阪神大震災から25年。5時46分、TV画面の「1・17つどい」会場に合わせて、1分間の黙祷をした。被災者の号泣、嘆き、苦しみの場面を数多く見てきたが、本当に胸が痛くなる。幸いにも関西地区の知り合いには、家屋倒壊はあったものの、死者は出ず、良かったのだが、1月17日は、2年後に知ったある人の話が思い出され、やるせない気持ちになる。ボストン出張時に、仕事を終え、関係者と夕食をとっていた時に、震災の話になり、神戸の方が、家族三人が瓦礫の下になり、夕方当人ご夫婦は助け出されたが、二十歳の娘さんは、時間がたつにつれて体力が消耗し、12時間後にそれまで声を出し励まし合っていた声がかすれ、ついに途絶えるその状況を生々しく涙ながらに伝えてくれた。小さい時から親子のたどった道を、愛情たっぷりに、・・・。夕食を共にしていた仕事仲間の目はみんな涙にうるんでいた。これ以上の悲劇はない、また、家族の愛はないと思ったことを思い出す。いずれやってくる、大震災、またまた何も準備できていない自分を責めてしまう。