世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
景気
来年度のGDPは予想をはるかに超え震源地のアメリカより3倍も下落幅(マイナス12・7%)が大きく主要国中最悪らしい。
【損害軽微なり】はやっぱり根拠がなかった。
景気後退の大きさの原因はそれなりに分かってるつもりだが、政治が模索してる対策が理解できない。
政府の景気対策を批判する野党の政策も同じように理解できない。
(ど素人の考えだが)これだけ経済の体力をなくしていて、財政投資や公的資金投入で景気が回復(見かけは別として)するはずがない。不景気は産業構造に起因しているのであって、ここまで体力を落としていては輸血などお金の回し方では間に合わないだろう。
これではどっちみちこじらせそう長引かせるだろう。
程度の差こそあれ、どの論者の発想【処方箋】もお金を回す事ばかりで画一的なのがおかしい。一つの思考停止。
直感だが、こんなだったら不景気は予測でき防げたはずである。
時も時、総理の郵政発言や国際会議で大臣の泥酔をメディアが批判しているが、ここまできては政治や政治家の責任を追求しても意味がなく、生み出し育ててきた我々国民やメディアが自らの責任を問うて、思考停止を解除したほうがいい。 (勿論全部とは言わないが)メディアは何時までも調子に乗っていないで、政治家に向ける言葉をそのまま自分に向けて恥(の文化)を知ってほしい。政治も経済もタグを組んで
今日までリードしてきてではないか。
【損害軽微なり】はやっぱり根拠がなかった。
景気後退の大きさの原因はそれなりに分かってるつもりだが、政治が模索してる対策が理解できない。
政府の景気対策を批判する野党の政策も同じように理解できない。
(ど素人の考えだが)これだけ経済の体力をなくしていて、財政投資や公的資金投入で景気が回復(見かけは別として)するはずがない。不景気は産業構造に起因しているのであって、ここまで体力を落としていては輸血などお金の回し方では間に合わないだろう。
これではどっちみちこじらせそう長引かせるだろう。
程度の差こそあれ、どの論者の発想【処方箋】もお金を回す事ばかりで画一的なのがおかしい。一つの思考停止。
直感だが、こんなだったら不景気は予測でき防げたはずである。
時も時、総理の郵政発言や国際会議で大臣の泥酔をメディアが批判しているが、ここまできては政治や政治家の責任を追求しても意味がなく、生み出し育ててきた我々国民やメディアが自らの責任を問うて、思考停止を解除したほうがいい。 (勿論全部とは言わないが)メディアは何時までも調子に乗っていないで、政治家に向ける言葉をそのまま自分に向けて恥(の文化)を知ってほしい。政治も経済もタグを組んで
今日までリードしてきてではないか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
俯瞰する能力の高め方
学力であるかのような見出しにしにしてみた。
関心はあるが、よく分らない。
明日考えてみよう。
(続き)ここ2~3年地球を俯瞰して自分たちを見て見ようと意識することが多くなった。
俯瞰図と言えば、昔描かれたお城や村の地図や子供達に地図の指導の前段階で教えた絵地図や家の見取り図などを思い出すが、
スポーツするときのイメージトレーニング、劇の脚本作りや演技の練習、授業の指導安、子供の内面など、頭の中での想像しているものは似ている。座禅も近い。
鳥瞰図は時間の流れも含む全体的な空間意識のイメージ化したものかもしれない。
そうすると、いろいろな種類の俯瞰図が必要になる。
宇宙から心の小さな動きまで個別に無数の俯瞰図ができ、それを全部納めた1枚の大きな俯瞰図が描けるかもしれない。
家近辺の絵地図だって判りやすく書くのは難しい。
デッサンのように繰り返し練習してそれらしく描けるようになるのだろう。
「俯瞰する能力」もまた学習して養われるのだろう。
長い教師生活で、沢山のテストを作り実施したが、意識して
俯瞰能力をテストしたことがない。
たいていのテストは俯瞰能力と関係ない部分的な知識と技術で間に合うし、逆に俯瞰するような全体的能力を測るテストは作れないかもしれない。
自分は今、独りよがりの日記でも書いているうちに俯瞰する力がつくのではないかと考えて練習の意味もあって書いている。
囲碁では常に大局観が求められるが、俯瞰する力と通ずるところがあるかもしれない。
本を読んだりしての間接経験は見聞を広め想像力を助けてくれる事はあるが、実際の直接経験は想像したりや俯瞰する場合より大きな力になるように思う。
今は生活上も直接経験が減り、学習や研究・仕事・責任など、社会生活や仕組みが現実にはありえない縦割り細分化されてる現在、現実の存在そのものの横断的・総合的・全体的な認識からなる俯瞰する能力は育ちにくい。
政治も経済も社会も俯瞰能力は(機能不全といって良いほど)機能せず先行きが不透明な現在、社会はこの力が必要だろう。
自分はこうしてまず書いてみる。
関心はあるが、よく分らない。
明日考えてみよう。
(続き)ここ2~3年地球を俯瞰して自分たちを見て見ようと意識することが多くなった。
俯瞰図と言えば、昔描かれたお城や村の地図や子供達に地図の指導の前段階で教えた絵地図や家の見取り図などを思い出すが、
スポーツするときのイメージトレーニング、劇の脚本作りや演技の練習、授業の指導安、子供の内面など、頭の中での想像しているものは似ている。座禅も近い。
鳥瞰図は時間の流れも含む全体的な空間意識のイメージ化したものかもしれない。
そうすると、いろいろな種類の俯瞰図が必要になる。
宇宙から心の小さな動きまで個別に無数の俯瞰図ができ、それを全部納めた1枚の大きな俯瞰図が描けるかもしれない。
家近辺の絵地図だって判りやすく書くのは難しい。
デッサンのように繰り返し練習してそれらしく描けるようになるのだろう。
「俯瞰する能力」もまた学習して養われるのだろう。
長い教師生活で、沢山のテストを作り実施したが、意識して
俯瞰能力をテストしたことがない。
たいていのテストは俯瞰能力と関係ない部分的な知識と技術で間に合うし、逆に俯瞰するような全体的能力を測るテストは作れないかもしれない。
自分は今、独りよがりの日記でも書いているうちに俯瞰する力がつくのではないかと考えて練習の意味もあって書いている。
囲碁では常に大局観が求められるが、俯瞰する力と通ずるところがあるかもしれない。
本を読んだりしての間接経験は見聞を広め想像力を助けてくれる事はあるが、実際の直接経験は想像したりや俯瞰する場合より大きな力になるように思う。
今は生活上も直接経験が減り、学習や研究・仕事・責任など、社会生活や仕組みが現実にはありえない縦割り細分化されてる現在、現実の存在そのものの横断的・総合的・全体的な認識からなる俯瞰する能力は育ちにくい。
政治も経済も社会も俯瞰能力は(機能不全といって良いほど)機能せず先行きが不透明な現在、社会はこの力が必要だろう。
自分はこうしてまず書いてみる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
それぞれの反省から
アメリカは今日に至った原因を強欲と無責任と失政にあると公言しチェンジを呼びかけたオバマ氏が黒人のハンディを乗り越えて大統領になった。 仲良しで同じようなことをしてきた日本では未だに各界から反省の言葉がほとんど聞かれない。 反省なくして新しいい出発ができるだろうか? そのせいか全体がもたもたしていて、政治はその一端にしか見えない。 ここまで来ると、総理や内閣の支持率は大した意味を持たないと思う。 私のように、大声で批判し揶揄して己の責任を転嫁していないだろうか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
戦争と重なるイメージ
見ていると、地上はどこも経済や産業が大変なようだ。
ゆったりやっているところが見つけにくい。
ザーッと見て、飢餓に苦しむ人は6人に1人、疫病が広がっても手付かず、 氷が解けて漁に出られず、島が沈んで島から追われ、畑地が砂漠化し移動を迫れれ。豊かだったはずの先進国も100年の1度の経済危機で大あらわ。
経済の厳しさをかつて【経済戦争】と言われた事があるが、今は更に激しさを増しているようだ。
経済の戦場はまさにグローバル化し、第2次世界大戦より範囲は広い。
自分は昭和16年生まれだから殆ど後から知らされたことだが、似たものを感じなくもない。
画一的な発想、 膨大な赤字国債発行、子供達は勉強らしい勉強をさせてもらえない。
銃後の守りのように父(時には母も)のいない食事、浮ついた派手さと暗い世相一面的な情報と流されない情報の多さ。
特に価値の画一化と、銀行券や赤字国債発行に歯止めがかからない。
俯瞰する冷静さが感じられない。
勝つためにバケツリレーでも竹やりでも何でもやります的な(定額給付金、派遣切り、高齢者医療、健保や生活保護や補助金カット。
大本営発表は当てにならず、「損害は軽微なり」。
お百姓さん、漁師、きこりのやっている事が戦には見えない。
産業や経済は元々、協力・共生ではなかっただろうか?
ゆったりやっているところが見つけにくい。
ザーッと見て、飢餓に苦しむ人は6人に1人、疫病が広がっても手付かず、 氷が解けて漁に出られず、島が沈んで島から追われ、畑地が砂漠化し移動を迫れれ。豊かだったはずの先進国も100年の1度の経済危機で大あらわ。
経済の厳しさをかつて【経済戦争】と言われた事があるが、今は更に激しさを増しているようだ。
経済の戦場はまさにグローバル化し、第2次世界大戦より範囲は広い。
自分は昭和16年生まれだから殆ど後から知らされたことだが、似たものを感じなくもない。
画一的な発想、 膨大な赤字国債発行、子供達は勉強らしい勉強をさせてもらえない。
銃後の守りのように父(時には母も)のいない食事、浮ついた派手さと暗い世相一面的な情報と流されない情報の多さ。
特に価値の画一化と、銀行券や赤字国債発行に歯止めがかからない。
俯瞰する冷静さが感じられない。
勝つためにバケツリレーでも竹やりでも何でもやります的な(定額給付金、派遣切り、高齢者医療、健保や生活保護や補助金カット。
大本営発表は当てにならず、「損害は軽微なり」。
お百姓さん、漁師、きこりのやっている事が戦には見えない。
産業や経済は元々、協力・共生ではなかっただろうか?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
どこか違う
学力だ、塾だ、進学だと、官民一体でまっしぐらに進んでいる感じである。
こうした中で、親も子供もそれから外れる事は難しい。
ところで子供達に求める学力は、本当にこの社会が求めているものだろうか?
学力は学力テストで判定される。
40数年前、学校現場に入り、教師も、親も、子供も、テストに対する関心は自分が学校で経験してきた以上だった。確かにそれで、成績表をわたされ、学力が評価されるのだから仕方ないと言えば仕方ない。
子供の幸せを願えば、【教育ママ・パパ】も当然かもしれない。
ところで、子供の学力(テスト)を上げるために誰もが用いる方法があった。
国語なら漢字練習、算数なら計算練習である。
進捗状況が誰にも分り、テストでは漢字と計算は必ず出題され、一定程度の点数は確保できる保障があったからだ。
学級担任も、学級平均を他の学級と比べるから、やたら漢字計算のスモールテスト
を繰り返し、宿題にする傾向があった。
それは勤務した全ての地域と学校に言えた。
中学高校大学と進めばそんな単純ではないが、大きな仕組みは同様だった。
全体的な人間力の中で【学力】の占める位置がそうなっている。
子供は小さいときからこの学力を求められそのために時間を費やす。逆にその間、他の発達や人間力を育てるチャンスをなくしていることを意味してる。
説明するとかなり論証的になりややこしいいから、ここでは極単純化する。
将来、どんな会社で仕事をしても、会社でなくても、どこでどんな仕事をしても、【漢字や計算】に象徴される学力がどこでも求められるだろう?
どんな仕事も現場で求められるのは、コミュニケーション、応用力、創意工夫や想像性、精神的社会的能力のような、学力テストでは測れない、塾やドリルで奪われていたチャンスの中でしかつけられない力ではないだろうか。
現実の社会は、大人が何て言おうと、学力や肩書きで通る時代は過去のものになってきてはいないだろうか?これでは産業発展、海外競争でも遅れを取るだろう。
学力や大学名で仕事のできる時代は過ぎ、片肺飛行で最高学府を出て、リストラされても、行き場がない。
海外に目を向けても、かなり多くのの先進国が教育のかじを既に切っている。
外交、経済対策、医薬品、教育などなど、範にしてるアメリカやヨーロッパなどの先進国が舵を切っても、世界第2の経済大国が、もたもたしと切り換えられないでいるものが少なくない。
東京の場合、銀行、オリンピック(これからだが?)教育行政、成熟した国際都市など、古い発想で失敗しているものも少なくない。
こうした中で、親も子供もそれから外れる事は難しい。
ところで子供達に求める学力は、本当にこの社会が求めているものだろうか?
学力は学力テストで判定される。
40数年前、学校現場に入り、教師も、親も、子供も、テストに対する関心は自分が学校で経験してきた以上だった。確かにそれで、成績表をわたされ、学力が評価されるのだから仕方ないと言えば仕方ない。
子供の幸せを願えば、【教育ママ・パパ】も当然かもしれない。
ところで、子供の学力(テスト)を上げるために誰もが用いる方法があった。
国語なら漢字練習、算数なら計算練習である。
進捗状況が誰にも分り、テストでは漢字と計算は必ず出題され、一定程度の点数は確保できる保障があったからだ。
学級担任も、学級平均を他の学級と比べるから、やたら漢字計算のスモールテスト
を繰り返し、宿題にする傾向があった。
それは勤務した全ての地域と学校に言えた。
中学高校大学と進めばそんな単純ではないが、大きな仕組みは同様だった。
全体的な人間力の中で【学力】の占める位置がそうなっている。
子供は小さいときからこの学力を求められそのために時間を費やす。逆にその間、他の発達や人間力を育てるチャンスをなくしていることを意味してる。
説明するとかなり論証的になりややこしいいから、ここでは極単純化する。
将来、どんな会社で仕事をしても、会社でなくても、どこでどんな仕事をしても、【漢字や計算】に象徴される学力がどこでも求められるだろう?
どんな仕事も現場で求められるのは、コミュニケーション、応用力、創意工夫や想像性、精神的社会的能力のような、学力テストでは測れない、塾やドリルで奪われていたチャンスの中でしかつけられない力ではないだろうか。
現実の社会は、大人が何て言おうと、学力や肩書きで通る時代は過去のものになってきてはいないだろうか?これでは産業発展、海外競争でも遅れを取るだろう。
学力や大学名で仕事のできる時代は過ぎ、片肺飛行で最高学府を出て、リストラされても、行き場がない。
海外に目を向けても、かなり多くのの先進国が教育のかじを既に切っている。
外交、経済対策、医薬品、教育などなど、範にしてるアメリカやヨーロッパなどの先進国が舵を切っても、世界第2の経済大国が、もたもたしと切り換えられないでいるものが少なくない。
東京の場合、銀行、オリンピック(これからだが?)教育行政、成熟した国際都市など、古い発想で失敗しているものも少なくない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
情報と情報化
現代は情報化社会だと言われる。マスメデアメディア、通信機関、通信機器の発達で、世界の情報が溢れるように多くなったことはなった。
ある意味で社会もにんげんんもすべての生き物も情報によって動いているとも言える。
ところで、周囲にある客観的に存在する《情報》や我々に々にとって必要とする情報と情報化され【伝えられる情報】は異なる。
人に認識され社会に必要とされる情報と人々に伝えられる情報化された情報の間には大きな開きを感じる。
感覚的にはその比率は10:3ぐらいかと思う。
要するに、伝えられるべき情報の中で実際に伝えられているのは半分以下の感じがしている。
我々が目隠しされているとまでは思わないが、意図的に伝えられない情報や、元々の《情報が》が逆の意味で【情報化】されているものも少なくないから、我々は周囲の状況を知り必要とする情報を捉えるのが難しい中にいるのだと思う。
社会の中でこれだけ予期されない事が次々起きるのはその証明ではないだろうか。
ある意味で社会もにんげんんもすべての生き物も情報によって動いているとも言える。
ところで、周囲にある客観的に存在する《情報》や我々に々にとって必要とする情報と情報化され【伝えられる情報】は異なる。
人に認識され社会に必要とされる情報と人々に伝えられる情報化された情報の間には大きな開きを感じる。
感覚的にはその比率は10:3ぐらいかと思う。
要するに、伝えられるべき情報の中で実際に伝えられているのは半分以下の感じがしている。
我々が目隠しされているとまでは思わないが、意図的に伝えられない情報や、元々の《情報が》が逆の意味で【情報化】されているものも少なくないから、我々は周囲の状況を知り必要とする情報を捉えるのが難しい中にいるのだと思う。
社会の中でこれだけ予期されない事が次々起きるのはその証明ではないだろうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
保護主義
世界が対峙ている一つに貿易の自由化と保護主義がある。
これまでのいきさつからヨーロッパや日本も貿易の自由化を強く求めている。
しかし、国の経済政策として、自国の産業を守リ支援するのは国民の命や財産を守るのと同様当然かもしれない。だから日本もヨーロッパも他の国も自国の産業保護をやっていない国はない。しかし可也多くの国が貿易の自由化で後戻り出来ないところまで来ていることも確かである。
アメリカが貿易の自由化を求めそれに応じてきた経過でのことだから、ややこしいが、問題はどこで線を引くかだろう。
今春のG7やG20の主要議題だが、世界は日本の経済ニュースで解説するような状況とは違うではないか?
今度は、一方からは自己責任が求められるだろう。
国は世界的な地球的な中での自立と協力共生の統一的な判断力が試されているようだ。
的を得ない情報が当たり前だと伝えられ、まともな情報は伝わっていないのではないか。
これまでのいきさつからヨーロッパや日本も貿易の自由化を強く求めている。
しかし、国の経済政策として、自国の産業を守リ支援するのは国民の命や財産を守るのと同様当然かもしれない。だから日本もヨーロッパも他の国も自国の産業保護をやっていない国はない。しかし可也多くの国が貿易の自由化で後戻り出来ないところまで来ていることも確かである。
アメリカが貿易の自由化を求めそれに応じてきた経過でのことだから、ややこしいが、問題はどこで線を引くかだろう。
今春のG7やG20の主要議題だが、世界は日本の経済ニュースで解説するような状況とは違うではないか?
今度は、一方からは自己責任が求められるだろう。
国は世界的な地球的な中での自立と協力共生の統一的な判断力が試されているようだ。
的を得ない情報が当たり前だと伝えられ、まともな情報は伝わっていないのではないか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
雇用対策
自分なりに雇用対策を考えてみたい。 これまで年から年中、世の中は経済対策をやってきて、今日に至ったと言えなくもない。 これまでの産業構造の発展方向(第1次産業→金融産業)を(第1次産業←他の産業)へと産業構造を変える事を前提に対策を考える。 先ずはセイフテーネットを確認すべく、急いで生活保護・雇用保険・とりあえずの雇用対策のチェックはしなければならない。 それと同時に、雇用の基本対策が必要である。 雇用対策の基本は仕事も収入もそれなりに分け合うことである。 今のような100年に1度の不況の中で、誰もが贅沢や無駄を省き、相対的であっても取りすぎは許されない。 にも拘らず、街へ出てみても、テレビを見ていても、そこに手がつけられていない。 我が家は、毎日配達される膨大な新聞折込は、そのまま有料の回収の袋に入れる。 官・民・個人とも、過不足や無駄が大き過ぎる。 大金持ちは言うに及ばず、正社員であろうと公務員であろうと、職と収入をなくした人と先ずは調整して分け合うことだ。 分け合うと言うが、社会全体が無駄かどうかを精査すればそれほど無理はない。 とりあえず、これで雇用は落ち着くはずである。
ここから、本格的な産業対策をすれば良い。 原理的に地球上の生き物の中で人類だけが例外的に一方的に地球への侵食が許されるはずがない。 「人類も食べて生きるために必要なものは自分で賄う。」を原則として、第1次産業〈農林・水産・林業を中心に鉱業は補助的)の文化的・経済的見直しをして、人、技術、制度、資本を振り向け発展を方向付けるといい。 1時的にはGDPは下降し、質素な生活に思えるが、人々は安心し将来に夢を持ち、子孫への付けは暫時減少するはずである。 やがて地球は健康を回復し、緑と青空そして子供の弾む声と笑顔が戻って来る。
I have a dreem.(キンIグ牧師)でいいのだ! 、
ここから、本格的な産業対策をすれば良い。 原理的に地球上の生き物の中で人類だけが例外的に一方的に地球への侵食が許されるはずがない。 「人類も食べて生きるために必要なものは自分で賄う。」を原則として、第1次産業〈農林・水産・林業を中心に鉱業は補助的)の文化的・経済的見直しをして、人、技術、制度、資本を振り向け発展を方向付けるといい。 1時的にはGDPは下降し、質素な生活に思えるが、人々は安心し将来に夢を持ち、子孫への付けは暫時減少するはずである。 やがて地球は健康を回復し、緑と青空そして子供の弾む声と笑顔が戻って来る。
I have a dreem.(キンIグ牧師)でいいのだ! 、
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
何で壁の内側からしか見ないのか。
午前中、NHKは〈雇用不安時代)を中心テーマに、街の人やメールで一般市民の声を折り込みながら、局の関係した解説委員6~7人が同じテーブルで2時間かけて、司会者を置いて解説し合った。
どの人解説者も外国にも詳しい
内外の情報を総合的に持ち合わせた専門家に見えた。
初めて聞く情報もあったが、
どの解説委員も課題をどうやり繰りするか、壁を前にして今立っている所からどう乗り越えるかの解説ばかりだった。
何故ここに至ったか?壁はどうなっているか?壁を越えた向こうはどうなっているか? と俯瞰して見る人が一人もいない。
つまり、どうして、どのように雇用不安に至ったのか?失業の状況は?、仮に雇用を解決したとき、どんな経済社会にが見えるか?この視点がない。
街の声やメールもほぼ同様で、我々皆が思考停止状態になっていることを改めて知らされた。
それでも、メールの中に、農業、食料自給、第1次産業振興など、産業に目を向けたものもあった。残念ながらどの解説者もそれには何の反応も見せなかった。
情報的には比較にならにほど持っている解説者が、比較にならないほど情報を持たない街の人の物の見かたが出来ないでいる。言い換えれば、俯瞰する力は街の人の中にまだ残っていると心強く思った。
国会の論議や、これまで見てきた討論会、専門家の話も殆どが、壁の内側〈自分の立っているところ)から見たものばかりだった。
しかも、その立場から専門的な知見を披瀝するだけで、捜し求め創造的に学習して新しい答えを見つけるような姿勢がないから、 今日の解説のように、大事な街の人の声が単なる、(素人の素朴な声)であるかのように無視され流される。
とにかく我々は酷い思考停止の状態の中に立たされていると改めて思った。
後日、NHKラジオで今日と同じような番組を組むらしいが、改めて聴く気はしない。いつか【雇用創出】を書いて見たい。
どの人解説者も外国にも詳しい
内外の情報を総合的に持ち合わせた専門家に見えた。
初めて聞く情報もあったが、
どの解説委員も課題をどうやり繰りするか、壁を前にして今立っている所からどう乗り越えるかの解説ばかりだった。
何故ここに至ったか?壁はどうなっているか?壁を越えた向こうはどうなっているか? と俯瞰して見る人が一人もいない。
つまり、どうして、どのように雇用不安に至ったのか?失業の状況は?、仮に雇用を解決したとき、どんな経済社会にが見えるか?この視点がない。
街の声やメールもほぼ同様で、我々皆が思考停止状態になっていることを改めて知らされた。
それでも、メールの中に、農業、食料自給、第1次産業振興など、産業に目を向けたものもあった。残念ながらどの解説者もそれには何の反応も見せなかった。
情報的には比較にならにほど持っている解説者が、比較にならないほど情報を持たない街の人の物の見かたが出来ないでいる。言い換えれば、俯瞰する力は街の人の中にまだ残っていると心強く思った。
国会の論議や、これまで見てきた討論会、専門家の話も殆どが、壁の内側〈自分の立っているところ)から見たものばかりだった。
しかも、その立場から専門的な知見を披瀝するだけで、捜し求め創造的に学習して新しい答えを見つけるような姿勢がないから、 今日の解説のように、大事な街の人の声が単なる、(素人の素朴な声)であるかのように無視され流される。
とにかく我々は酷い思考停止の状態の中に立たされていると改めて思った。
後日、NHKラジオで今日と同じような番組を組むらしいが、改めて聴く気はしない。いつか【雇用創出】を書いて見たい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
人類の不適応現象
人類と地球の関係を見ると
【人類は地球に適応できていない。】感じがする。
全ての生き物は環境に適応して、生を繋ぐ。適応できないと、種はトラブルを起こし、減少し時には消える。
今地上の種は減少し絶やしている物もある。
人類だけは例外で常に適応しているとは言えない。
環境への適応状況は、色々な場面にある。
就学している子供は学校生活に適応しているかどうかは大きな問題である。
尤も学校の場合はやり方によって違い、学校が子供に適合していない場合もある。
地球は学校のようには作りかえられないから、人類が地球に適応しなければならない。
地球温暖化を始めとする地球の異変は人類によるものだと人類自身が考えている。しかし分っていても止められないでいる。
これは人類の地球への「不適応現象」と見てもいいのではないだろうか?
そう考えると、
世の中のいろんな問題は、本をただせば人類が地球への適応出来ないでいることからきていると考えて、解決可能とも言えるし、‥だから自力で抜け出すのは難しいとも言える。 根は深い。
(もし、人間以外の生き物が【少子高齢化】した場合、普通人間はその種の「不適応現象」と見なすだろう。もし、人間以外の生き物が足元を掘り起こし燃やし、島を沈め砂漠を増やし、住む場所を狭め始めたら異常行動と見るだろう。)
【人類は地球に適応できていない。】感じがする。
全ての生き物は環境に適応して、生を繋ぐ。適応できないと、種はトラブルを起こし、減少し時には消える。
今地上の種は減少し絶やしている物もある。
人類だけは例外で常に適応しているとは言えない。
環境への適応状況は、色々な場面にある。
就学している子供は学校生活に適応しているかどうかは大きな問題である。
尤も学校の場合はやり方によって違い、学校が子供に適合していない場合もある。
地球は学校のようには作りかえられないから、人類が地球に適応しなければならない。
地球温暖化を始めとする地球の異変は人類によるものだと人類自身が考えている。しかし分っていても止められないでいる。
これは人類の地球への「不適応現象」と見てもいいのではないだろうか?
そう考えると、
世の中のいろんな問題は、本をただせば人類が地球への適応出来ないでいることからきていると考えて、解決可能とも言えるし、‥だから自力で抜け出すのは難しいとも言える。 根は深い。
(もし、人間以外の生き物が【少子高齢化】した場合、普通人間はその種の「不適応現象」と見なすだろう。もし、人間以外の生き物が足元を掘り起こし燃やし、島を沈め砂漠を増やし、住む場所を狭め始めたら異常行動と見るだろう。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |