沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

総理大臣演説ー遠藤未希さんー決して忘れてはならないもの

2011-09-15 | 

昨日の臨時国会で、新しく任命された野田総理大臣の所信表明演説が行われた。

「平成23年9月13日第百七十八回国会の開会に当たり、東日本大震災、そしてその後も相次いだ集中豪雨や台風の災害によって亡くなられた方々の御冥福をお祈りします。また、被害に遭われ、不自由な暮らしを余儀なくされている被災者の方々に、改めてお見舞いを申し上げます。

 この度、私は、内閣総理大臣に任命されました。政治に求められるのは、いつの世も、「正心誠意」の四文字があるのみです。意を誠にして、心を正す。私は、国民の皆様の声に耳を傾けながら、自らの心を正し、政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう重責を全力で果たしていく決意です。まずは、連立与党である国民新党始め、各党、各会派、そして国民の皆様の御理解と御協力を切にお願い申し上げます。

 あの三月十一日から、はや半年の歳月を経ました。多くの命と穏やかな故郷での暮らしを奪った大震災の爪跡は、いまだ深く被災地に刻まれたままです。そして、大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、被災地のみならず、日本全国に甚大な影響を与えています。日本の経済社会が長年抱えてきた課題は残されたまま、大震災により新たに解決が迫られる課題が重くのしかかっています。

 この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。

それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見出せるのではないでしょうか。  (以下、略)」  第百七十八回国会における野田内閣総理大臣所信表明演説 より

総理大臣が所信表明演説の冒頭に掲げた、防災無線で避難を呼びかけながら亡くなった遠藤未希さん。

テレビでも紹介されていたが、今でもYoutubeで見ることができる。

 

自分は、震災の翌日、家にやっとたどり着いた後、南三陸町のハザードマップを調べて驚いた。

50年前の地震と津波浸水区域がほとんど変わっていない。この町では物理的な対策が進んでおらず、住民に避難を呼びかける対策しかなかったのかと思い、次の記事を書いた。

大地震と津波」(平成23年3月12日の記事)

「 宮城県の津波ハザードマップ(南三陸町の志津川)では、浸水区域はあらかじめ想定されていた。

チリ地震の津波浸水区域と宮城県沖地震の想定浸水区域がほとんど同じということは、対策が進んでおらず、同じ被害が起きるということ。

今の対策では、津波に対応できないことを、住民にお知らせてして、避難を呼びかけるものだ。

避難訓練や防災無線があったが、無事避難できたのだろうか。 (抜粋)」

 その後、遠藤さんのことを知り、いろいろな思いがあった。記事へのアクセスがあるたびに、このまま掲載していてよいのかとも思った。記事は、客観的に書くことを心掛けているが、もし被災地の人々や遠藤さんの家族がこの記事を見たら傷つかないだろうか。

南三陸町の防災庁舎で、必死に住民に避難を呼びかけていた遠藤さん。ハザードマップと避難する人々や街の様子、そして盛り上がる海面を見て、どんな思いだったのだろう。

遠藤さんの声を聴いて逃げた人の耳には、遠藤さんの声が焼き付いているという。

もし、遠藤さんが今の人々の暮らしや街の様子を見ることができたら、防災無線で、何と呼びかけるのだろう。

きっと、街の人を励ますメッセージに違いない。

街の人にも、遠藤さんのメッセージが聞こえるに違いない。

大震災から半年が経ったが、復旧・復興は、まだ緒に就いたばかり。総理大臣の所信表明演説は、閣議決定を経て行われる重みのあるもの。

亡くなった方の思い、大切な人や財産を失った人々の思いは、決して忘れてはならない。