沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

名護親方の六諭衍義(りくゆえんぎ)

2008-06-01 | 名護市

江戸時代、全国の藩校や寺子屋で道徳の教科書として使用された「六諭衍義」。
この原点は、1708年、程 順則(てい じゅんそく)が中国に渡り巨額の私財を投じて印刷し、琉球に持ち帰ったもの。

教育熱心だった程順則は、琉球で初めての学校「明倫堂」を建てた。
琉球国王とともに江戸に上った際は、「六諭衍義」も持参し、島津氏を経て、将軍徳川吉宗にも「六諭衍義」を届けた。
吉宗は、優れた教育書である「六諭衍義」の和訳を命じ、「六諭衍義大意」は全国各地に広まった。

「六諭衍義大意」は冒頭「この本は琉球の程順則という人が」で始まるので、当時の日本で名の知られた琉球人といえば程順則ただ一人だったといわれている。

「六諭衍義」が琉球に伝来し、今年はちょうど300年。
名護市博物館で、企画展「名護親方程順則」展が開催されていました(5月30日~6月8日)。
この石碑は、300年を記念して作られたもので、明日テープカットされるらしい。

六諭とは、有名な以下の文。

孝順父母 父母に孝行しなさい
尊敬長上 年上の人を尊敬しなさい
和睦郷里 郷里の自然や人を愛し仲良くしなさい
教訓子孫 子孫を教育しなさい
各安生理 自分のやるべきことを成し遂げなさい
毋作非為 悪いことをするなかれ

六諭衍義とは、例話を挿入するなど六諭の意味を判りやすく解説したもの。

企画展は、無料。
掲示資料を読んでいたら「六諭のこころ」という教育委員会発行の冊子を頂いた。
今日は、ありがたい、とてもいい日なのだった。
鳳凰木(ホウオウボク)もきれいに咲いていました。

程順則は、5回も中国に渡った学者で、新井白石と会見したり、琉球の様子を書いた「中山伝信録」の徐葆光(じょほこう)と親交があった。
66歳のとき、名護親方(市長のようなもの)に任命された。

この場所は、名護町役場のあったところで、樹齢300年のフクギも花を咲かせていた。
名護親方の銅像も、うれしそうです。