世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
正気か?
まーいいか
多分病院のベッドでうっすら目を開けて寝ている。
そばに、誰かいるかもしれないし、いないかもしれない。
最後になるだろう薄れて行く意識の中で(まーいいか。)と思えたら最高ではないだろうか。 できれば、傍にいる人も(まーいいか。)みたいな顔で笑っていると尚いい。
家族も、地球も(これでいい)と満足すれば話は終わり,つまらない。
時代や境遇・生老病死を超えて(まーいいか)ぐらいが自然で最高の幸せかもしれない。
(出ようか、出まいか‥)→(まーいいか)が人生のようだ。
こうやって 準備は出来ているのに、そばを食べたら、カジノのおこぼれ?600百円を使って、囲碁の修行に出かける。(まーいいか)
てんもんだ。
出ようか,出まいか
僕は、お母さんのおなかの中で思った。
外へでようか、出ないでこのままお母さんのおなかにいようか??
大体外へ出ると言うのに、どこで、誰に手伝ってもらって出ればいいのだろう? この間、どこかのお母さんが死んじゃった。
例えうまく出られても、お父さんやお母さんは急がしいようだから、僕の相手をしてくれるか心配だ。風邪を引いても留守番をさせられたり、最近は夜中に熱出しても見いてくれるお医者さんを探すのが大変だと言う。
そのくせ、早々あれこれ お稽古だお勉強だと、忙しいらしい。
外へ出て6年もすると、学校へやらされ、家にいても、学校へ行っても、学校から帰っても、「勉強だ!勉強!お前のため。」と言われるだけで相手もしてくれない。話もしない。
うんざりして、学校へ行けなくなったり外へ出られなくなる人もいっぱいいると言う。
それだけじゃない、 その後、中学・高校・大学と、テストまたテストの毎日、やっと卒業してお勤めしても、相変わらず評価評価で家族で食事も出来ないようだ。山や海どころじゃない。
お母さんのおなかから出たらすぐその国の借金を背負わされ、将来返さないといけないらしい。 働いて年取っても、年金も怪しく、病気にでもなれば、後期高齢者と言われ疎んじられ、怪しい年金の中から、病院代が持っていかれる。 一人さびしく死んでいく老人が1日に300人からいると言う。
大きな借金と、壊れた地球を用意して、僕の出てくるのを首を長くして「待っている」と言う。
最近は大人がカジノをやって失敗し、そのつけまで用意しているらしい。
口では『おめでとう』と言うが、なんていうお祝いだ!
『外へ出ようか、このままジーとしていようか』
僕は正直迷っている。
お父さんやお母さんは、『子供のころ近所の馴染みの子と、よく山や川へ言って遊んだよ』と懐かしそうに言うけど、忘れちゃったのかなー?
学校の先生も「昔の事だ」と思っているのかなー?
僕は博打に向いているかナー?
外へ 出ようか、出まいか‥