家康の伊賀越え逃走路を調べ、少しずつ整理をしている。現地に行き、土地の人の有力情報を求めながら、昔の地図上にその通過したコースを記している。地図は、今昔マップを使い、昔と現在の地図を照らし合わせながら、パワーポイント上で編集する。通過コースをフリーハンドでたどり、これが中々うまくいかない。ちょっと、カーソルを移動すると、行きすぎたり、凸凹ができるので、注意を要する。右腕に満身の集中で、その道をなぞっていくが、それでもうまくいかないケースが多い。一つの道を十数回やり直しながら、一応、飯盛山西麓(四条畷)~草内の渡しまでの通過道と、主な地名および目印になる山川池街道などを記入した。9月イベント参加申込みにおける関西歴史ファンの期待に応えられるバックボーン資料として、また講演時の資料としても活用できるものとなり、難儀ではあったが、まずまずのものができた。個々の地図の大きさを調整すれば、一つの地図上で全逃走路が完成する。
ができた。
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