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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

太秦ライムライト

2015年10月16日 21時17分37秒 | 邦画2014年

 ◇太秦ライムライト(2014年 日本 104分)

 監督 落合賢

 

 ◇5万回斬られた男

 ふとおもったんだけど、ハリウッドとかいくと5万回撃たれた男とかいるのかな?

 太秦のことはよくわからないんだけど、観てるかぎりではやっぱり制作センターに翌日の香盤が張られ、それで大部屋の人達は予定を確認する仕組みになってるみたいなんだけど、撮影所が往年のように慌ただしく機能してればいいんだけどね。ただ、この福本清三さんのように斬られ役といういってみれば特殊技能を習得した役者さんはまだいいとしても、現代劇の大部屋さんともなるとかなりきついんだろうなあ。

 とはいえどこの撮影所ももう大部屋さんはいないし、大泉の演技課に出入りしている人達はどうしているんだろう?

 まあそんなことはさておき、観てておもったのはせっかく福本清三主演なんだからもっとドキュメントっぽくすればよかったんじゃないかったことだ。なんか陳腐な筋立てで、これじゃ往年の劇映画となんら変わらないじゃんって気がした。

 時代劇はあいかわらず時代劇だし、たしかに東映剣会の人達の殺陣はそれはそれでおいそれと真似のできるものじゃないんだけど、でもね、これから先の時代劇を考えたり、主役をなかなか張らせてもらえない役者さんたちのことを考えたりすると、もうすこしなんとかならないのかなって気にもなる。といっても、すごい映画ができたり、満足のゆく作品ができたりすることとは、ちがうんだけどね。

 でも、なんにしても福本清三さん、よくここまで頑張ってきたよね。拍手だ。

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アンノウン

2015年10月15日 00時46分17秒 | 洋画2011年

 ◎アンノウン(2011年 アメリカ、ドイツ 113分)

 原題 Unknown

 監督 ジャウム・コレット=セラ

 

 ◎リーアム・ニーソンの「おれは誰だ」

 物語を作る者なら誰でも一度や二度は「ぼくは誰だ?」という出だしを書いたことがあるんじゃないか?

 それほどポピュラーになってるアイデンティティの肯定あるいは捜索すなわち自分探しの物語なんだけど、これを哲学的な物語にするのか、あるいはエンターテインメントにまとめるのかという方向で、すべてがちがってくる。もちろん、サスペンスの得意なジャウム・コレット=セラが演出すれば当然、こうした探偵活劇になるだろう。

 現実世界の探偵物はどうしたところで納得のゆく結末というかトリックの解明が求められる。また、それが納得のゆくものであるのは当然だし、まんまと観客をだましていたりしたら喝采を受けられる。さて、この作品はどうかといえば、途中まで見事なものだった。ていうより、大丈夫かこれだけ徹底して謎めかしちゃってもと心配すらした。つまりは、それだけ物語に惹き込まれたわけだから、いや、たいしたもんだ。

 ただまあ、車の運転が抜群だったり、格闘の心得が明らかにあったり、咄嗟の判断と推理の速さが出てくれば、当然、リーアム・ニーソンが只者じゃないことはうすうす感じ取れるし、奥さんのジャニュアリー・ジョーンズをはじめすべての関係者がなにもかも承知の上でニーソンを抹殺しようとしているのもわかるし、さらには東ドイツの秘密警察シュタージの腕っこきだったブルーノ・ガンツとかが出てきちゃったりすれば、これは暗殺者や間諜の入り乱れるずいぶんと硬派な展開になるなとわかってくる。こうした観客に謎解きさせる筋立てはよいね。これはこういうことなんだっていきなり突きつけられるのは好きじゃないし。

 ま、ハリウッド作品よろしく派手な格闘と爆発はあるものの、ボスニアの不法移民になってるダイアン・クルーガーとの恋もあったりして満腹感は充分にあった。

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メイズ・ランナー

2015年10月13日 02時49分55秒 | 洋画2014年

 ◎メイズ・ランナー(2014年 アメリカ 113分)

 原題 The Maze Runner

 監督 ウェス・ボール

 

 ◎史上最大の迷路からの脱走

 パトリシア・クラークソンだけが往年の俳優で、あとは監督もふくめてみんな処女作に近いような若さの塊の作品なんだけど、これがものすごくおもしろかった。観ててずっとおもってたのは、ほんと、物語はたったひとつのアイディアさえあればどこまでもおもしろくなるんだな~ってことだ。

 ここでは「目が覚めたら、とてつもなく巨大な迷路に放り込まれていた」というアイディアだ。

 そうなったら、もう次々に浮かんできたんだろうね。自分については名前はやがておもいだすものの、その素性についてはまるでおもいださない。しかし、主人公とその相手役とおぼしき女の子だけはちょっとずつおもいだして、別の人間もたったひとりはおもいだすものの、それが全体の鍵になるから最後まで明瞭にしない。あとは『蠅の王』やら『CUBE』やらまあいろいろと同一年齢層による迷路劇みたいなものを踏襲しつつ、恋愛なんかまるきりなく、もちろん、エロスはかけらもなく、ひたすら少年たちのサバイバル物に徹し、ダンジョンのゲームをおもわせるような雰囲気でクリーチャーとも戦うんだ、とすれば大丈夫。さらに迷路の外側は滅亡間近の地球をおもわせ、自分たちが人類の未来の鍵を握ってるみたいな印象を与え、さらに次の宣伝までしちゃえるなんて、なんてまあ凄い映画なんだろうね。

 いや~ひさびさに興奮したぞ。

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サバイバー

2015年10月12日 00時00分25秒 | 洋画2015年

 ◇サバイバー(2015年 アメリカ、イギリス 97分)

 原題 Survivor

 監督 ジェームズ・マクティーグ

 

 ◇アリスVSボンド

 誰がかわいそうだといって、時計屋こと凄腕の雇われテロリストを演じたピアース・ブロスナンだ。

 往年のジェームズ・ボンドがなんでこんな曖昧な役をやらされ、叩き落とされないといけないんだろう。そもそも凄腕とはいわれながらも、いったいなにが凄腕なのかがわからない。狙撃の腕前は人並み外れてる。でもそれは制止した状態のライフルにかぎるようで、動く標的をサイレンサーで狙ったときの腕はさほどではないらしい。けど、運動神経もかなりのものだし、そもそも時計屋といわれるくらいだから時計職人出身の爆弾製造屋にも見えるし、テロを実行する上ではガスの専門家らを子分のようにして使っていることかしらしても単なる狙撃屋や爆弾屋でないことはわかるんだけど、どうにも曖昧な立ち位置なんだよね。

  それは入国管理官みたいな仕事に就いているミラ・ジョボビッチも似たようなもので、最初に仲間といたレストランの爆発から運良く助かったときの対応は生真面目で正義感だけが強いんだけど緊急事態にはパニックになってなんにもできないのに、どういうわけか後半はやけに勝ち気で行動的になってやがて大晦日のニューヨークを救うまでにいたるのはいったいなんていう成長ぶりなんだっておもわせるくらいの驚異的な役どころなんだよね。

 そもそも凄腕の殺し屋だかテロリストだかわからないけど、そいつを向こうに張って戦ってみせるんだから、こりゃあ普通の役人じゃねえよ。てか、駐英米国大使の養女みたいな設定らしいから、なんか女版虎の穴とか出てるかもしれない。

 でないと、爆発テロていうか自分の命を狙われたために同僚が4人も殺されちゃった事件から自分が容疑者にされ、テロリストらに息子を拉致されてその脅しにとっていろいろと便宜を図らせられてたロバート・フォスターの過失傷害致死までも自分のせいにされて、どんどんと追い込まれていきながら、さらに命まで狙われ、またさらにアメリカをテロから救わないといけないなんて雪だるま式英雄製造物語には対処できないんだろうけどね。

 いずれにせよ、この映画のいちばん不可思議なところはロンドンから始まることで、ロンドンにすべての登場人物が固まっててそこで爆弾の実験まで仕出かしたりしてるんだけれども、それだけのことをしでかしたらアメリカはすげえ厳重注意を命ぜられてもっと入国は難しくなるんだろうけど、そんなことはおかまいなしだ。ていうか、ロンドンから始めるから面倒なんで、入国できるかどうかってはらはらどきどきを盛り上げるためとはいえ、やっぱり強引だよね。最初からアメリカを舞台にした方がすっきりしたんじゃないかしら。

 絵作りもテンポそれなりに良かったんだからもったいない気がするんだよね。

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ラスト・リベンジ

2015年10月11日 14時57分29秒 | 洋画2014年

 △ラスト・リベンジ(2014年 アメリカ 94分)

 原題 Dying of the Light

 監督・脚本 ポール・シュレイダー

 

 △ちょっと宣伝が恥知らずな印象

「ニコラス・ケイジ引退」とあれば観るだろ、ふつう。

 でも引退ってのは、演じているCIA工作員が末期の認知症を患ってしまったために解雇されるって話で、ニコラス・ケイジが引退するとかそんなことはまるきりない。にもかかわらずそんな惹句を置かなければならないのは、この作品の出来がいかに悪いかってことを露呈しているわけだよね。実際、目を蔽いたくはなったけど、それにしてももう少し知恵をめぐらせた惹句はできなかったのかと。

 にしても、22年前に拷問されたテロリストへの私怨を晴らすべく行動するっていうだけのあらすじに、テロリスト役kのアレクサンダー・カリムが病気でもはや立つこともできず余命いくばくもないところへもって、主人公ケイジもやっぱり認知症で出向いていったホテルの名前も忘れてしまうほどで、手も震えが止まらず、敵を暗殺する方法も練ることができないとかって、まじ、ありか?

 カーチェイスもテロリストの配下が凍った川に飛び込んで死んじゃうっていうおそまつな展開で、しかもニコラス・ケイジはいっさい関係ないし、過去に因縁のあった女性イレーヌ・ジャコブとの濡れ場もただのキスと最後に部下アントン・イェルチンから手渡されるキーホルダーの伏線だけだし、なによりアレクサンダー・カリムと最初に対面したときに過去の拷問の恐怖が甦る中に認知症の症状が出てどうにもならずに帰っちゃうっていう展開はまあ我慢したとしても、そのあとプールサイドで強襲された後にナイフで殺しに行くところなんざ、なんだか単なる殺しでしかないのはちょいとかっこ悪いんじゃないかしらね。

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ジュピター

2015年10月10日 00時29分01秒 | 洋画2015年

 ◇ジュピター(2015年 アメリカ 127分)

 原題 Jupiter Ascending

 監督 ラナ・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー

 

 ◇サイボーグ009の天使篇みたいだ

 かつて人間を作った宇宙の種族が人口爆発を迎えた頃に収穫にやってくるという設定はまさしくそうで、姿だけからいえばチャニング・テイタムとショーン・ビーンが翼をもがれた天使であるという設定はちょっと009とはちがうものの、なんだかね。ま、ホテルの清掃婦として働いているミラ・クニスが宇宙を支配する女王のDNAが同じという設定もあまりにシンデレラな気がして、これもなんだかね。あ、それと、ミラ・クニスはやっぱり女王っていう印象は薄いんだよな~。肉感的すぎるじゃんね。

 ただ、絵作りは凄い。CGが何千か所あったのかわからないけど、そりゃもう興奮ものさ。それと、木星の雲の下にあるのかその惑星にあるのかよくわからない宇宙都市、さらに王室軍と連邦軍の宇宙船、それと磁気で翼やロケット砲とかが繋がってるっていう見事な発想の攻撃機、さらにはポスターだけなのかもしれないけど天使のデザインとか、そうした絵的なものの感性はさすがはウォシャウスキー姉弟というべきなんだろね。

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ソロモンの偽証

2015年10月09日 00時00分35秒 | 邦画2015年

 ◇ソロモンの偽証(2015年 日本 前篇121分、後篇146分)

 監督 成島出

 

 ◇全編267分は半分でよろしい

 いくらなんでも長すぎる。それなのに、死んだ子の死んだ原因がよくわからないっていうのは脚本の不出来としかいいようがない。邦画で脚本が不出来になってしまうのは、ひとえに監督の口出しとプロデューサーの仕切りの悪さでしかないんだけれど、この作品がなんでこんなに冗漫になってしまったのかについては、ぼくは製作現場にいたわけでもないからさっぱりわからんものの、とにかく長い。長すぎる。これではあかん。

 というよりも、雨のふらしも脚本とおなじくらいあかんかったです。噴水がこんな夜にかかってくるのか?とおもったらいきなりの雨だった。演出のせいか、スタッフの技量のせいか、わからんけど、なににしても必要なのか、あれ?とおもわせる悲しさ。すべての人物がつながっているようでつながっていない辛さ。実をいえば、この作品の「中学生が友達の死について自分たちで裁判をする」という主題を聞いたとき「そいつはすげえ」とおもった。だから、けっこう期待してたんだよ、いやまじで。

 ところが、これだ。

 期待度が高かった分、呆然度も高いぞ。

 結局のところ、大人も子供もみんな心の闇を抱えていて、それが連鎖して少年の自殺なのか過失なのかはわからないけどとにかく1990年の大雪のクリスマスの朝に死んじゃった、というだけの話になっちゃってる。そもそもは、いじめだ。けれど、このいじめを解決できないのは、大人の身勝手さと人間の心の弱さなのかもしれないっていうところに主題が在りそうな無さそうな感じなんだけど、それにしても、たったそれだけのいうためにこの長さがあったのだとしたら、邦画の観客たちよ、怒りたまえ。前後編合わせて1800円でええがや!と。

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ハンガー・ゲーム2

2015年10月08日 00時21分14秒 | 洋画2013年

 ◇ハンガー・ゲーム2(2013年 アメリカ 146分)

 原題 The Hunger Games:Catching Fire

 監督 フランシス・ローレンス

 

 ◇叛乱前夜の兆し

 ほんとにこの物語は革命ドラマの王道というか、その序盤をおもわせる。

 ハンガー・ゲーム自体は前回よりも淡白に扱われ、さっさとけりがつけられた印象はあったけれど、それはある意味当然のことで、いまさらゲームがどうなっていくんだろうとかどうやって勝つんだろうとかいった興味はさらさらなくなってる。観客の興味はいつジェニファー・ローレンスが叛逆の志を確信するのか、そしてまた叛乱の同士はどうやって集まってくるのか、という点に絞られてくる。そう、つまりこの2はファイナルに向けての前奏曲でしかないのは、これまでいろんな映画の3部作の構成を見ててもわかることだ。

 けれど、146分という長尺をもってしてもその興味をなかなかそそってくれなかったのはちょっと辛い。

 ジェニファー・ローレンスとその仲間たちの糾合、あるいは彼女を頂点にした三角関係などといった興味が焦点になる以上、ゲームは開始と同時に破綻してもいいくらいなんだけど、まあ、そうはいかないだろう。だったら、地方への凱旋ツアーはもうすこしこじんまりとまとめて、そこで出会っていく三つ指へのキスとマネシカケスの口笛についてもうすこし昂揚をあおる展開にした方が好かったんじゃないかっておもうんだけどね。

 ちなみに、ぼくとしてはジェナ・マローンの方がジェニファーよりも好みだ。

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ハンガー・ゲーム

2015年10月07日 21時00分06秒 | 洋画2012年

 ◇ハンガー・ゲーム(2012年 アメリカ 142分)

 原題 The Hunger Games

 監督 ゲイリー・ロス

 

 ◇文明崩壊後の北米国家パネム

 統制下にある独裁国家における制裁と叛乱というのはよくある設定で、そこが農業や商業や工業といった専門的な部門ごとに集団化された地区に分かれているというのもよくある話だ。いや実際のところ『ダイバージェント』もそんなような感じだしね。ただ、この映画がなんだか『バトル・ランナー』をおもいださせるのは、やっぱり、国民が狩猟もしくは決闘のゲームに熱中しているという点だ。もっともそういう近未来物もやっぱり多いんだけどね。けど、ちょっとちがう。

 なにがちがうのかというと、もともとこのパネムには13の地区があって、どうやらその第13地区が75年前に叛乱をひきおこしたみたいなんだよね。で、その制裁のために狩猟格闘サバイバルゲームが始められ、それが「刈り入れの日」ってわけだ。抽選で選ばれるけれども、志願があれば優先するっていう至極簡単な選抜方法というのもわかりやすい。

 そう、この映画は実にわかりやすいんだ。

 なんとなくお多福をおもわせるジェニファー・ローレンスははっきりいってしまうとぼくの好みではないんだけれど、どうもこのところハリウッドのこうした連続物のヒロインは好みでないことが多いものだから、いまひとつ、気を入れて観る気にならない。そんなことはいえた義理じゃないけど、でも仕方ない。

 で、味噌になってるのは、ゲームに一緒に参加する同じ地区の男ジョシュ・ハッチャーソンがジェニファーに横恋慕していて、その慕情めいたものが味噌なんだよね。だって、ジェニファーは故郷につきあってる奴リアム・ヘムズワースがいたりするからだ。まあ、この恋慕のおかげでゲームの中継に熱中する観客すなわち国民の支持を得、本来は最後に残ったふたりが決闘しなければならないところを助けられるわけだから、そのあたり筋がきちんと練られてる。

 そういうところからいうと、最初から3部作として練られてはいたものの独立した物語としての体裁は整えられてるんだよね。

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ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー

2015年10月06日 20時38分14秒 | 洋画2009年

 ◇ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー(2009年 フランス、イタリア 86分)

 原題 36 vues du Pic Saint Loup

 英題 Around a Small Mountain

 監督 ジャック・リヴェット

 

 ◇元邦題『小さな山のまわりで』での方が好き

 大人の恋物語というのは静けさに包まれてて好い。

 ていうか、ジェーン・バーキンがリヴェットの映画に出るのは18年ぶりなんだそうで、だから15年ぶりにサーカスに帰ってきたふしぎな中年女性の物語になったのか~とおもったのは、もしかしたらぼくだけじゃないっておもうんだけど、どうなんだろう?

 ひと目惚れというのは、たぶん、誰にでもあるものなんだろうけど、その瞬間というのは非日常的なものであればあるほど好い。それが旅の途中の山間で、自分の運転する車が偶然に、エンジンの壊れてしまった彼女の車の横を通りかかったとしたらどうだろう?しかも、その彼女の父親はサーカスの団長だったのだが15年前に芸の事故で恋人を失ったことで退団してたんだけど、その父親がこのたび亡くなったものだから、彼女はその報せを抱えてサーカス団をめざし、そこでしばらく過ごすことにしてた、なんていう背景があればなおさらだ。

 ぼくだったら彼女に入れ込み、そのサーカスの場所に逗留し、連日のように通い、やっぱりセルジオ・カステリットよろしく寸劇とかやっちゃったりして団に溶け込み、そこで中年の恋を咲かせようとするかもしれない。そんな気をほんわかと起こさせてくれるんだよね、こういう映画は。

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おみおくりの作法

2015年10月05日 02時20分12秒 | 洋画2013年

 ☆おみおくりの作法(2013年 イギリス、イタリア 91分)

 原題 Still Life

 監督・脚本 ウベルト・パゾリーニ

 

 ☆死者たちに野辺に送られて

 エディ・マーサンにとって、おそらく最初の主演作品だろう。なんというか、中産階級に生まれ育って、地味ながらも生真面目な役者として着実に歩んできたとおもわれる彼には、まさしく適役だったにちがいない。孤独死した人の葬儀を出してあげるのが仕事という役場の民生課で、たったひとりの職員として22年間も務め、その勤務があまりにも死者をいたわりすぎたことから解雇されることになった几帳面で凡庸な男をきちんと演じてた。

 孤独死した死者を弔う自分もまた孤独で、最後の仕事が嫌われ者の弔いというなんともやりきれないものながら、その死者のずいぶん前に別れた娘で、保健所で棄てられた犬の世話をしている女性と知り合い、死んだ父親のために真摯に働く姿にほだされた娘とおそらくはしっくりいくであろう恋仲になるのを予感し、それまで単身世帯だったところへ犬のマグカップをふたつ買った瞬間にロンドン名物の二階建てバスが突っ込んでくるなんてのは、しかも、その葬儀には誰も来ず、同じ日に自分が必死になってイギリス中を訪ねて歩いた例の父親の葬儀があって、みんなが参列しているという皮肉まであったりして、いやまあまじにかわいそうで仕方ないながらも、最後の最後で死者たちに野辺に見送られるなんてのは、ほんとによく考えてる。いや、淡々としながらも実にしみじみと見せてくれる映画だったわ。

 ラスト、孤独死していった人たちはやはり亡くなってもなお孤独なのかと、死んだビリーの知人を訪ねておもい、生きることに絶望して解雇された職場で首を吊ろうとしたとき、死者の娘から電話を受け、人間も捨てたものじゃないとまた生きる希望を持てただけでなく、初めて付き合うことのできる嬉しさに舞い上がって、犬の絵柄のマグカップを買ってすぐ、道に飛び出して二階建てバスに跳ねられたとき、おもわず、あっと声を上げてしまったけど、問題はその後で、身寄りのない自分の墓にと用紙していた墓地をビリーにやり、葬式の段取りをつけていたんだから、その葬式と自分の葬式が重なってしまうことで牧師によって彼の声かけによって参列してきたビリーの関係者たちが彼の死を知ることにより、同じ墓地にふたりが埋葬され、死んでも孤独じゃないよって展開になるのかとおもったら、まったく違って、なぜかビリーの葬儀はされず、彼の譲った地に埋められるだけで、しかも葬儀を終えた彼の野辺送りがそのかたわらを通って公営墓地に埋められるだけで、彼女だけがなんかありげにひかれるようにしてそれを見つめ、やがて参列者が去った後、彼がお見送りした死者たちが彼の墓地に集うというのはこのカットを取りたいためだけの筋立てとしかおもえず、どうしてこのカットが撮りたかったんなら、ふたりが同じ場所に葬られてその葬儀が終わった後に死者が集えばよかったんじゃないかっておもうんだけどね。

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ダイバージェントNEO

2015年10月04日 20時31分47秒 | 洋画2015年

 ◇ダイバージェントNEO(2015年 アメリカ 119分)

 原題 The Divergent Series: Insurgent

 監督 ロベルト・シュヴェンケ

 

 ◇異端者の凄さが伝わってこない

 さて、アメリカ人の理想とするのは無欲だということは前作のときに書いたんだけど、やっぱり平和っていうのはヒッピー的な暮らしをする人々になっちゃうんだね。ここも良くも悪くもアメリカだね。なんだかベトナム戦争の時代をひきずってる感じがしちゃうんだけど、そうじゃないのかな?戦争のためか環境破壊のためかわからないけど、ともかくシカゴは大崩壊しちゃってて、壁の向こうになにがあるのか最後には使者の映像が出てくるものの未だ見当もつかない映画の中の現時点を見るに、なんだか戦争反対の人達が平和主義者として群れてる感じがしてならない。で、やっぱり博学に対抗できるのは高潔しかないっていう、英独の対峙のような図式になるのはよくわかる。

 ただ、異端者が異端者たりえるようなちからがあんまり見えてこない。5種類すべての可能性を内蔵していることはわかったし、両親の遺した箱を開けられる鍵を持っているというのも、なんだかアーサー王みたいな感じがしてさすが100パーセント異端者ということになるんだろうけど、特別ものすごいちからを持ってるように見えないのが辛いね。

 だって、結局のところ、異端者というのは孤独な存在で、孤独は排斥されながらも英雄として祀り上げられ、やがて叛逆し、その集団の神輿になっていく運命にあるわけで、神輿となるためには単身あるいは股肱たちと冒険の旅に出て、ひとまわり大きくならないといけない。そういうのが王道だ。なのに、なんていうか、シェイリーン・ウッドリーがそこらにいるありきたりのおねーちゃんにしか見えないんだよな~。もうちょっと神秘的な瞳であるとか、そういう雰囲気が要るんだよな、こういう設定の場合は。

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ダイバージェント

2015年10月03日 03時25分35秒 | 洋画2014年

 ◇ダイバージェント(2014年 アメリカ 139分)

 原題 Divergent

 監督 ニール・バーガー

 

 ◇アメリカは未来もアメリカ

 というのも、この作品では100年後のぼろぼろになったアメリカには5つの進路というか共同体というか生き方に分けられる。ほんとはそこから堕落した者がそこらに群れていたりするからそうした落ちこぼれもいれると6つになり、さらにはこの主人公たちのような異端者つまりダイバージェントが存在する。やっぱり主人公は誰とも似てたらダメなんだよね。異端でなくちゃいけないし、孤独がつきまとい、でも恋人だけはちゃんといる。そういうことからいえば、ダイバージェントは正統な主人公像だ。

 けど、そんなことはいいんで、観てておもったのは、無欲アブネゲーション、平和アミティ、高潔キャンダー、博学エリュアダイト、勇敢ドーントレスっていう分け方で、やっぱりアメリカ人ってのは老いも若きもいちばんは無欲なんだよね。群れてる連中と異端者が「自由」を背負っているからその親となるのはやっぱり理想でなくちゃいけないんだろね。でも、無欲はあくまでも理想であって、頭は悪くて利用されちゃったりもするけどやっぱり絵的にかっこいいのは勇敢だろってことで、舞台は『ハンガー・ゲーム』みたいな展開になって、そこで訓練に明け暮れる若者たちの姿を追うことになる。未来の若者はどうしてこういうふうに徴兵制の軍事訓練施設みたいなところに放り込まれるんだろう?いや、ぼくはそんなことが書きたいんじゃない。

 これが日本人だったら「平和とかっていうのかな~」とおもって観てた。日本人はほんと平和が好きだ。イギリス人が高潔が好きで、ドイツ人が博学が好きなように見えるのと同じで、日本人は平和大好き民族なんだよね。おもいっきり皮肉を込めて。

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ピエロがお前を嘲笑う

2015年10月02日 00時00分39秒 | 洋画2015年

 ◎ピエロがお前を嘲笑う(2015年 ドイツ 106分)

 原題 Who Am I - Kein System ist sicher

 監督 バラン・ボー・オダー

 

 ◎仮面と地下鉄

 なるほど、地下をすいすいと移動してゆく仮面の男たちというのは、実にいいえてる。

 ただ、どうしてハッカー(クラッカー?)は男ばかりなんだろ?女がいたっていいじゃんね。で、映画の途中からこんなことを考えてた。すべては34歳の大学生ハンナー・ヘルツシュプルングの仕組んだことなんじゃないかって。けど、そこまで入り組んではいなかった。たしかにコンピュータについては僕はさっぱりわからんから「これは困ったことになったかもしれない」と冒頭観てておもったんだけど、結局のところ、ITの世界は小道具大道具つまり修飾部分なんだね。でも、おもしろかった。

 そもそも『アクロイド殺し』と同じようなもので、告白から始まるどんでん返し物というのはその告白のどこかあるいはすべてに嘘が隠されているもので、これを信用すること自体、まちがってる。だから、ぼくたちとしては、こいつの嘘はどこにあるんだってことから観始めないといけない。でも、ホテルの中での3人の男の惨殺死体と語り部の怪我の具合からして、これはかなりの部分ほんとなんじゃないかって製作者側の術中に嵌まっていく僕がいた。まんまとやられた。

 にしても、だ。

 どんでん返しの応酬というのはまあまあ気持ちのいいもので、それが2度続くと3度あるのは見えてくる。途中までが常に逆境になっていくのを逆に跳ね返しているものだからこれはこれでいいとしても、警察に助けてくれと駆け込んでくること自体、主人公たりえないわけだからそこに陰謀あるいは作戦があるのは自明のことだし、たとえ駆け込んできたのがほんとうであってもそののち刑事と同等の立場に立って事件の解決に邁進し、やがては自分の手で大団円まで持ち込まなければならない。それが物語の鉄則だからだ。だから途中からラストはおぼろげに見えてくるものの、いやあ、あの惨殺がフェイクってのには騙された。嘲笑われた。

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チャイルド44 森に消えた子供たち

2015年10月01日 02時33分31秒 | 洋画2015年

 ◇チャイルド44 森に消えた子供たち(2015年 アメリカ 137分)

 原題 Child 44

 監督 ダニエル・エスピノーサ

 

 ◇アンドレイ・チカチーロ

 ウクライナ生まれの連続殺人者がモデルになっているようだけど、史実との差異についてはともかく、物語についていえばどうにも散漫な印象だった。

 リドリー・スコットが製作になっているからといって、それだけの迫力が出るかといえばそうではないし、そもそも僕みたいな不勉強者は1953年のソヴィエトについてよくわかっていないし、その20年前にはソヴィエトは一大飢饉に見舞われ、カニバリズムにまでいたり、それも子供たちが犠牲になったとかっていう事実もまるで知らなかった。

 そこへもって、知らないことだらけの世界に自分のアイデンティティを探してゆく主人公の回想と、その妻との間に横たわる亀裂と愛情の再確認、スターリンによる「ソヴィエトに殺人はない」という欺瞞の暴露、そしてようやく子供の連続殺人の解明などが一緒くたになってぎゅうぎゅう詰めに詰め込まれてるんだから、まああかん。前半、とくに30分が過ぎるまでは「なんだい、連続殺人事件の解明劇じゃないのか?」という戸惑いからまったく立ち直れず、観る作品を間違えたんだろうかとまで、まじにおもったりもしたくらいだ。やっぱり、焦点の絞り切れない物語はどうしてもぼんやりしちゃうし、中でもいちばん謎の解明が中途半端になるのはあかんでしょ。

 ただまあ、ずんぐりむっくり低音呟きトム・ハーディのいかにもタフガイめいた肩で風切る歩き方を見てると、なんだか『欲望のヴァージニア』みたいな印象を受けたりして、どうにもMGBソヴィエト国家保安省の将校のようには見えない。まあそれは、ノオミ・ラパスにしてもおんなじでなんか『ミレニアム』をひきずっちゃうんだよな~。

 ただ、トム・ハーディとゲイリー・オールドマンのコンビでソヴィエト連邦内の殺人事件の担当をすることになったわけだし、そういうのからすると、これって3部作とかのシリーズになりそうな気配が嫌っていうほど濃厚に漂ってるのもなんだかな~って感じはあるよね。登場人物の紹介版かよ、みたいな。この先、どないすんねんっ。

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