数年前に、龍馬に関する古文書が大量に見つかったので、期待していたのであるが、大政奉還前後の龍馬の動きが年初に発表された。最近では、薩長同盟に関する発表もあり、今回も興味深い講演であった。講演者は京都国立博物館の宮川禎一氏。『薩摩藩が決めかねていた長州藩との同盟は、寺田屋事件による幕府、伏見奉行の動きにより、幕府側が薩摩を敵にしてしまったことが原因である。しかも、龍馬が仕組んだものかもしれない。これらが、龍馬が土佐の兄に送った手紙から分かる。』とのことでした。帰宅後、関連資料や宮川説のテレビ録画を見るとそう思える。宮川氏と講演後幾つかの質疑をし教えていただいた。龍馬の資金源は、福井の松平春嶽で、新政府のトップは春嶽(幕府と尊王、細川内閣)をということだった。前者は納得、後者は、??というと、私、考古学が専門ですからと・・・。
ちょっと気になる事は、司会者が「みやがわ」と何度も発していたことである。正しくは「みやかわ」であり、宮川氏も講演の最初にこのことをよく言われる。著名な講師の名前を間違う市、教育関連の部署を誠に遺憾に思う。
ちょっと気になる事は、司会者が「みやがわ」と何度も発していたことである。正しくは「みやかわ」であり、宮川氏も講演の最初にこのことをよく言われる。著名な講師の名前を間違う市、教育関連の部署を誠に遺憾に思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます