 100分)

 原題 The Nativity Story

 staff 監督/キャサリン・ハードウィック 脚本/マイク・リッチ

    製作総指揮/キャサリン・ハードウィック、マイク・リッチ、ティム・ヴァン・レリム

    撮影/エリオット・デイヴィス 美術/ステファノ・マリア・オルトラーニ

    衣装デザイナー/マウリツィオ・ミレノッティ 音楽/マイケル・ダナ

 cast ケイシャ・キャッスル・ヒューズ オスカー・アイザック ショーレ・アグダシュルー

 

 ◇処女懐胎

 まったく無知蒙昧とはぼくのことで、

 この映画を観るまで、洗礼者ヨハネと使徒ヨハネの区別もついていなかった。

 洗礼者ヨハネは、キリストに洗礼を授け、その到来を預言したんだね。

 しかも、ヨハネもまた天使が誕生を予告して、懐胎を告げるだけじゃなく、

 ヨハネの母親はエリザベトっていって、マリアの従妹らしいし。

 マリアと血のつながった一族は、ある特別な一族だったんだろか?

 ぼくは無宗教な人間で、キリスト教にもなんの興味もないんだけど、

 ヨセフがマリアよりもちょっぴり年上な若者として描かれるのが、

 なんとなくリアルな感じがするし、

 マリアの懐胎についてあれこれと想像をめぐらすところとか、人間臭くていい。

 そもそも、結婚をする寸前の相手が妊娠したなんてことになったら、

 普通は嫉妬の嵐が吹いて結婚なんてするはずがないんだけど、

 ここではそうじゃない。

 ヨセフのものすごい理解と信じられないような愛情が描かれる。

 そうしたヨセフの葛藤がこの映画の主題なんじゃないかっておもえるほどだ。

 それと、

 ケイシャ・キャッスル・ヒューズっていう女優さんは、

 綺麗ではあるんだけど、すげえ美人ってわけじゃない。

 でも素朴で純粋な感じは伝わってきたし、

 バチカンで試写会までされたっていうんだから、

 聖母マリアには向いてたんだろう。

 ただ、彼女の場合、

 なんとなくこういう神がかり的な役がよく回ってきてるような気がするんだけど、

 そういう雰囲気を醸し出してるんだろね、常に変わらず。

 

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ウルトラヴァイオレット

2014年10月11日 01時34分26秒 | 洋画2006年

 ◇ウルトラヴァイオレット(2006年 アメリカ 87分)

 原題 Ultraviolet

 staff 監督・脚本/カート・ウィマー 撮影/アーサー・ウォン

    美術/チウ・ソンポン 衣装/ジョゼフ・ポロ 音楽/クラウス・バデルト

 cast ミラ・ジョヴォヴィッチ キャメロン・ブライト ニック・チンランド

 

 ◇21世紀末、ヒモ・フェージ掃討作戦

 ウィルスの蔓延した世界で、

 感染後12年すると絶命する人間たちは、

 死を宣告されるかわりに超人的な頭脳の運動能力を身に着けた。

 これがヒモ・ファージと呼ばれる人間たちで、

 かれらを恐れた政府は、掃討作戦を展開し、

 人間対ヒモ・ファージの戦争に突入している。

 この前段階はまあありがちな展開ではあるんだけど、

 味噌は、ヴァイオレットことミラ・ジョヴォヴィッチの境遇にある。

 かつて政府に夫と息子を殺されているため、政府を憎悪している。

 しかし、

 ヒモ・ファージを全滅させるための最終兵器を強奪したとき、

 それが自分たちにしか効かない病原体を持った子供だと知り、

 その子を抹殺しようとするヒモ・ファージに対しても叛旗を翻すことになる。

 つまりは、ヒーローの条件ともいえる孤独な戦いに追い込まれるわけで、

 このあたりの設定はいいんだけど、

 どうにもCG優先の画面なのが、ぼくにはきつい。

 それにしても、

 この作品は内容を違えて日本ではアニメのシリーズになってるらしく、

 ミラ・ジョヴォヴィッチはどうも日本に関連するゲームやアニメの仕事が多くない?

 それもつねに戦ってる印象があって、

 なんだかよくわからない女優さんだわ。

 ただ、さすがにアクションシーンは鍛錬を積み重ねただけあって、見事だ。

 ガン=カタと新体操を融合させたアクションだっていうんだけど、

 これはこういうもんだよっていえないところが、ぼくだ。

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リターン・トゥー・マイ・ラヴ

2014年10月10日 19時08分49秒 | 洋画2005年

 ◇リターン・トゥー・マイ・ラヴ(2005年 アメリカ 91分)

 原題 Lonesome Jim

 staff 監督/スティーヴ・ブシェミ 脚本/ジェームズ・C・ストラウス

    撮影/フィル・パーメット 美術/チャック・ヴォールター

    衣装デザイン/ヴィクトリア・ファレル 音楽/エヴァン・ルーリー

 cast ケイシー・アフレック リヴ・タイラー ケヴィン・コリガン メアリー・ケイ・プレイス

 

 ◇インディアナ州クロムウェル

 脚本を書いたジェームズ・C・ストラウスの回想記だそうな。

 だからすべて自分の生まれ育ったところが舞台で、

 実家も工場もそのままだっていうんだから、

 もはや、大学生の自主制作映画に近い。

 けど、これがおもったよりも上手に出来てて、

 少数のスタッフとデジタルカメラを抱えて撮ったとはおもえないような出来栄えだ。

 スティーヴ・ブシェミって人は、俳優も監督も製作もこなす才人で、

 人生の夢が破れて故郷に戻ったものの定職にもつかずにぶらぶらして、

 偶然にひっかけたバツイチ看護婦をホテルに誘ったものの、

 三こすり半であっけなくイッちゃうような情けなさを絵に描いたようなダメ男が、

 ほんのちょっとだけ生きてゆくことに希望を見出すっていういじましいを映画を、

 よくもまあ、こんなに愛情こめて描けるもんだっていうくらい、上手だ。

 ただまあ、似たような境遇の兄貴に対して、 

「俺だったら自殺しているね」

 といって自殺未遂させちゃうのが看護婦との再会につながるなんていう展開は、

 なかなか考えないし、考えたところでまじかよともおもうんだけど、

 人生ってやつは、ときおり、こういうおもいがけない展開が待ってるもんだ。

 そこんところが、

 スティーヴ・ブシェミとジェームズ・C・ストラウスにはよくわかってるらしい。

 けど、猫っ可愛がりに甘やかす母親に育てられた息子なんてもんは、

 所詮、こんなもんで、甘っちょろくて、弱くて、情けなくて、だらしなくて、くだらない。

 ぼくがそうだから、よくわかる。

 こんな野郎は、ちょっとばかしやる気になっても、結局、またくじける。

 けど、そういう人生もままあるもんで、それでも人間は生きていかないといけない。

 看護婦がリヴ・タイラーなんてのは出来すぎ中の出来すぎで、

 こんなことはありえないんだけど、そこは映画だから許そう。

 ただ、そういう負け犬野郎のほんのちょっとした幸せへの行動は、なんだったんだろう?

 ケイシー・アフレックはくそぼろの脱水症状で実家へ逃げ帰ってきて、

 いったんは、リヴ・タイラー母子にも別れを告げ、母親へも置き手紙し、

 ニューオーリンズで頑張ろうとバスに乗り込むものの、

 結局は情にほだされてバスを降り、リヴ・タイラーの助手席に乗り込んじゃうんだけど、

 これは、

「逃げ出そうとした故郷で、やっぱり、リヴ・タイラーを幸せにしようと決めたんだ」

 とかいうことと受け取っていいんだろうか?

「リヴ・タイラーのヒモになっちゃうかもしれないけど、それでもいっか」

 なんて考えがこののちよぎってこないといいきれるんだろうか?

 ダメなやつってのは、そんな不安があるんだよね。

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マレフィセント

2014年10月09日 02時52分34秒 | 洋画2014年

 ◎マレフィセント(2014年 アメリカ 97分)

 原題 Maleficent

 staff 監督/ロバート・ストロンバーグ 脚本/リンダ・ウールヴァートン、ポール・ディニ

    製作総指揮/アンジェリーナ・ジョリー、マイケル・ヴィエイラ、ドン・ハーン、

          パラク・パテル、マット・スミス、サラ・ブラッドショウ

    撮影/ディーン・セムラー 美術/ゲイリー・フリーマン、ディラン・コール

    衣装デザイン/アンナ・B.シェパード 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 cast アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング サム・ライリー イメルダ・スタウントン

 

 ◎眠れる森の美女のリメイク

 マレフィセントの少女時代を演じたエラ・パーネルのかわいいこと。

 エル・ファニングはいかにも田舎の王女って感じがよく出てたけど、

 エラのかわいさはたいしたもんだった。

 咄嗟に浮かぶ感想がそれでは元も子もないけど、

 ま、そんな感じだ。

 でも、画面の出来栄えはたいしたもので、

 CGもここまで来ると観ていてその美しさに感嘆する。

 冒頭、マレフィセントが翼を奪われた際、

 そんなに恨みにおもってるんなら王と軍隊を根絶やしにしちゃえばいいじゃんとか、

 結局そうしないのは皇太子のことがやっぱり好きで、皇太子もやっぱり惚れてるわけねとか、

 いろんなことをおもったけど、

 結局のところは、眠れる森の美女という設定になんとか持ち込むための口実なのね、

 とすぐにおもいなおしたとき、その予定調和さにちょっと溜め息ついてしもた。

 とはいえ、

 自分が呪いをかけた王女のことが妙に気になりやがて育ての親になってしまい、

 呪いそのものを厭うようになり、

 また呪いをかけたことについて自己嫌悪に陥るという筋立ては、

 案外すんなり納得できるものではあったけどね。

 いや、まったく、

 マレフィセントが主役の映画ってどんなよ~とおもって心配もしたけど、

 それについてはぎりぎりのところで理屈をとおせてよかったじゃんと、

 別にぼくが制作したわけでもないのに、

 おもわず胸をなでおろしてしまったのでした。

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フライト・ゲーム

2014年10月08日 01時13分12秒 | 洋画2014年

 ◎フライト・ゲーム(2014年 アメリカ 107分)

 原題 Non-Stop

 staff 監督/ハウメ・コジェ=セラ

    脚本/クリス・ローチ、ジョン・リチャードソン、ライアン・エングル

    撮影/フラヴィオ・マルティネス・ラヴィアーノ 美術/アレック・ハモンド

    衣裳デザイン/キャサリン・マリー・トーマス 音楽/ジョン・オットマン

 cast リーアム・ニーソン ジュリアン・ムーア ミシェル・ドッカリー コリー・ストール

 

 ◎結局、ジュリアン・ムーアは何者?

 質のいい密室劇ってのは、否が応でも緊張するものだ。

 ことに超高速かつ超高度で移動している旅客機ってのは、最高の空間だ。

 ところが、

 飛行機を主軸にして、ちゃんと見せてくれる映画ってのは意外に少ないんだよね。

 デンゼル・ワシントンの『フライト』は飛行機の部分は少なかったし、

 ジョディ・フォスターの『フライトプラン』くらいしかおもいうかばない。

 たいがい、パニック物か派手なアクション物になっちゃってる。

 それが、この作品はかなり濃密なサスペンスに仕上がってた。

 娘に死に別れ、妻にも去られた有能な警察官だった男が、

 離陸恐怖症ながらもなんとか航空保安官の職にぶらさがってるものの、

 アルコール中毒で、ヘビースモーカーという社会的にはどうしようもないまま、

 同僚や上司たちから目をつけられ、評判は地に落ちている。

 そんなリーアム・ニーソンが、

 心臓の手術をしたことでいつ死ぬかわからないから窓際で外を観ていたいっていう、

 人生をもうやめちゃいたいくらいにおもってるジュリアン・ムーアと、

 たったひとりで父親のもとへ旅立っていかなければならない不安を抱えたクイン・マッコルガンを、

 危機的な状況から守り抜くことで、人生の土壇場でなんとか復活していくわけだけど、

 こうした自己の再生を主題にしているのはやっぱりハリウッドで、

 それがハイジャックによるサスペンスとうまく絡み合ってる。

 そりゃまあ、重箱の隅を楊枝でほじくるように文句をつければ、いろいろある。

 でも、一気にフライトしちゃえば、あんまり気にならない。

 いや、人間、還暦すぎても頑張れるし、それなりの出会いもあるってことを、

 リーアム・ニーソンは体をはって証明してくれてるんだよね。

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白ゆき姫殺人事件

2014年10月07日 11時45分39秒 | 邦画2014年

 ◎白ゆき姫殺人事件(2014年 日本 126分)

 staff 原作/湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』 監督/中村義洋

    脚本/林民夫 撮影/小林元 美術/西村貴志

    音楽/安川午朗 劇中曲/芹沢ブラザーズ『All alone in the world』

 cast 井上真央 綾野剛 蓮佛美沙子 菜々緒 貫地谷しほり 谷村美月 生瀬勝久 染谷将太

 

 ◎赤毛のアンの現代信州版?

 いやまあ、ぼくだってろくな人間じゃないし、けっこう好き勝手なこといってるから、他人のことはあれこれといえない。だから、井上真央の演じる主役のOLのように、周りから勘違いされやすく内向的な女の子がいて、しかも殺人事件の重要参考人になりかけてたりすれば、悪意があろうとなかろうとそれが縁もゆかりもない人間であれば、blogやTwitterに載せないまでも知り合いと話をしたとき話題にして「あの女、とんでもないな。ああいうじめっとした陰気な奴って人殺すんだよ、たいがい」とかなんとか、なんの根拠もない、ものすごく好い加減なことを口走っちゃうだろう。

 でも実は、単に内向的で人付き合いが苦手でついつい疎外されちゃう性向の人間は、めったに人は殺さない。

 人を殺す動機になるのは、劣等感であることが少なくない。あいつよりも勉強ができない、仕事がまずい、財産がない、異性にもてないとかいった、たいがい、自分の努力のなさを棚に上げて、ひがみの対象になってる人間を殺す。

 ところが、この真央ちゃんの場合、劣等感はどこまであったんだろね。

 自分の惨めさはときおり感じてるかもしれないんだけど、この子は他人を恨むよりも自分のふがいなさを悲しむ性質で、他人に対して暴力的な態度が取れないから苦しんでいるわけだから、とてもではないけれど、人は殺せないはずだ。なのに、誰にも庇われることなく、一方的に追い込まれてゆく。この否応なく追い込まれてゆく過程は、犯人の策略や悪意ばかりではなく、きわめて現代的な、一億総似非批評家による追い込まれ方なんだろね。

 タイトルが浮かび上がってくるtweetの画面は凝ってて、いかにも現代の映画の冒頭で、なるほど、こういう展開の仕方っていうか導入もあるんだねって感じなんだけど、どうしても、サスペンス作品の性質上、物語が進むに従って視点がいくつかに分散しなければならないから、感情的にぐぐっと入り込めないのかもしれないね。

 ただまあ、真央ちゃんをはじめ皆さん結構がんばってたし、綾野剛のどうしようもなくありがちなチンピラ業界人ぶりが妙にリアルだったし、ワイドショーのVTRもよくできてたし、物語の構成っていうか脚本がしっかりできてた。けど、真央ちゃんが芹澤兄弟を突き落としちゃう件りは、もうちょっとなんとかならなかったかなって気もしないではない。むろん、ないものねだりだ。それほど上手に、作られてた。そうおもっていいんじゃないかしら。

 いや実際、ぼくたちは、なんとも頭の悪い犯人の「自分のしてきた小さな悪戯まじりの盗みが会社に知られたら困るから」という、どうしようもなく中途半端で自分勝手で社会性の乏しい子供じみた動機を「ほんと、今の連中はこんなもんだよ」と感じるし、ネットの抱えている極めて物見高く無責任な発信について「まじに困ったもんだとはおもうんだけど、こればかりはもう止められないんだよな~」ともおもうしかないんだよね。

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タイピスト!

2014年10月06日 00時04分44秒 | 洋画2012年

 ☆ タイピスト!(2012年 フランス 111分)

 原題 Populaire

 staff 監督/レジス・ロワンサル 撮影/ギヨーム・シフマン

    脚本/レジス・ロワンサル、ダニエル・プレスリー、ロマン・コンパン

    美術/シルヴィー・オリヴェ 音楽/ロブ、エマニュエル・ドーランド

 cast デボラ・フランソワ ロマン・デュリス ベレニス・ベジョ ミュウ・ミュウ

 

 ☆今でもタイプの大会ってあるの?

 日本語のタイプライターすなわち和文タイプの大会とかあったら凄そう、

 とかおもいつつ観てたんだけど、

 1958~59年のフランスに舞台を持ってきたってのがいいよね。

 ラストの台詞「アメリカ人はビジネスを、フランス人は恋を」てのが効いてる。

 ただまあ、最初から最後までシンデレラ物語に徹してるわけで、

 そうじゃなかったら、

 保険で設けた成金の御曹司が家を継いだものの性格の優しさが仇になって、

 つねに自分は2番でいいとおもい、好きな人間の志や夢を優先してしまうロマン・デュリスに、

 これまた田舎育ちで天然ボケながらオードリー・ヘップバーンのファンで、

 くわえてなかなか負けん気のつよいデボラ・フランソワが恋をして、

 まあ、ロマン・デュリスは親友の嫁さんが昔の恋人だったり、

 デボラ・フランソワの方はタイプライター屋の御曹司に言い寄られたり、

 パリの初日にはヘップバーンのコスプレまがいな衣装を着たりと、

 きわめてありがちな展開を経た後、

 栄冠と結婚を勝ち取っていくっていうフレンチ・ドリームにはならないものね。

 ただ、

 いまどき、これだけものすごい勢いでタイプを打つ女の人たちがいるってのも凄い。

 もっとも、相当な練習をしてたそうだし、

 実際、デボラ・フランソワは父親の古いタイプで練習してから撮影に臨んだみたいだし、

 カメラワークでかなり上手にあしらってるしで、

 なんだか凄まじい音の饗宴にもなるタイピスト大会は、

 それなりに圧巻の仕上がりになってるわ。

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ジョン・レノン,ニューヨーク

2014年10月05日 01時48分00秒 | 洋画2010年

 ◇ジョン・レノン,ニューヨーク(2010年 アメリカ 115分)

 原題 LennonNYC

 staff 監督・脚本/マイケル・エプスタイン

    製作総指揮/スーザン・レイシー、スタンリー・F・バックタール、マイケル・コール

    製作/マイケル・エプスタイン、スーザン・レイシー、ジェシカ・レヴィン

    撮影/マイケル・チン 編集/エド・バーテスキ、デボラ・ペレッツ

 cast ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、エルトン・ジョン

 

 ◇1971年9月~1980年12月8日

 その9年間というニューヨークを中心にした日々は、

 さまざまな映像や音が残されているため、

 ぼくたちは、

 その場その場でのジョン・レノンの行動や発言を追いかけることができる。

 もちろん、ぼくはジョン・レノンについてまったくといっていいほど知らないし、

 ましてや、オノ・ヨーコについても同様だ。

 だから、ふたりの間にどんな亀裂が走り、どんな感情の果てに新たな絆が結ばれたのかも、

 ぼくにはわからない。

 映像を見るかぎり、

 ジョン・レノンは失われた週末の時代も結局はオノ・ヨーコの掌の上にいたのかしら?

 っていうような印象をちょっとだけ受けるけれども、

 そんなことは、ふたりにしかわからない。

 この作品は『PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン』のような明確さはなくて、

 アメリカっていう国家や1970年代っていう時代を真っ向から見つめ、

 そして戦った記録めいたものというのではなく、

 もう少し微妙な、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、そしてふたりをとりまく人々の、

 その時代における心の葛藤と遍歴をつぶさに追いかけたもので、

 あまり政治的な臭さはないし、かといってジョン・レノン讃歌にもなってない。

 きわめて淡々と残された映像の整理がなされたんだな~っていうのが素朴な印象だ。

 それにしても、ときどきおもうことがある。

 どうしてぼくは音楽がわからないまま大人になっちゃったんだろうと。

 今もって、ジョン・レノンの曲だったらすべて知ってるとか豪語できないし、

 そんな人間がこのドキュメンタリーを観たところで、

 ジョン・レノンをよく理解している人からすれば、

 おまえなんかにはわからないんだよと冷笑されるのがオチなんだろうけど、

 でもまあ、ひとりの音楽家の生きた時代の息吹みたいなものは感じられたし、

 ジョン・レノンとオノ・ヨーコというカップルのとある時代を観、

 それなりの納得もできたような気がしないでもない。

 この映画の場合、それでいいんじゃないかしらね。

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ベガスの恋に勝つルール

2014年10月04日 13時43分03秒 | 洋画2008年

 △ベガスの恋に勝つルール(2008年 アメリカ 99分)

 原題 What Happens in Vegas...

 staff 監督/トム・ヴォーン 脚本/デイナ・フォックス

    撮影/マシュー・F・レオネッティ 美術/スチュアート・ワーツェル

    衣裳デザイン/ルネ・アーリック・カルファス 音楽/クリストフ・ベック

 cast キャメロン・ディアス アシュトン・カッチャー ロブ・コードリー デニス・ミラー

 

 △強制結婚の結末

 発想としてはありだ。

 酔った勢いの結婚の瞬間、偶然手に入れた300万ドル。

 これを確実に自分たちのものにするためには、

 半年間の結婚生活を送り、その上で離婚しなければならない。

 そうすれば自分たちは山分けできるし、

 結婚生活に失敗すれば弁護士に持っていかれる。

 で、相容れないふたりが新婚生活を始めるというものだが、

 喜劇の結末はもちろん最初から見えている。

 だから、途中からもうどうでもよくなってきて、

 作劇の悪乗りぶりに溜め息をつきかねない羽目になるんだけど、

 まあなんていうのか、

 キャメロン・ディアスの妙に色気にあるおばかキャラは、

 それが地なのかあるいは演技なのかわからないけど、

 いかにもヤンキーのいかれぽんちのセックス大好き娘の役が、

 これほどぴったりしちゃう女優もめずらしいかもしれない。

 貴重といえば貴重なんだろうけど、一歩まちがうとおもいきり滑る。

 で、滑った。

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キング・アーサー

2014年10月03日 01時12分50秒 | 洋画2004年

 ◇キング・アーサー(2004年 アメリカ 126分)

 原題 King Arthur

 staff 監督/アントワン・フークア 脚本/デイヴィッド・フランゾーニ

    撮影/スワヴォミール・イジャック 美術/ダン・ウェイル

    衣装デザイン/ペニー・ローズ 音楽/ハンス・ジマー

 cast クライヴ・オーウェン キーラ・ナイトレイ ヨアン・グリフィズ レイ・ウィンストン

 

 ◇西暦415年、ブリテン島

 中世のアーサー王伝説にまつわる円卓の騎士の話かとおもえば、まるでちがう。

 古代ケルトの攻防戦で、

 敵役になってるのが、

 イングランドに上陸したアングロサクソン人の王にして、

 ウェセックス王室の始祖セルディックだ。

 つまり、イギリスの開闢時代の物語ってことになる。

 しかも、敵役は倒される運命にあるわけで、

 くわえて、

 最近の学説によって、アーサー王のモデルになったといわれる古代ローマ帝国の傭兵、

 ルキウス・アルトリウス・カストゥスが主人公になってるものだから、

 そうなると、イギリスの始祖が古代ローマ帝国の傭兵に倒されちゃうことになり、

 この映画の説が正しいとすれば、イギリスの歴史が変わっちゃわない?てなことになる。

 まあ、そういうかなり小難しい背景を持ってるものだから、

 イギリスから遠く離れた国のぼくには、なんだかよくわからない。

 だもんで、あ~こういう物語もあるのね~くらいな気持ちで眺めるしかない。

 とはいえ、

 三人の主役たちはさすがに芸達者で、存分にブリトン建国物語を見せてくれる。

 そういう面では安心して楽しめたし、画面も音楽も出来はいい。

 ただ、なじみのない物語に戸惑っちゃうだけのことで…。

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マーニー

2014年10月02日 00時58分24秒 | 洋画1961~1970年

 ◇マーニー(1964年 アメリカ 130分)

 原題 Marnie

 staff 原作/ウィンストン・グレアム『マーニー』

    製作・監督/アルフレッド・ヒッチコック 脚色/ジェイ・プレッソン・アレン

    撮影/ロバート・バークス 音楽/バーナード・ハーマン

 cast ティッピ・ヘドレン ショーン・コネリー ダイアン・ベイカー ブルース・ダーン

 

 ◇赤い恐怖

 ヒッチコックはこの映画を「男の女の映画です」と予告編でいってる。

 たしかにそうで、黄色の基調の男は、緑色の基調の女を獲ろうとしている。

 つまり、セックスの映画だ。もちろん、過激なセックス場面があるわけではないし、濡れ場めいたものはキスしかない。けど、性を象徴するものはいっぱい画面に登場するし、ティッピ・ヘドレンがほとんど無意識の内に欲求不満に陥っていて、どうにもこうにもやるせないほどセックスに飢えていながらも、

「そんな汚らわしいことには興味がないの」

 という高慢ちきな態度に出る一方、淫らな印象をふりまいているという撮り方は、いやまったくヒッチコックが常軌を逸してるとしかおもえないほどだ。

 どうやらヒッチコックはこの撮影中ていうか前作の撮影中からティッピ・ヘドレンにいいより、きつい肘鉄をこうむっているらしく、

「だったら、淑女ぶった仮面をはいで淫らな本性をさらけだしてやる」

 とばかりに、撮影で復讐しているとも受け止められるような画面をつくりだしてる。

 まあ、うがった見方をすればそうなるんだろうけど、幼い頃に母親が売春をして苦しい家計を支えていたんだけれども、その母親の客を殺してしまったことで、セックスに対して尋常でないトラウマを抱いてしまいながらも、体内に流れているセックスへの興味と妄想から逃れられず、赤いものや稲光にどうしようもなく戦慄し、金銭を盗み出すことで快感を解消してしまうことから盗癖が治せずにいるという、きわめて興味深い女を設定し、彼女の過去を探り、本質をとらえようとする狩人然とした相手を設定し、このふたりをぶつけることで作品を作り上げようとしてるのはまちがいない。

 ヒッチコックの心模様はともかく、なんとも性的な映画ではあった。

 なにしろ、男根の象徴といえる馬にまたがって疾走するところは、エクスタシーの表情をとらえるためだけに撮影したんじゃないかってくらいで、画面の裏に隠されている性のほとばしりがこれほど感じられる作品もめずらしい。

 つまりは、おとなの映画ってことよね。

(以下、二度目)

 それにしても、ティッピ・ヘドレンのコートの緑色は品がいい。渋い緑だ。『めまい』の車の色もいいけど、さらにいい。それにひきかえ、ショーン・コネリーの義妹ダイアン・ベーカーのワンピースの緑はてらてら光って品がない。このあたり、ヒッチコックの色に対するこだわりはすごいっておもうわ。なんつっても綺麗だしね。

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