沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

テンペスト(西のアザナ 寧温の巧みな外交)

2011-01-29 | 琉球・首里城

 首里城は西を向いて城を構えているが、城壁の最西端に西(入り)のアザナがある。

東(上がり)、西(入り)の読み方は、太陽と方角が一体ですね。

この写真は、京の内から西のアザナをみたところです。

城壁が狭まっていくのがわかります。

 西のアザナは物見台になっていて、那覇市街、遠くには慶良間諸島が展望できます。

左手の方に那覇港があります。

テンペスト第3話(第13章大統領の密使)に描かれていますが、日本開国の指令を与えられた黒船艦隊のペリー提督が、浦賀入港の1ヶ月前に琉球王国に立ち寄り、艦隊の拠点設置を迫ったことはあまり知られていない。

黒船来航は、鎖国していた日本にとって大きな衝撃でしたが、首里城は高台にあるので、多嘉良(たから)は西のアザナの物見台から黒船艦隊を見下ろしています(第3話p213)。 

 西のアザナから首里城を見た写真です。

大きな屋根は正殿。右手前の大きな建物は、奉神門(主人公が正殿と間違えた第1話p95)。

右側の白い屋根は、まだ工事中だった書院・鎖ノ間の仮屋根。

一番左の屋根だけ見えているのが北殿で、評定所があったところ。 

 

王府は1853年にペリー提督一行を北殿で歓迎したものの、内容は茶菓子程度とし、城外にある大美御殿では中規模の式典でもてなしました(第3話p264)。

それから約150年後の2000年に開催された沖縄サミットでは、首里城の北殿で主要国首脳をもてなす晩餐会が盛大に開催されました。

 ペリーとの交渉に尽力する主人公の寧温は、朝薫とともに西のアザナから東シナ海を眺めています(第3話p302)。

翌年の1854年、琉米修好条約を結びましたが、その内容は、テンペスト(第4話p22-28)にあるように、4か月前に交わされた日米和親条約に盛り込まれた米国人居留地の設置や米国の最恵国待遇の条文は盛り込まれませんでした。

琉球王府の外交力の高さを示すものと言われています。

テンペストの作者の池上さんは、琉球王国の役人の優れた外交能力を、主人公に通じて伝えているのですね。

日米和親条約(1854年3月)

  • (第二条)アメリカに物資を補給(薪水給与)するために下田、函館を開港
  • (第三条)漂流民の救助、引き渡し
  • (第五条)アメリカ人居留地を下田に設定
  • (第九条)片務的最恵国待遇

琉米修好条約(1854年7月)

  • (第一条)自由貿易
  • (第二条)アメリカ船舶に対するに薪水の提供
  • (第三条)アメリカ船からの漂流民の救助
  • (第四条)アメリカに領事裁判権を認める
  • (第五条)アメリカ人墓地を設置及びその保護
  • (第六条)琉球国の水先案内に関する規定
  • (第七条)アメリカ船舶への薪水の提供に関する費用等

条約は、Wikipediaより

クイーンの塔(横浜税関資料展示室)

*****テンペスト関係記事一覧*****

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テンペスト(京の内)

テンペスト(暗シン御門)

テンペスト(首里城の復元計画)

テンペスト(多嘉良)

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テンペスト2夏雲、3秋雨、4冬虹(池上永一)

テンペスト1ー春雷(池上永一)

BS時代劇テンペスト


テンペスト(おせんみこちゃ)

2011-01-22 | 琉球・首里城

首里城の正殿の2階、階段を上がったところに「おせんみこちゃ」と呼ばれる部屋があります。

国王は女官とともに毎朝、東方に向かって拝んでいました。(窓の方向が東です)。

「御床(おとこ)」には神棚として神霊が祀(まつ)られ、女官は抹香(まっこう)を焚いて「火の神(ひぬかん)」等を拝礼しました。

身分の高い神女(しんじょ)の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われました。

首里城公園Official Sitehttp://oki-park.jp/shurijo-park/guide/inside_s.html

テンペスト第3話p134では、「神棚のおせんみこちゃに線香当番の女官が火を灯しにやってきた。」とあります。

神棚にある香炉に、線香か抹香を炊いて、火の神(ひぬかん)を礼拝したのですね。

実際はもっと暗いのですが、写真を工夫したら、香炉が写っていました。

夕方だったので、ちょうど、女官が火を灯しにやってきたところでした。

おせんみこちゃでは、朝と夕方の2回、礼拝が行われます。

テンペスト第3話p175では、「真美那の安産を祈るため、国王と神女・さしのあむしられ、随行を許された女官だけの特別な儀式が行われた。」とあります。

この時、恩戸(うみとう)は、おせんみこちゃ拝礼供之勢頭部(作事のあむしられ)として、用意した供物を差し出していました。

しかし、恩戸は心の中では、女官の世界にクーデターが起きることを火の神に祈っていた。

このクーデターが現実に起こり、恩戸は主人公への約束(第2話p300)を果たすとともに、主人公を助けることになります。

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テンペスト(寧温発見!)

2011-01-19 | 琉球・首里城

南殿(なんでん)の裏の狭い通路を通って、御内原(うーちばる)へ向かう琉装の人を発見。

紫の帽子だ。琉球王国では、紫は、親方など特別に身分の高いものだけが着用を許される。

この人は、テンペストの主人公の孫 寧温(そん ねいおん)なのか。

王府内の阿片密売組織を解明した功績により、寧温は大臣職である表十五人衆へ登用され、国王から「紫冠の帽子」をいただき、親方となった(第2話p170)。

 

寧温が、ある事情により、誰にも気づかれずに、御内原(女の世界)と王府(男の世界)を行き来する必要に駆られ、兄の嗣勇(しゆう)により、教えられた方法がこの道を通ることだった(第3話p279)。

御庭(うなー)を避けて、御内原から南殿の裏で、書院・鎖の間(さすのま)との間の狭い通路を通ることで、奉神門の外側の下之御庭(しちゃのうなー)に出ることができる。

これは御庭から、南の廊下(赤い色)と南殿を見たところ。この裏に、通路を挟んで、書院と鎖之間がある。

鎖の間は、琉球のお茶菓子を楽しめる休憩施設になっています。(300円)

花ぼうる、ちいるんこう、くんぺん、ちんすこう、さんぴん茶。

お茶菓子、建物、庭園の復元について、琉装の女性から丁寧な説明を受けられます。

庭園は、明治時代に撮影された写真が復元の重要な手掛かりとなった。

明治時代の写真と、同じ場所から撮影した復元後の写真

このほか、遺構、分析、検討、復元の様子が記された資料もいただけます。

古文書に記された琉球のお菓子の説明もあります。

右下3番目には、真美那が得意とする千寿糕(せんじゅこう)も紹介されていました。

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テンペスト(京の内)

2011-01-16 | 琉球・首里城

縁があって、急遽、沖縄へ行ってきました。

テンペストの舞台の首里城にも行きましたよ。

 

首里城は3つの空間(1政治・行政空間、2祭祀(さいし)空間、3国王の生活空間)に分かれていますが、現在開園されているのは1,2です。

首里城の祭祀空間は、京の内(きょうのうち)と呼ばれ、聞得大君(きこえおおきみ)が支配していました。

聞得大君は、琉球王国の神女(ノロ)の頂点として、国王や王国を守る存在で、王の親族が任命されています。

テンペストでは、主人公の敵役というか、かなり個性的な描き方がされていて、大丈夫かなと、心配ですが…。

聞得大君が支配する京の内。

入口から、中に入ると森が広がっています。

 まだ樹木の支柱が外れていませんが、時間の経過とともに、もっと大きな森に成長していくのでしょう。

奥には、神秘的な祠があります。もちろん、立ち入り禁止です。間違っても入ってはいけません。

この広場のような場所は、祭祀が行われたのでしょうか。

テンペスト第2話p269で、主人公の孫親方がうっそうと茂る原生林の祭壇に立ち、馬天ノロの勾玉を頭上に掲げ、琉球の大神キンマモンを降臨させた、とあります。

京の内は、神聖な区域ですので、城壁に囲まれています。

 

 ここを抜けると、京の内のアザナの物見台があります。

テンペストのラストシーンで、聞得大君だった真牛は、ここにやってきます(第4話p302)。

真牛は、この物見台から見る首里城正殿が好きだった。

正殿の屋根の龍が迫って見える、聞得大君だけが知る王宮の横顔。

目の前に広がる王国南部、自分の領地だった知念間切を望み、真牛は、この城壁から身を投げた。 

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テンペスト(暗シン御門)

2011-01-03 | 琉球・首里城

琉球小説テンペストに出てくる首里城の舞台。

上の写真は、正殿の2階の窓から、南側の未開園区域を望んだもの。

左の建物は、二階御殿(未開園区域)。

正面の草地は、奥書院や近習詰所(きんじゅうつめしょ)があったところ。

手前の芝生地は、黄金御殿(くがにうどぅん)があったところ。

黄金御殿の1階には、暗シン御門(クラシンウジョー)があった。

上の写真は、同じ場所から、少し西側(右側)を見たところ。

手前の細長い屋根が、南風(はえ)の廊下(南殿と正殿を結ぶ廊下)。

その上にある屋根が、南殿の屋根。

奥に見えるやや白い屋根が、書院。

書院と南殿の間には、細長い通路があり、奉神門に至る。

 

【真鶴が寧温に入れ替わる時】

 画面左側の世添殿から黄金御殿2階へ来て、1階に下りる。

 暗シン御門(クラシンウジョウ)内の「げらゑの間」で寧温に着替えて、南風の廊下から南殿と書院の間を通って行政空間へ出る。

【夜は真鶴、昼は寧温として二重生活をした時】

 上と同様に、寧温に着替えた後、「暗シン御門から出て久慶門から入り直す」とあるので、歓会門又は木曳門から城外へ出た後に、久慶門から入城。

 真鶴に戻るときは、上記の逆。

【寧温が、真美那から世添殿に招待され、門限ぎりぎりで急いで帰る時】

 世添殿から黄金御殿2階を通り正殿2階へ、1階に降りて南風の廊下から、暗シン御門へ。(ここで寧温が消える)

 げらゑの間で真鶴に着替え、二階御殿の前を通って、写真左の御内原入口の中門へ飛び込む。(真鶴は城外にいたことにしていたため)  

写真から、想像できるでしょうか。

沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座 久宜氏が、首里城の復元図として有名な沖縄県首里旧城図(横内扶氏の資料)をトレースした図には、暗シン御門(赤い部分)が明瞭に記されていました。げらゑの間の位置を加筆してみました。

http://www.maizou-okinawa.gr.jp/sokuho_2009/sokuho2009rezyume.pdf 

上の写真は、最近復元された書院。下の写真はその庭園。

書院は国王の執務室で、尚育王の抜擢により科試に合格した主人公の孫 寧温(そん ねいおん)の戴帽式が行われた場所だ。

その場で13歳の主人公は、三司官(行政の最高責任者)から、評定所筆者主取(ひょうていじょひっしゃぬしどり)という課長級の辞令を受け取る。

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テンペスト(首里城の復元計画)

2010-12-31 | 琉球・首里城

琉球小説テンペストに出てくる首里城ですが、平成21年10月現在の復元状況は上の写真の通りです。

国王の執務室の書院、王子の執務室の鎖之間(さすのま)と琉球庭園の復元に続き、淑順(しゅくじゅん)門が復元されています。

東(あがり)のアザナ、寝廟(しんびょう)殿、白銀(はくぎん)門、二階御殿(にーけーうどぅん)もそれぞれ復元されていますが、開園区域になっていません。

http://oki-park.jp/shurijo_park/syuri/b/b217000.html 首里城公園 御内原

http://www.dc.ogb.go.jp/kouen/shurijo/pdf/%E3%80%8Csyurichikuseibikeikaku%E3%80%8D.pdf#search 首里城 整備計画

今後の復元については、根拠資料などをもとに慎重に検討されているようですが、

黄金御殿(くがにうどぅん)、近習詰所(きんじゅうつめしょ)、奥書院、寄満(ゆいんち)、美福(びふく)門が対象となっているようです。

黄金御殿、近習詰所、奥書院が復元されれば、書院から正殿二階へ階段を上下することなく移動でき、琉球王国当時の国王の動線が復元されることになります。

また、男性社会である行政空間と女性社会である御内原の接点が明確になります。

御庭からの景観も、明治時代の古写真のように、復元されます。

テンペストの読者としては、物語のカギを握る暗シン御門(クラシンウジョウ)が、黄金御殿の1階としてどのように復元されるのか気になるところです。げらゑの間や空中庭園も復元されるのでしょうか。

 

それに、美福門が復元されれば、御内原が開園されることになります。

継世(けいせい)門から美福門を通って、白銀門や東のアザナへ。そして淑順門へと抜けられます。もちろん逆も。

復元後の見学者のルートは、下図に、動線計画として示されています。

こうした計画が実現され、琉球王国往時の様子がさらに再現されるようになると、琉球王国の素晴らしさや文化が伝わり、沖縄への理解が深まると思います。

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テンペスト(多嘉良)

2010-12-29 | 琉球・首里城

琉球小説のテンペストに登場する多嘉良(たから)。

首里城の王宮勤務のための最難関の試験である科試(こうし)。その受験対策のための予備校の一つ破天(はてん)塾で、主人公が出会ったのが、泡盛が大好きで人柄のいい多嘉良。受験に何度も失敗し、妻子もいるオジサンだ。

主人公とは異なり不合格だったが、久慶(きゅうけい)門の門番として採用される。

上の写真は、左から歓会(かんかい)門、久慶門、右掖(うえき)門。

首里城の見学ルートは、写真左下の歓会門から入城し、道なりに右に曲がって、階段を上がり、正殿に向かうが、最後は、北殿から写真右奥の右掖門を抜け、下り坂を進み、写真中央の久慶門から城外に出る一方通行だ。

往時は、歓会門と久慶門が王宮の出入り口で、門番は重要な役割をしていた。

下の写真は、北殿の裏から見たもの。上の写真とは逆方向から写したもので、手前が出口の久慶門、奥が入口の歓会門。

多嘉良は、銭蔵奉行(ぜにくら ぶぎょう)に人事異動する。

銭蔵奉行とは、泡盛を管理する部署。多嘉良は大喜びの配属先だ。

泡盛は王府の管理下で生産され、貴重な税収である。

銭蔵が存在した場所は、久慶門の東側の樹木が生い茂っているところ。表紙の写真では、樹木の下にブルーシートがちょっと見えてます。

遺構の発掘調査をしていたけれど、復元には今のところ根拠資料が不十分なようです。

国営沖縄記念公園 首里城地区 整備計画 p4,5参照

http://www.dc.ogb.go.jp/kouen/shurijo/pdf/%E3%80%8Csyurichikuseibikeikaku%E3%80%8D.pdf#search

 

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テンペスト(三重城:ミーグスク)

2010-12-26 | 琉球・首里城

琉球小説テンペストで重要な舞台となる三重城(ミーグスク)。

琉球の役人になるため、主人公が髪を切り、寧温(ねいおん)として生きることを決意した場所(第1話p40)。

薩摩の藩士、浅倉雅博と主人公が出会った場所(第1話p201)。

書類を抱えた主人公が、浅倉の目前でサンゴ礁の海に身を投げた場所(第2話p85)。

表十五人衆に出世し、紫冠の帽子をもらったことを、真鶴や父に報告しに来た場所(第2話p170)。

流人として船で八重山に向かう主人公を、浅倉が見送った場所(第2話p305)。

「おせんみこちゃ拝礼供之勢頭部」に出世した恩戸(うみとう)が、恩人の主人公の無事を祈願した場所(第3話p147)。

聞得大君だった真牛が、進貢船に乗る津波古(つはこ)を見送った場所(第3話p203)。

王国が滅びる日、明治政府の密命を受けた浅倉と主人公が再開する場所(第4話p272)。

琉球王国は、万国津梁の鐘に記されたように、世界の懸け橋となる海洋貿易で栄えた国です。

三重城は、那覇港の入口に位置し、海洋国家である琉球王国において、航海の安全を祈願する聖地です。

琉球の女子は、オナリ神となって、三重城から兄弟の航海安全を祈願します。

首里城の御内原(ウーチバラ)で、正殿2階にあるおせんみこちゃの拝礼を担当する神女である思戸(ウミトウ)が、遠く水平線を見つめ、八重山で暮らす主人公の無事を祈願していました。

 現在でも、鹿児島方面へのフェリーの航路となっています。

遠くで暮らす家族の無地を祈るのでしょうか、今でも祈願する方々を見かけます。

断崖に座って、遠くの水平線や、ここから旅立つ船や飛行機を祈りながら見送る方々もいます。

遠くで暮らしている人は、こうして祈っている方々の気持ちや存在を、忘れてはいけないですね。

フェリーが北に向かって進んでいきます。

飛行機も、飛び立っていきます。

無事でありますように。

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テンペスト(琉球のお菓子)

2010-12-23 | 琉球・首里城

池永永一さんのテンペストは首里城を舞台にした小説ですが、聞いたこともない琉球のお菓子が登場します(第3話)。

主人公の親友の真美那が得意とする「千寿米羔(せんじゅこう)」。

「一口サイズの円筒形の上面に三色スミレのような花弁が載せる、見るからに野花を摘んだような菓子の花籠」と、本では表現されています。

上の写真は、食文化専門家の安次富順子さんが往時の作り方で再現したものです。とてもかわいらしいお菓子ですね。

真美那は、隠し味として夏ミカンの皮を入れたのが好評で、那覇港に上陸したペリー提督や初恋の人、孫 寧温(そん ねいおん)をこのお菓子でもてなしています。

残念ながらどんな味だったか、忘れてしまいましたが、美味しかったと思います。

 

次は、「大鶏餃(たいちーちゃお)」。

真美那が絶品だと主人公に勧めたもの。

胡麻あんを、ラードに小麦粉を混ぜた皮で包んだ揚げ菓子です。香りがあり、美味しかったことを覚えています。

脂っこいのは苦手と主人公が断ったら、代わりに勧められたのが蒸し菓子の「ちいるんこう」。

これは現在でも市販されていて、パウンドケーキのような味だったと思います。

こちらが、「薫餅(くんぺん)」。

美味しいお菓子ですが、主人公は王妃から賜った泥入りの薫餅を、こともなげに食べています。

これも市販されています。 

 

琉球のお菓子というと、ちんすこう、花ぼうる、松風(まちかじ)、りとうへん等が有名ですが、テンペストには聞きなれないお菓子が出てきます。

縁があって、琉球のお菓子を再現した場に居合わせることができて幸運でした。

試食したい方は、首里城の南殿から書院に入ってすぐ右手に鎖之間(さすのま=琉球王子の部屋)で、300円で4種類の琉球お菓子とサンピン茶を美味しくいただけます。

静かな茶室でお茶菓子をいかがでしょうか。

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2010-12-14 | 琉球・首里城

文庫版テンペストを全4巻、読み終えました。

ペリーを始め欧米の列強が琉球王国や日本に開国を迫る激動の時代を乗り切る、首里城に若くして登用された官僚の物語と思っていたら、想像をはるかに超えたドラマが展開されていました。

ドラマの舞台となる首里城の施設は、復元されたものだけでなく、これから復元される可能性のあるものもあり、興味深いものでした。

「暗シン御門」や「空中庭園」が出てくるとは驚きました。何のための施設なのか歴史学者の想像を掻き立てる施設ですが、池上永一さんは、ドラマに欠かせない施設として見事に描いています。

質素でありながら美しさを忘れず漂着民を大切にする国民性、したたかな外交。首里城や民族文化の美しさ。沖縄の素晴らしさ、沖縄人の誇りが伝わってきます。

首里城の写真は、いろいろ手持ちがあります。本の世界の理解に手助けになれば、と思い、ドラマに出てきた施設を今後アップしていきたいと思います。

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テンペスト1ー春雷(池上永一)

2010-11-28 | 琉球・首里城

19世紀の琉球王国を舞台にした小説「テンペスト」、2008年のベストセラーの文庫本です。

作者の池上永一さんは石垣市出身の40歳。早大在学中に作家活動を開始した。

なかなか、面白い…。

文庫は4冊セットなので、まだ4分の一しか読んでませんが、この本は期待できます。

 

テンペストは「嵐」の意味だと思いますが、時代背景は琉球王国の「嵐」の時代。

アヘン戦争で英国に敗れた清(中国)が鎖国を解除。

鎖国があったからこそ朝貢貿易で栄えた琉球王国にも、暗雲が。

さらに、中国と日本の両方の属国として、微妙なバランスで生き抜き繁栄していた琉球王国に、フランス、英国、米国(ペリー)の船が次々に訪れ、開港を迫る激動の時代。

その頃の日本は、まだ鎖国中で、江戸末期。

日本より早く、新たな激動の時代の外交政策が展開された琉球。

作者は、そうした困難な時代を生き抜く官僚を描こうとしているのでしょうか。

主人公は、弱冠13歳で、難関試験を突破して首里城の役人に登用された人物。

その試験問題は、「清の国内混乱を踏まえつつ、今後琉球が取るべき対清政策について論ぜよ。」というもの。

独立国としての琉球のあるべき姿を主張したうえで、大国である清に弱みを見せず、かつ対立を起こさないような巧みな外交政策を問うもので、現代にも、十分通じる問題です。

激動の時代には、冷静な状況判断を行える羅針盤と、周囲を惹きつけ嵐の中を的確に進む崇高な思想とリーダーシップを持つ人間が必要。

 

沖縄では、正殿、北殿、南殿だけでなく、物語に出てくる奥書院や淑順門などの復元も少しずつ進められています。

この本をきっかけに、沖縄への関心と理解が深まるとともに、首里城観光の楽しみが増えるといいですね。

作者と、この本を紹介してプレゼントしてくださった方に、厚く御礼申し上げます。 

*****テンペスト関係記事一覧*****

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祝!首里城書院・鎖之間庭園 名勝指定

2009-08-28 | 琉球・首里城
沖縄から、うれしい手紙が届きました。
首里城公園で昨年復元したばかりの書院・鎖之間庭園(しょいん・さすのま ていえん)が、完成後わずか1年で、7月23日に国指定の名勝として登録されました。

首里城は、沖縄戦で燃えてしまったので、復元は沖縄の本来の姿を取り戻す大事な仕事です。
書院(向かって右側)は琉球国王の執務室。鎖之間(左側)は王子の部屋。どちらも和室で茶室もあります。
書院は見学コースですが、鎖之間に立ち寄ると300円で琉球菓子とおいしいお茶が、説明つきでいただけます。
庭園は、琉球石灰岩の地形を生かし、ソテツとマツの組み合わせがとても珍しい。
さらに、高台にあるので、庭園の背景は「空」しか見えない。

この写真は、名勝指定を記念して首里城公園が作った記念絵はがきです。
下の写真は、明治時代のもので石黒敬章氏から提供されたもの。
この一枚の写真が、建物の高さやデザイン、庭園の地形や植栽の配置など、復元をする上で、非常に重要な役割を果たしたそうです。

これまでの首里城の記事は、左にあるカテゴリーで「首里城」を選択してみてください。昔のことが書いてあります。

首里城「書院・鎖之間庭園」が国指定名勝に

2009-05-22 | 琉球・首里城
ネットで、うれしいニュースを発見しました。
昨年、復元された首里城の書院・鎖之間(しょいん・さすのま)庭園が、その文化的な価値が認められ、国の名勝に指定されることになりそうです。
この庭園は、琉球石灰岩の地形とソテツやマツを中心にした珍しいもので、古絵図に描かれたり、琉球王国へ訪れた外国の賓客が日記などに素晴らしさが記されていました。
復元は、発掘調査、明治時代に測量された詳細な地図と見つかった数枚の写真などを元に、専門家による慎重な時代考証を重ねながら行なわれました。

2009年05月15日 沖縄タイムス
首里城「書院・鎖之間庭園」など3カ所が国指定名称天然記念物に

名勝として新規指定される「首里城書院・鎖之間庭園」=那覇市
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、琉球王朝時代、王族が接待の場で使用したとされる首里城の「書院・鎖之間庭園」など、史跡名勝14件を新規・追加指定するよう塩谷立文部科学大臣に答申した。県内からは3件の指定答申があった。
 名勝に新規指定するよう答申されたのは「書院・鎖之間庭園」の1件。史跡は16世紀に久米中城按司が築いたとされる久米島町の「宇江城城跡」が新たに指定される。史跡「今帰仁城跡」の北側に隣接する「今帰仁ムラ跡」や「ハンタ道」など集落遺跡は、同史跡への追加指定に答申された。

沖縄の空と歴史 

2009-01-24 | 琉球・首里城
今日は雪が舞って、寒い日でした。
パソコンの写真を眺めていたら、沖縄の空の青さに改めて驚いた。

2007年8月31日、ここにいた。
青い空、白い雲、サトウキビ畑。

受水入水(うきんじゅ・はいんじゅ)の岩が目当てでした。
この岩は自然のように見えますが、専門家が復元したもので珍しい事例です。

解説板です。沖縄の稲作発祥の土地。

2006年に、初めて行ったときに書いた記事。
東御廻い(あがりうまーい)3 - 浜松沖縄横浜での暮らし
前回は海中にあったヤハラヅカサは、陸に上がっていました。

海がきれいです。
遠くで色が変わっているのは、サンゴ礁の境目で深くなっているところです。

この看板、沖縄らしくて好きです。
子供も、大人も、帰宅時間が書いてあるのがいいな。

室瀬和美展

2008-11-16 | 琉球・首里城
文化の日、池袋で開催されていた室瀬和美展に行ってきました。
室瀬和美氏は、日本を代表する漆芸家です。
 作品例
 室瀬和美プロフィール
プロフィールにもありますが、今秋、重要無形文化財保持者(蒔絵)、いわゆる人間国宝として認定されました。

上の写真は、個展の入り口を外側から写したものです。
漆の作品の横に、「首里城漆塗装メンバー」から贈られた生花が飾られていました。

首里城は復元後15年を経過し、古文書に基づいた材料などにより、漆塗装の塗り替えをしていますが、室瀬和美氏は、その中心的なメンバーとして活躍されているそうです。
琉球では、朝貢品など素晴らしい漆文化があったのですが、沖縄戦で殆どなくなってしまいました。
首里城の漆の塗装を、地元の沖縄の漆職人と一緒に作業されているそうで、こうした取り組みを通じて、沖縄での漆職人の育成や漆文化の復興を期待します。

蒔絵(まきえ)というのは、器に漆で模様を描き、漆が乾かないうちに金、銀の粉を蒔き、定着させる日本独自の技法です。
上記の作品例をみると、美しい精緻な技法に驚かされます。

父親の室瀬春二氏は、石川県生まれで輪島塗の蒔絵を学んだ漆芸作家でした。
和美氏は、幼少の頃から漆に親しみ、芸大で漆芸を専攻し、卒業制作は既に文化庁が買い上げています。また、金比羅宮の天井画、琉球楽器の復元など歴史文化財の修復事業にも従事されています。